ミアの逆鱗
同じくらいの歳の子が、自分の意思とは関係のないところで自分の命運を委ねるような賭けに出され、何をするでも無くこの世を去っていたかも知れない。そんな境遇を聞かされたヘラルトは、自分だけでは何もすることが出来ない赤子の命に憤りを感じていた。
「酷い話ですね・・・。子供は親も環境も選ぶことが出来ないというのに、親の身勝手で産み出されても一つの命、人生を背負う覚悟や準備が整っていなければ、ただ不幸になるだけだというのに・・・まるで美談のように・・・」
俯いて拳を握るヘラルトの声は、ツバキの不幸を憂い悲しんでのことか、それとも親の身勝手な行動でこの世に産み落とされたという事への怒りからか、唸り声のような喉から出る声色で震えていた。
「ヘラ・・・」
「できたから産むんですか?欲しいと思ったから産むんですか?そんな軽い覚悟で命を背負っていけるとでも・・・思っているんでしょうか」
彼にも何か思うことがあるのだろう。少年が一人で世界に飛び出し、その日の食事や宿代を稼ぎ、旅をしていくのは容易なことではなかった筈だ。
「だが、あの子は生きておる・・・。神が見捨てなかったのか、運命がまだその時ではないと繋いだのか。ツバキは自分のことについて一切聞いてくる事はなかった。きっとあの子も、薄々気が付いていたのかもしれんな・・・。自分がわしと血の繋がりがないことを」
急に我に帰ったかのような表情をし、いつものヘラルトに戻ると先程とは別人のように温かい声で、ウィリアムのツバキに対する温情を称賛した。
「そのことに気づけているのなら大丈夫です。あの子は救われた恩をきっと忘れません。例え本当の親でなかろうと・・・証明できる繋がりがなかろうと、本当の親子以上の絆で繋がっている筈だと、僕はそう思います」
彼の目を見て、その瞳の奥底にあるであろう乗り越えてきた壁の存在を、幾つもの人生に出会い荒波を越えてきたウィリアムの目が見抜くと、鼻から息を抜き、思いにふけるようにして一度だけ長めの瞬きをして笑う。
「こんなガキに諭されるようじゃぁお終いだな!さて・・・少し長話が過ぎたようだ。もう作業に戻らねぇと。おめぇ等も早く宿の部屋を取りに行かねぇと、無くなっちまうぜ?何せもうすぐレースが開催されるんだ、あちこちから人が集まってんだからな!」
ウィリアムの言葉に慌てて時間を確認するツクヨは、大分時間を費やしてしまったことに気が付き、急ぎヘラルトの手を引きその場を後にする。
「しまった!そうか、レースがあるんだった・・・。急がないとミアにどやされる。行こう!ヘラルト!ウィリアムさん、ありがとうございました!」
後ろを向いて早く行けといった様子で手を振るウィリアムを残し、歩いて来た鉄板の上を走って戻る二人。そして、その様子を物陰から聞き耳を立てていたツバキの姿があった。
その頃、WoF内の異変について情報を集めるために町へと繰り出したシンとミア。観光で訪れた人やイベントの参加者でごった返す人の波を掻き分け、アランの言っていた酒場を巡っていく。
訪れた店々で店員やマスターとの距離が近いカウンター席に座り、適当に一杯頼んでから何か変わったことはないか聞いていくが、何処もレースの話題で持ちきりだった。参加する著名の団体や大物海賊、賞金稼ぎにギャングとシン達の知らない名前が多く挙げられたが、彼らの参加に町の人々は大いに盛り上がっていた。
特に多く挙げられた海賊の名が、“ヘンリー・エイヴリー”という、その界隈では知らぬ者はいないとまで言われている大物海賊の一人で、部下や傘下の多い一大勢力による圧倒的な数でエントリーっしている。
そして同じ海賊でもう一人よく耳にした名前が、“フランソワ・ロロネー”という人物。私利私欲のために凡ゆる残虐で非道な行いをすることで有名だという。エイヴリー程ではないが、自由を貪る彼の生き様に憧れる者も多く、部下の数も大所帯となっている。
町の人々の多くが歓声を送るであろうと言われる賞金稼ぎ“ジャン・ラフィット”は、誰のものでもない財宝しか自分のものとせず、海賊やギャング、凡ゆるならず者達から奪った金銀財宝を、貧しい者達に分け与えるという義賊のような人物。中には彼を英雄と持ち上げ、支援する国や団体が設立される程の人気だという。
ラフィット程ではないが、今若い者達の間で特に人気の高い人物、“ジョン・キング”。若くして海のギャングとなり、その一時代を築いた人物で、様々な方面に顔が利くため、他のギャングや海賊も中々彼に手出しができず、キングの組織はみるみる人員を増やし成長していった。
多くの人物達の名前は聞かされるものの、特にこれといった情報を掴めずにいたシン達は、ある酒場で同じようにカウンター席に座り、マスターから情報を聞き出していた。
「レース以外で、ですか?・・・そうですね、これといって珍しいことや、変わったことは聞かないですね」
「そうですか・・・。人が多く集まれば異変に関する情報も掴めそうなもんだと思ったけど、中々上手くいかないもんだな」
結局シンとミアの二人は、酒場を巡り酒を飲み歩く酒巡りをしてしまっている状態だった。そんな中、酒に気分をよくした別の客がミアに絡んできた。
「おう、姉ちゃん!いい飲みっぷりだな。それに・・・いい女だ。俺に酒を注いでくれよ」
顔を真っ赤にして酔っぱらった男がミアの隣の席に豪快に座ると、カウンターに肘をつき、舐め回すようにミアを見ている。
「お客さん、悪いことは言わない。ウチの店で揉め事は起こさない方が身の為です・・・」
男の見兼ねた態度にマスターが声をかける。すると男は気分を害したように大声で喚き散らして立ち上がる。男の声と椅子の倒れる音に店内の客達の視線が一気に集まり、男の怒りを煽り立てる。
「何だ?喧嘩か?」
「おう!うるせーぞ!やるなら他所でやれ!」
男はマスターの胸を掴むと、自ら海賊であることを名乗り出した。
「オメェ・・・俺が誰だか知ってんのか?俺ぁジョン・ウォード!レースにも出る海賊だぁ!そんで名を上げて世界に俺の存在を知らしめ名乗りを上げるんだぁ!」
男の態度に表情一つ変えないマスターが、冷静に手にしたグラスを拭き終えると、 ゆっくりとカウンターにそれを置いて、男の問いに無慈悲に答える。
「知りませんね、そんな名前。それに貴方ではレースを生きて帰ってくることすら出来ないでしょう。今の内に辞退しておいた方が健全です」
「てめぇ・・・俺を怒らせたな?・・・おい!」
男の掛け声と共に、店の一角を占めていた団体が立ち上がり、椅子や机を蹴り倒しながなカウンターへ集まってくる。それでも退かない客を掴み上げて殴る男の仲間だと思われる集団、そして殴られた方の男も立ち上がり殴り返すと、店の中のあちこちで殴り合いの大乱闘が始まる。
「俺を侮辱したツケは払ってもらうぜぇ・・・」
騒々しくなってしまった店内から出ようと、シンがミアに声を掛けようとした時、彼女は冷静にグラスの中の酒を飲み干すと、マスターにおかわりを要求した。
「マスター・・・もう一杯」
「おい、女・・・。今がどういう状況かわかってんのか?」
マスターから手を離した男が、乱闘で騒々しくなっている店内で、声を荒立てることなくミアに言うと、彼女は意外なことを言い出した。
「酒、飲みたいんだろ?奢ってやるよ・・・」
物や怒号が飛び交う中、このカウンター席だけがまるで別の空間のように鎮まり、男も酒を呷ってからでも遅くないと、倒れた椅子を起こして座り直す。マスターが酒を注ぎ、ミアの前に出すと彼女はグラスをカウンターの上で滑らせ、男の方に酒を寄せる。
男は一度冷静さを取り戻すと、ミアの肩に手を掛けて笑みを溢す。シンにはミアが何を考えているのか理解出来なかった。何故男を冷静にさせたのか、何故酒を奢っているのか。
「先見の明があるな。流石は俺が目をつけた女だ、分かってるじゃぁねぇか」
「触るな・・・」
俯いて小さく囁いた彼女の声に、男もシンも何を言ったのか分からず、思わずミアの顔を覗き込もうとした。
「汚ぇ手で触んなっつったんだ・・・」
「何を言って・・・」
男が何かをいうよりも早くミアはその手を払い除け、男の頭を鷲掴むとカウンター置かれた酒の入ったグラス目掛けて、男の頭を叩きつけた。
「これで満足か!?あぁ!?」
「ぐぁぁぁあああッ!」
ガラスの破片が顔中に突き刺さり流血する男は、顔を押さえながら床に倒れ込みのたうち回ると、ミアは立ち上がって男を見下ろす。
「女、女って五月蝿ぇんだよッ!女だから男に酒を注ぐのかッ!?女だから男の機嫌取りをすんのかッ!?てめぇみてぇなつけ上がった奴が、アタシは一番嫌いなんだよッ!!」
彼女の中にある触れてはいけない逆鱗に触れてしまったかのように、今までにか、それとも過去に溜まっていた鬱憤を男に叩きつけるミアの姿に、彼女の過去を知らないシンは驚きの余り、言葉を失う。
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