零式艦上戦闘機(零戦)
Zero Fighter
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎・曾根嘉年ら
製造元:
三菱重工業(開発)
中島飛行機(ライセンス生産)
運用者: 大日本帝国海軍
初飛行:1939年4月(昭和14年4月)
生産数:10,430機
運用開始:1940年7月(昭和15年7月)
退役:1945年8月(昭和20年8月)
運用状況:退役
(最大速度は計測高度によって変わります)
【零式艦上戦闘機二一型】
二一型は一一型を基に空母への搭載を前提として本格的に量産された型である。一一型同様、採用当時の制式名称は「零式一号艦上戦闘機二型」だった。
零戦の翼幅12mは空母のエレベーター寸法を考慮して決められていたが、実際に運用してみると不都合が多く(翼端がエレベーターに当たるため斜めに載せなければならないなど)、翼端を50cmずつ折り畳める機能が追加された他、一一型では省略されていた着艦フックや無線帰投方位測定器といった艦上機用装備も追加された。真珠湾攻撃を始めとする太平洋戦争の緒戦に実戦投入され、零戦伝説を生み出すこととなった。
開戦直前に起きた下川事件の対策として主翼強度を増す設計変更が行われた結果、採用当初には509.3km/hだった最高速度が533.4km/hにまで向上している。生産数は三菱製が740機、昭和19年春まで生産された中島製(ライセンス生産)が2,821機であった。
全長 9.050m
全幅 12.000m
全高 3.525m
主翼面積 22.438㎡
自重 1,754kg
航続距離 3,350km(増槽)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄一二型」(中島)
馬力 950馬力
最大速度 509km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M2
連コードネーム Zeke(ジーク)
製造 三菱重工業
設計者 堀越二郎
(零戦のその他の型式は非常に多いため最後の方に掲載)
【連合国を恐れさせたZero 徹底した攻撃性能強化】
現代でも多くの国民に名が知れ渡っている旧帝国海軍の戦艦【大和】。
それに追随する戦時の存在といえば、この「零戦」は筆頭候補になるでしょう。
開戦直後にアメリカに与えた衝撃や、その開発・活躍を記した様々な書籍が出版されていることなどから、日本では飛び抜けて知名度の高い艦載機となっています。
「零戦(零式艦上戦闘機)」は、「ぜろせん」とも「れいせん」とも呼びます。
「ゼロ」は英語読みですから、戦争当時に敵性語を使うことなどない、という意見もあるようですが、陸海軍ともにそのような言語制限は行っておらず、この読み方は両方とも使われていたようです。
ちなみに、敵パイロットからは直訳の「ゼロファイター(Zero Fighter)」や「ゼロゼロ(Zero Zero)」と主に呼ばれていたそうです。
ただし三二型は出現当初、それまでの二一型とは異なり翼端が角張っていたためか別機種と判断され、Hamp(当初はHap)というコードネームがつけられました。
搭乗員の藤田怡与蔵は「零戦は戦闘機として必須のあらゆる特性を一身兼備、一千馬力から100パーセントの効率をしぼり出して再現したようなバランスのよくとれた高性能を持っていた。特に昇降舵操舵に対してはどこまでも滑らかで崩れず、いかなる速度と迎え角においても、ピシッときまる天下一品の応答をしてくれた。調教の行きとどいた駿馬とでもいったふうにパイロットの動かす通りに動いてくれた」と語っています。
さて、歴史に名をしっかりと刻んでいるこの「零戦」ですが、実は敵機が恐れ慄くほどの圧倒的な性能を持っていたわけではありません。
艦載機のみならず、すべての構造物には長もあり短もありますが、日本はその長と短の差が激しく、逆に当時のアメリカの主力戦闘機「F4F ワイルドキャット」はそこまでのバランス崩壊はありませんでした。
そのためにまだ「零戦」の強さの秘密がわからなかった連合国からは、無類の強さを誇る「零戦」に恐怖を抱いたのです。
軍艦でも言えることですが、この「零戦」の元となる「十二試艦上戦闘機」もまた、徹底した航続距離と攻撃力・速度強化を要求され、中島飛行機は早々にこの土俵から降りてしまいます。
製造は「九六式艦上戦闘機」を設計した堀越二郎が所属する三菱重工業が引き続き担当することになりますが、堀越もこの無謀な要求に対して「ないものねだりである」と言い放っています。
昭和13年/1938年1月、三菱は「支那事変(日中戦争)」で活躍した「九六式艦戦」を操縦していた源田実から、格闘力と航続距離の向上を「十二試艦戦」では叶えてほしいとの訴えを聞きます。
それを踏まえた設計案が4月10日に海軍に提出されますが、3日後の審議会において堀越は「格闘力・速度・航続距離のうち優先すべき一つはどれか」と問います。
それに対して源田は「格闘力」と答えますが、しかし航空廠実験部の柴田武雄は「攻撃隊掩護のためには速度・航続距離が重要だ」と訴えてきました。
その場では結局どっちも大事という結論になり、堀越は頭を抱えながらも引き続き設計に取り組むことになります。
およそ1年後の昭和14年/1939年3月、試作一号機が完成。
一号、二号では発動機出力が不足したため、三号では発動機を「栄一ニ型」へと換装し、そしてこれが「零戦ニ一型」として正式採用されることになりました。
零戦には九六式艦上戦闘機同様、全面的な沈頭鋲の採用、徹底的な軽量化と空気力学的洗練、主翼翼端の捻り下げ、スプリット式フラップ、落下式増槽などがあります。
「零戦」は速度・航続距離向上のためにとにかく軽量化が追求されました。
「九六式艦戦」同様、沈頭鋲やスプリット式フラップ、空気力学を駆使した構造等が採用された本機ですが、あまりに軽量化させすぎたために試験飛行では試作二号機が空中分解、奥山益美が殉職してしまいます。
また昭和16年/1941年4月にも急降下実験中にやはり空中分解し、下川万兵衛が殉職しています。
そのようなこともあり、「零戦」は太平洋戦争開戦直前まで何度も改良が施されていました。
そのうえに、生産段階でも多数の肉抜き穴や、空気抵抗を減らす目的で製造工程が複雑な沈頭鋲を機体全面に使用するなど、生産工程が増える設計となっていました(設計段階から生産効率を考慮したP-51マスタングと比較すると零戦の生産工数は3倍程度もあり、生産側の負担となったそうです)
しかし、少数精鋭の艦戦ということで工数の多さが許容され、大戦中期以降は後継機の開発が遅れたため生産数を増やす必要に迫られたことで設計を変更し工数を減らす努力が続けられ、結局10000機以上も製造されました。
兵装は、爆撃機など大型機を一撃で撃墜するため、当時としては強力な20mm機銃搭載が求められており、初期型から機首の7.7mm機銃2挺に加え翼内に20mm機銃2挺を搭載しており、当時としては高火力な機体となった。
ただし、この20mm機銃は双発機でも落とせる高威力ではあるものの、初期は携行弾倉に60発ずつしか入らず、また標準を合わせるのが難しくて当てる前に弾切れになるという苦情もありました。
そのため弾倉はのちに各100発、125発と改良されていきました。
この20mm機銃は威力を活かし重装甲のB-17やF4Fを数発で撃墜し、米軍に脅威を与えた。しかし「照準が難しく、修正しているうちに弾がなくなる」ため、戦闘機との格闘戦においては使い難いという欠点があり用兵側は不満を持っていた。
対する防弾ですが、これが「零戦」の大きな欠点の一つでして、防弾や被害軽減の備えが非常に弱かったのです。
理由の一つとしては、防弾タンクや自動消火装置の実用化が遅れたことや、開戦から一年も経たずにガダルカナル島で始まった連合国軍の反撃に対応するため、改修による生産数や飛行性能の低下が許容できず先送りされました。
そのために、防弾燃料タンク、防弾ガラス、自動消火装置などが一切なく、「ワイルドキャット」と比べると大きく溝をあけられていました。
ただ、零戦は涙滴型の風防を備えており、特に後方視界が広く取れた点では同時期の他国戦闘機と比して後方警戒がしやすい利点がありました。そのため、運動性能と視界の良さを生かして、攻撃を受ける前に避けるという方法で防御力の弱さをカバーするパイロットも多かったようです。
そのおかげで緒戦の「零戦」の喪失数は少なく、腕のあるパイロットは「零戦」の弱点を自らカバーして戦っていました。
視界の広さは敵機に後ろを取られた場合の回避行動の早さに直結し、生存率をあげる上ではとても重要な事でした。
この点は設計士の堀越も同様の見解で、開発時に防弾を施さなかったことは優先順位の問題であり、戦闘機の特性上仕方がないと語っている。当時は大馬力エンジンがなく、急旋回等で敵弾を回避することもできる戦闘機では、防弾装備は他性能より優先度が低かったと言う。
技術廠技術将校岸田純之助は「パイロットを守るために速力や上昇力、空戦性能を上げて攻撃を最大の防御にした。防弾タンクやガラスを装備すれば敵に攻撃を受けやすくなる、日本の工業力から見ても零戦の設計が攻撃優先になったのは仕方ない選択。日本は国力でアメリカに劣っていたため、対等に戦うにはどこか犠牲にしなければならない、防御装備には資金がいるので限られた資源でどう配分するか常に考える必要があった」と語っている。
高い性能を維持するために防御を犠牲にし、海軍からも当時から防弾装備の注文は受けなかった、としています。
防弾の議論が出てきたのは、パイロットの練度の低下と、反比例して強化された米軍の戦闘機への対処のためでした。
さて、「零戦」が輝いた理由である格闘力と速度・航続距離について紹介しましょう。
格闘力とは大まかに言うと運動性能の高さのことで、ロール(後述)を除いて縦横無尽に旋回できる旋回性に加え、優秀な気化器が背面飛行の高さ制限を取り払う役割を果たしていたため、大変柔軟な飛行ができました。
初期のアメリカは「ゼロとドッグファイトを行うな」と通達していましたが、それは自前の機体が同じ運動をすると機体が持たないからです。
操縦も簡単で安定感もあった「零戦」は、訓練期間を短くできるという副産物も生み出しています。
もう一方の速度・航続距離は、軽量化の甲斐あって530km/hという最大速度を記録。
零戦は大戦初期において、長航続距離で遠隔地まで爆撃機を援護し同時侵攻できた数少ない単発単座戦闘機でした。
航続距離は増槽込で3,350kmという膨大な数値を叩き出し、広い太平洋を縄張りにするために必須な偵察および監視、また想定外の距離から敵に攻撃を仕掛けることができるなど、あらゆる面で重宝できました。
ただ、単座戦闘は複座・多座の攻撃機爆撃機に比較し無線電信電話機能も弱く、ジャイロ航法支援機器もなかったが、実戦で母艦に単機帰投した例も多かったようです。
太平洋戦争開戦直後、日本は台湾からフィリピンを「零戦」で攻撃しますが、その際アメリカはまさか台湾から飛び立ったとは思わず、近くに空母がいると誤認したそうです。
ただし自動操縦装置や充分な航法装置のない零戦で大航続力に頼った戦術は搭乗員に過度の負担と疲労を与え、また洋上を長距離進出後に母艦へ帰還するには、搭乗員が高度な技量と経験を持つ必要があり、特に制空権を失っていた「ガダルカナル島の戦い」の際は、ラバウルから1,000km離れたガダルカナル島を中継なく目指すという地獄の出撃を行っています。
このように、防御力を犠牲に幅広く活動できる性能を持った「零戦ニ一型」。
しかし昭和15年/1940年から暴れまわった「零戦」の天下は、さほど長くはありませんでした。
【見せてはいけない大きな穴 世代交代が進まず主力であり続けた零戦】
防御力を犠牲にして製造された「零戦」ですが、それ以外にも致命的な欠陥が存在していました。
それは「高高度での性能低下」と「ロール性能の悪さ」です。
まず、高高度では舵の効きが悪くなり、また高度のあるところから急降下すると軽量化した機体が耐え切れないという欠点がありました。
戦闘は常に追うわけではありませんから、振り切るために高速で上昇・下降することも茶飯事です。
しかしその手段の一つである急降下に危険性があるというのは大きなリスクでした。
また、リスクという点では「ロール(横転)性能の悪さ」もあり、特にこの面では世界でも最低クラスのものでした。
いくら旋回性能がいいとはいえ、ロールはその初動にあたりますから、そのロールの鈍い動きに間に詰め寄られたり銃撃されたりする問題がありました。
このように、防御力のなさに加えた2つの欠点は、開戦当初はあまりにも強すぎるために連合国にはわかりませんでしたが、「アリューシャン方面の戦い」において「アクタン・ゼロ」と呼ばれる「零戦」流出の大損失から、「零戦」の弱点が露呈します。
以後、アメリカは「零戦」との戦い方を徹底し、加えて改良を重ねた「ワイルドキャット」が「零戦」相手に十分戦えるようになっていきました。
日本はこの問題に対して「零戦三ニ型」を製造し、「ガダルカナル島の戦い」では「ニ一型」とともに投入されますが、それなりの速度・上昇力向上と引き換えに格闘力や航続距離が低下。
「ガダルカナル島の戦い」で求めらた航続距離が不足していることから、結局増産されずに次の開発へ着手します。
昭和18年/1943年、「ガダルカナル島の戦い」では敗北し、またアメリカは後継機「F6F ヘルキャット」を戦場に送り出してきます。
「ワイルドキャット」ですら苦戦するようになっていた中に現れた重装甲の「ヘルキャット」は、対零戦戦術と相まって日本の脅威となりました。
日本は急ぎ「五ニ型」を作り出し、小改良の結果「五ニ型丙」が昭和18年/1943年末から44年にかけて登場。
これは「零戦」最大の長所でもあった軽量化を廃し、火力と防御・防火性能の向上を目的として造られました。
座席後方に8mm防弾鋼板を追加、一部の機体は胴体タンクを自動防漏式とし、さらには自動消火装置や防弾ガラスなどが装備され、この頃からようやく防御への投資がはじまりましたが、十分ではなかったようです。
しかしこれだけでは速度が落ちてしまうので、発動機は「栄ニ一型」へ変更し、また両翼を短くする、排気を加速エネルギーへと変換できる推進式単排気管を採用するなどで速度を上げることに成功しています。
結果として性能はそれなりに向上し、未だ格闘力が高い「ニ一型」と、生存力が上がった「五ニ型丙」がパイロットの好みによって使い分けられ、引き続き主力戦闘機として運用され続けます。
しかしもはや登場から4年が経とうとしている「零戦」の改良です。
先に紹介した後継機「ヘルキャット」を相手にするには流石に分が悪く、善戦はしたようですが数の不利もあって戦況は厳しいままでした。
そもそも「零戦五ニ型丙」は後継機となるはずだった「烈風」のつなぎのために生まれたのですが、この開発がさっぱり進まず、後に副産物として「紫電・紫電改」が誕生するものの、結局「零戦ニ一型・五ニ型丙」は終戦のその瞬間まで日本の第一線で戦い続けることになります。
最終的には同じく後継機の登場が遅れに遅れた艦上爆撃機の役割も担うべく、500kg爆弾を積んだ「零戦六ニ、六三、六四型」までもが登場しますが、逆に特攻兵器としても使用されるようになり、多様な運用に振り回され続けました。
設計、製造は三菱でしたが、ライセンス生産を行った中島製の方が実は多い「零戦」は、他にも紹介しきれいていない多くの派生型も含めて10,000機以上が製造されました。
登場時こそ高性能を誇った零戦でしたが、後継機の開発が順調に進んだ陸軍に比べ、海軍は後継機の開発がうまくいかず、零戦は終戦まで主力機として使用され、性能でもアメリカやイギリスの新鋭機に敵わなくなりました。
その結果、雷電や烈風など零戦の後継機の開発に遅れた日本海軍は零戦の僅かな性能向上型でこれらに対抗せざるを得なかったようです。
さらには1944年10月20日最初の神風特別攻撃隊が零戦によって編成され、それ以降も終戦まで零戦は特攻に使用されました。
大型爆弾用懸吊・投下装置を追加した末期型は代用艦爆(戦爆)として、また特別攻撃隊(神風特別攻撃)にも用いられ、レイテ沖海戦や硫黄島の戦いでは空母を撃沈破するといった戦果を挙げているものの、沖縄戦では艦隊到達前に撃墜される機も多く、アメリカ海軍やイギリス海軍、オーストラリア海軍などからなる連合国軍の艦隊を撃退するまでには至りませんでした。
鮮烈なデビューを果たし、敵機が強力になる中でも奮戦はしましたが、主力である期間が長すぎたために日本にとっても「零戦」自身にとっても不幸な結末を迎えることとなってしまいました。
(その他の型式)
【十二試単座戦闘機】
全長 8.790m
全幅 12.000m
全高 3.490m
主翼面積 22.438㎡
重量 1,652.0kg
航続距離 ???
発動機 空冷星型複列14気筒「瑞星一三型」(三菱)
馬力 875馬力
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M1
【零式艦上戦闘機一一型】
3号機以降は1・2号機に間に合わなかった栄一二型を搭載しており、その試作3号機から8号機を含めた合計64機が製作された。
「零式一号艦上戦闘機一型」として制式採用されるが、昭和17年の類別変更により一般的に知られている「一一型」に変更となっている。
全長 9.050m
全幅 12.000m
全高 3.525m
主翼面積 22.438㎡
重量 1,670.3kg
航続距離
2,222km(正規)
3,502km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄一二型」(中島)
馬力 950馬力
最大速度 495km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M2
【零式艦上戦闘機二二型】
二二型は航続距離短縮という三二型の欠点を補うために急遽開発・生産された型で、1942年末から三菱のみで生産された。エンジンや胴体部分の基本設計は三二型と同一だが、翼内燃料タンク容量の増量による重量増加に対応するため、主翼を二一型と同じ翼幅に戻し、翼端折り畳み機構も復活した結果、急降下制限速度は低下している。中盤以降のソロモン諸島の戦いに投入されたが、その頃にはソロモン諸島に前進基地が設置されており、折角回復した航続距離も意義が薄れていた。武装強化型の二二型甲を含めた生産機数は560機だった。
全長 9.060m
全幅 12.000m
全高 3.570m
主翼面積 22.438㎡
重量 1,863kg
航続距離
1,482km(正規)
2,560km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 541km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M3
【零戦二二型甲】(A6M3)
二二型甲は20mm機銃を九九式二号三型に換装した型で、1943年の春頃から五二型の生産が始まる1943年8月まで生産された。以後に開発された型式の零戦には九九式二号銃が搭載されている。なお二二型及び二二型甲は、三二型では翼端短縮で対応していた横転時の操舵力軽減を下川事件の影響で二一型初期型以降廃止されていた補助翼バランスタブを復活させることによって対応している。
【零式艦上戦闘機三二型】
三二型は実用化後初の大規模な改修が施された性能向上型であり、1942年4月頃から量産が開始され、同年秋頃には実戦投入された。
全体的な特徴として、二一型の主翼端の折り畳み部分を切り落としたように50cmずつ短縮されている。
しかし、配備初期はエンジンにトラブルが多く、また機体改修に伴う燃料タンク容積の削減により航続距離・航続時間が低下している(主翼短縮やエンジン換装は航続力低下にほとんど影響していない)
燃料搭載量を増した二二型の開発・配備が促進されたことから、期待を担って登場したにも関わらず、生産数は三菱での343機に留まった。
1943年6月付けの米海軍日本軍機識別帳では「南太平洋戦域において最も重要な戦闘機のひとつ」と評価されている。
全長 9.060m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.538㎡
重量 1,807.8kg
航続距離
1,052km(正規)
2,134km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 544km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M3
【零式艦上戦闘機五二型】
五二型は二二型の発展型で、折り畳み機構を廃して翼幅を三二型と同じ11mに短縮したものの、二一型や二二型のように円形に整形された翼端を持つ主翼と、エンジン排気による空気の整流・推力増強を狙い排気管を分割して機首部の外形に沿って配置する推力式単排気管が外見上の特徴である。なお五二型は三二型と同一エンジン装備で正規全備重量で200kg近く増加しているにも関わらず、最高速度は約20km/h、上昇力も向上しており、推力式単排気管の効果を垣間見ることができる。
なお、後期生産型では無線機が新型の三式空一号に換装された他、翼内燃料タンクに自動消火装置を装備して防御力を高めている。
三菱では1943年8月から生産が行われ、中島でも1943年12月から転換生産が行われている。武装強化型の甲・乙・丙を含めて終戦までに零戦各型でも最多となる約6,000機が生産され、レイテ沖海戦以降は特攻機としても使用された。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.538㎡
重量 1,876kg
航続距離
1,920km(正規)
2,560km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 565km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M5
【零式艦上戦闘機五二型甲】
五二型甲はドラム給弾式の九九式二号三型20mm機銃をベルト給弾式の九九式二号四型20mm機銃に換装した型である。給弾方式としてベルト式を採用することによって翼内スペースを有効に活用できるようになり、携行弾数はそれまでの100発から125発まで増加した。さらに主翼外板を0.2mm厚くして強度を高めたことで、急降下制限速度は740.8km/hに達した。
三菱では1944年3月から生産が行われ、やや遅れて中島でも転換生産が行われている。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.338㎡
重量 1,894kg
航続距離
1,920km(正規)
2,560km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 540km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M5a
【零式艦上戦闘機五二型乙】
五二型乙は機首右舷の九七式7.7mm機銃を三式13.2mm機銃に換装した型で、高い耐弾性を持つ連合軍機にもある程度対抗できるようにしていた。また前部風防を45mm厚の防弾ガラスとし、座席の後部に8mm防弾鋼板を装備可能としている。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.338㎡
重量 1,912kg
航続距離
1,920km(正規)
2,560km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 564km/h
武装
7.7mm機銃 1挺(胴体)
13.2mm機銃 1挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kgまたは60kg爆弾 2発
符号 A6M5b
【零式艦上戦闘機五二型丙】
五二型丙は甲・乙の路線を踏襲し、更に武装と防弾装備を強化した型で、武装面では両主翼に三式13.2mm機銃を1挺ずつ追加して計3挺に増やしており(機首左舷の九七式7.7mm機銃は撤去)、防弾装備面では座席後部に操縦員頭部保護用の55mm防弾ガラスを追加している。
本型式まで速度の低下は差ほど表れなかったが、実際は急降下性能を除く運動性能全般や、上昇力・上昇限度の各数値が五二型乙に比べて低下しており、攻守の強化に重点を置いた代わりに、零戦本来の運動性能を削ぐ型式に成っている。
三菱、中島とも1944年10月から生産を開始している。後に改善されたが、当初三菱から提供された設計図にミスがあったため、初期生産の中島五二型丙は落下式増槽を装備できなかった。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.338㎡
重量 2,155kg
航続距離
1,920km(正規)
2,560km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄二一型」(中島)
馬力 980馬力
最大速度 540km/h
武装
13.2mm機銃 1挺(胴体)
13.2mm機銃 2挺(翼内)
20mm機関砲 2門(翼内)
30kg爆弾 2発または60kg爆弾 2発または30kg小型ロケット弾 4発
符号 A6M5c
【零式艦上戦闘機五三型】(A6M6)
五三型は五二型丙のエンジンを水メタノール噴射装置付きの栄三一型に換装し、自動防漏式防弾燃料タンクを装備した型である。
雷電と紫電の生産遅延を埋める性能向上型零戦として本命視されていたが、栄三一型及び防弾タンクの開発遅延と1944年10月に生起したレイテ沖海戦に対応するため、零戦の生産は既存の五二型丙に集中することになったことから、開発は一時中止された。
完成した五三型試作機は1機のみでその後、開発は再開されたものの量産に移る前に終戦を迎えている。
【零式艦上戦闘機六二型・六三型】
六二型/六三型は五二型丙/五三型の胴体下に250kg爆弾の懸吊架(落下増槽懸吊架兼用)を設けた戦闘爆撃機型である。
特攻機として使用された機体には500kg爆弾を搭載したものもあった。
エンジンには水メタノール噴射装置を備えた栄三一型を装備予定であったが、同エンジンの開発遅延のため水メタノール噴射装置を除いた栄三一型甲/乙を搭載した(五三型を戦闘爆撃機とした栄三一型搭載型が六三型、五二型丙を戦闘爆撃機とした栄三一型甲/乙搭載型が六二型になる)。
大型爆弾を搭載しての急降下にも耐えられるように水平尾翼の内部構造強化や胴体下面の外板厚増加も実施されている。
六三型は僅かしか生産されていないが、六二型は三菱で158機、中島での生産数は不明だが数百機が生産されたとみられ、本型が零戦の最終量産型となった。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.338㎡
重量 2,055kg
航続距離
1,520km(正規)
2,190km(増槽あり)
発動機 空冷星型複列14気筒「栄三一型甲」(中島)
馬力 950馬力
最大速度 543km/h
武装
7.7mm機銃 2挺(胴体)
20mm機関砲 2門(翼内)
爆弾 60kg2発、250kg1発、500kg1発いずれか
符号 A6M7
【零式艦上戦闘機五四・六四型】
五四型/六四型は五二型丙のエンジンを水メタノール噴射装置付きの三菱製金星六二型(離昇1,560hp)に換装した型である(五四型が試作機、六四型が量産機に付けられた型番である)。
栄より大直径である金星搭載のため機首の13.2mm機銃は撤去されている。六四型は六二型/六三型同様、戦闘爆撃機(特攻機)としての運用も前提としていたが、純粋に戦闘機としての要望も強かった。
本型式は、このエンジン換装によって本来の運動性能を取り戻したが、試作機完成が終戦直前の1945年(昭和20年)4月だった上にアメリカ軍による空襲で金星六二型の生産ラインが破壊されていたため、完成した五四型試作機2機は、テスト飛行中に終戦を迎えた。
1945年(昭和20年)7月から生産を命じられた六四型は、時既に遅く生産中に終戦を迎えた。なお、長らく本機(五四型)の資料は確認されておらず、機首の形状は謎のままであったが、近年写真と図面が発見されている。
この写真によると、スピナ及びプロペラは、同型エンジンを搭載する彗星三三型と同じ物を装備している。本型式が零戦の最終型式となった。
金星搭載は武装・装甲の重量増加によるエンジンの出力不足を補うためであり、実際に速度・運動性能は向上した。ただし、金星搭載案はこれが最初ではなく、公式には過去において(五四型開発時も含めて)3度検討されている。
全長 9.121m
全幅 11.000m
全高 3.570m
主翼面積 21.338㎡
重量 2,150kg
航続距離 850km
発動機 空冷星型複列14気筒「金星六二型」(三菱)
馬力 1,250馬力
最大速度 572km/h
武装
13.2mm機銃 2挺(翼内)
20mm機関砲 2門(翼内)
爆弾30kg小型ロケット弾4発、250kg1発、500kg1発いずれか
符号 A6M5
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