転生したら三両の値札が付いた

十八 十二

第0話 爪剣の女

 しゃり、しゃり、と刃物を研ぐ音がする。

 崩れた廃屋の、ひび割れた土間に正座して、女が剣を研いでいた。

 その剣はもともと女の爪であった。


 五枚の爪が融合して一枚となり、刃となって伸びている。

 剣身はラメが溶けて琥珀色を呈し、所何処に不格好な手描きの桜が咲いていた。

 その爪は女の気性を表しているかのように、派手だった。


 女は転生者である。そして鎌鼬かまいたちだった。

 かつて自慢だった玉の肌は小麦色の獣毛に覆われ、腰からは太く長い尾が生えている。


 女の名は、桜栄利里さくらえ りり

 利里がこんな姿になったのは、この世界の食べ物を食べ続けたからだ。


 食べ物に含まれる『鬼素』が利里の肉体を異形の『モノノケ』へと作り変えているのだ、身も心も鬼と化すその時まで。


 ゆえに利里は爪を研いでいる、『鬼化』の進行に抗うために。




「利里」


 声は扉が外れた玄関からだった。利里が爪を研ぎ始めて一時間が経った頃だ。

 初めて利里の手が止まった。利里が顔を持ち上げると、蔦のドレスに身を包んだ女が立っていた。利里と同郷の者だ。


 蔦の女が敷居を跨いで利里の元へと近づいた。蔦のスカートが擦れ合い、さわさわ、と草葉が風に揺れるような音がする。

 利里は彼女に自身の爪を見せた。

 小首を傾げて問いかけるも、蔦の音は目を伏せて首を横に振った。


 利里は自嘲気味に鼻を鳴らして爪を下ろし、立ち上がろうとして尻もちをついた。


「ヤバ。チョー痺れてんだけど」


 と、利里は足を突っつきながら、蔦の女に笑みを向けた。クスリと蔦の女も笑みを返して両手を利里の方へ向けると、スルスルと蔦が伸びて利里の体を持ち上げた。


「時間がないので運びますわね」


 そう言って蔦の女は利里を持ち上げたまま廃屋を出る。

 利里が運ばれた先は隣の廃屋だった。食事を終えた仲間たちが、囲炉裏を囲んで今後の作戦を話し合っている。しかし彼らが利里に一瞥すると、すぐに立ち上がった。特に何も聞かれなかったのは、利里が何をしていたのか知っていたからだ。


 仲間たちがぞろぞろと廃屋を出発していくの中で、一人だけ利里に近寄って来る者がいる。

 赤いレンズのスキーゴーグルと狐面で顔を隠した女だ。

 利里よりも背が低いその女は徹底して肌を隠していた。分厚いロングコートで身を覆い、フードで青紫の髪を隠し、手袋を嵌め、黒くてゴツゴツとしたブーツを履いている。


 女はこの世界で人間であり、利里を式神として使役する陰陽師だ。

 おもむろに女陰陽師が利里に向かって手を伸ばすと、利里と女陰陽師を繋ぐ鎖が可視化した。鎖の両端は、女陰陽師は左手の中と、利里の胸とを繋いでいる。


 女陰陽師が廃屋を出る。利里もそれに続いて廃屋を後にした。

 陰陽師と式神、合わせて六名の一行は砂に埋もれた王都を北西に向けて進む。


 砂漠に浮かぶこの国は、緋色金と殺生石の採掘により潤い、黄金の国と呼ばれていた。それが半年足らずで、無事な屋根が見当たらないほどに荒廃している。都の隅まで敷き詰められていた石畳は剥がれ、路肩には積もった砂埃が山を築いていた。


 しかし、無事な建物が一つだけあった。この国の陰陽師たちの根城、陰陽寮だ。

 その特徴的な金色の瓦屋根が廃墟の間から見えた時だった。


 地響きのような音が近づいてくる。利里たちが足を止めて警戒していると、陰陽寮へ続く大通りの向こうから無数の人影が現れた。

 彼らには顔が無かった。首の上には白い球体が乗り、上からタンポポの綿毛が生えている。人体を乗っ取り、肥沃な土壌を求めて彷徨う、縊鬼くびれおにである。


 最初に動いたのは利里だった。常人ならざる速度で縊鬼の雪崩に突っ込んでいく。

 そんな利里の頭上を、一粒の丸薬が追い越した。女陰陽師が投擲したものだ。


 利里は餌に釣れた魚のように、その丸薬に喰らい付き、噛み砕く。すると舌が味を感じるよりも早く、利里の爪が変容した。倍近く伸びた利里の爪は鋭く尖り、爪の中程からトタン板のように波打った。


 利里は哄笑を上げ、縊鬼の一体に飛び掛かる。振り下ろした利里の爪は、まるで豆腐を貫くがごとく、縊鬼の頭を貫き、波打つ形状がさらに傷口を押し広げた。


 噴き出した鮮血を浴びた利里の顔が嗜虐心に歪んだ。

 利里は爪が元の形状に戻るまで暴れ回り、屍の山を築いた。


 打ち漏らした縊鬼が後方に控えていた仲間たちによって順次打ち倒されていく。蔦女が縊鬼を縛り上げて首を抜き、泥の男が通り一帯を泥に変えて縊鬼を飲み込だ。彼らを使役する陰陽師たちも呪術を用いて、燃やし、切り裂き、押し潰す。


 縊鬼がその数をみるみる減らし、利里たち一行が足元に出来た血の川を踏み締めながら戦線を押し上げ始めるが、周囲に立ち込めた濃い血の匂いが新たな妖を誘い出した。


 縊鬼と同じ方向からだ。ブブブ、と背中の翅を鳴らし、赤黒い塊がのろのろと近づいてきている。饅頭のような楕円形のフォルムと、通りを塞ぐほど膨れ上がった体躯。

 人の味に溺れた蠅の成れの果て、垢嘗あかなめだ。 


 垢嘗めが消化液を吐き出しながらにじり寄ってくる。

 突貫の許可を得ようと利里が女陰陽師を振り返ると、答えの代わりに丸薬が投げられた。利里がそれを口で追いかけて噛み砕くと、爪が螺旋を描きながら伸び、ドリルのような形状に変化した。


 その形状から女陰陽師の意図を汲み取り、利里は垢嘗めの真正面から突貫した。対する垢嘗めも敵の接近に対して迎撃の準備を始めた。


 消化液を利里の方へ吐き出し、背中の翅が唸るように高速で振動する。垢嘗めの巨体がほんのわずかに浮いたと思った瞬間、消化液上を滑空するように突進。


 しかし両者が衝突する寸前、一瞬で利里の背後に立ったが女陰陽師が利里に背後に一枚の札を張り付けた。


てん磊磊縫合らいらいほうごう


 女陰陽師が唱えるや、廃墟に転がる瓦礫が利里の体を包み込み、鎧と化した。


 ワイン樽の蛇口を捻ったみたいだった。垢嘗めの突進を受け止めた利里の爪が奥深く垢嘗めの体に突き刺さり、どくどくと内包していた血が溢れてくる。


 垢嘗めが身を捩って後退しようするも、垢嘗めの真下に広がった泥がその巨体を飲み込み、さらに泥の中から伸びた蔦が絡みつき、絞り上げた。

 垢嘗めの巨体があっという間に萎んでいき、ついにはブヨブヨの皮だけになった。


 連戦後の弛緩した空気が流れ始めた。

 利里は頭から被った血も拭かずに「もっと、もっと……」と繰り返し、その横では女陰陽師が垢嘗めの皮を広げて伸縮性を確かめている。他の面々は縊鬼の素材を持ち帰るかどうかを相談していた。


 しかし辺りに広がった血の匂いはさらなる敵を呼び寄せた。

 突如、利里たちの上空を影が覆う。

 足許が暗くなったことに気付いた全員が上空を見上げると、「コォラアァ!」と怒声は浴びせられた。


 垢嘗めよりも遥かに大きい人面鳥が、煤で汚れた翼を広げ、縊鬼の死体の山に降り立ち、髭面の老人の顔が利里ら生者を睨みつけた。

 陰摩羅鬼おんもらきだ。


 利里の唇の隙間から「へへへっ……」と声が漏れて、血で汚れた顔面に白い歯が浮かび上がった。

 利里は顔を綻ばせ、突貫する。

 

 陰摩羅鬼が再び怒号を上げたかと思うと、おもむろに廃屋の壁を食べ始めた。ゴリゴリと瓦礫を噛み砕き、喉を鳴らして飲み込む。すると陰摩羅鬼の胸がボウッと赤白く輝いた。


 陰摩羅鬼の老人の顔が頬を膨らませる。ブレスの兆候だ。陰摩羅鬼が接近する利里を睨みつけ、赤くなるほど熱された粉塵を吹き付けた。


 利里は構わず加速する。灼熱の霧に突っ込む間際、後から突風が吹き荒れた。

 突風は陰摩羅鬼のブレスを吹き飛ばし、さらに跳躍した利里の背中を押し上げた。

 振り上げた爪が陰摩羅鬼の首筋に突き刺さる。


 傷口から噴き出した陰摩羅鬼の血は熱されて湯気が立ち、それを利里は喉を鳴らして飲み始めた。

 利里の蕩けた顔とは裏腹に、陰摩羅鬼の体内に突き刺さった爪が、触手のように何度も肉を抉りながら形を変える。


 激痛に悶えた陰摩羅鬼が暴れまわり、利里は巨体に振るい落とされた。

 しかし、着地点に出現した蔦の網が利里の体を受け止める。利里は体制を整えると、またすぐに駆け出した。


 陰摩羅鬼の前に泥の男が立っている。自身が吐き出した泥が陰摩羅鬼の足を絡め取り、空への逃亡を防いでいた。

 泥の男が突貫する利里に気付くと、泥の巨椀を作り出し、利里を陰摩羅鬼の頭上へと放り投げた。


 放物線を描いて飛ぶ利里、彼女に向かって投げられた二粒の丸薬を噛み砕く。

 爪が三叉に分かれ、利里が陰摩羅鬼の背に突き立てた。爪から伝わってくる肉の感触や血の匂い、耳をつんざく苦悶の声を目を閉じて味わった。


 足の自由を奪われながらも陰陽師は身を揺すった。けれど深く食い込んだ利里の爪が抜けることはない。泥が陰摩羅鬼の足を飲み込み、蔦が身体を縫い付ける。加えて陰陽師たちが召喚された巨大な氷柱が翼や首を突き刺した。


 陰摩羅鬼の背中が利里のお立ち台に変わった。

 暴走する殺戮衝動に従って利里は爪を振り回す。太い血管があるところ、より深く刺せるところ、抉りやすいところ、陰摩羅鬼が痛がる場所や方法を模索しながら、角度を変え、爪の形状を変え、何度も腕を振り下ろした。


 利里の中に鬼化に対する恐怖心は消え失せていた。

 もっと血が見たい、もっと悲鳴を浴びたい、という歪んだ欲望が爪の形状を変化させた、腕よりも長く伸び、折れ曲がり、鍬のような形状へと。

 それは今までにない変化だった。しかし、これなら楽な姿勢かつ少なり力で陰摩羅鬼を痛めつけられる、と利里は歓喜して腕を振った。


 皮と肉を捲り上げる感触と病的な快楽が脳を溶かし、陰摩羅鬼の絶叫と利里の絶頂が重なった。瞬間、利里と女陰陽師とを繋ぐあの鎖が利里の腹を内側から突き破った。


 目を見開いた利里の前で、鎖は蛇のようにうねりながら先端を肩に向けた。

 危険を察知した利里がとっさに爪で鎖を遮るが、鎖は爪を避けて利里の手を貫き、肩を抉った。無機物とは思えない動物的な動きに利里は驚愕する。しかしすぐに背中と胸に激痛が走り、利里は獣のような悲鳴が上げた。


 自分の額から生えていた一本の角。

 顔を上げた拍子にそれが目に飛び込んできた。


 瞬間、暴走していた嗜虐心も、脳を溶かすような快楽も、鎖に対する苛立ちや痛みも、すべてが消え失せ、鼻から「ふん」という小さなが音が漏れた。


 利里の腕が力なく垂れ下がった。

 鎖の動きが速くなった。


 鎖は項垂れる利里の体を貫きながら自由を奪い、足場になっている陰摩羅鬼の背中に縫い付けていく。


 その間、利里は胸から一直線に伸びる鎖を見つめていた。そして、鎖をたどるようにゆっくりと視線を動かして自分の主人を視界に捕らえた。


 女陰陽師は鎖を握り締め、綱引きでもするように腰を落とし、顔を隠したゴーグルが光を反射している。


 利里には主人がどんな顔をして鎖を握っているのか分からない。だから、これまでの言動からどんな顔をしているか想像して、

「ウケる」

 と、自分を買った女に笑みを向けたのだった。


 女陰陽師が鎖を一思いに鎖を引いた。握りしめた両手に、ズブッ、というような何かを引っこ抜いた感触が返ってくる。

 瞬間、鎖は縫い合わせた式神と妖を握り潰し、両者の肉塊が爆ぜた。

 辺りは血の海だった。

 女陰陽師の手から鎖が光の泡となって消える。


 式神を失った女陰陽師のもとに仲間のあるガラの悪い陰陽師と気位の高い陰陽師が声を掛けた。


「おい、この後どうすんだよ、江弥華えみか

「新しい式神を買いに稲勢に戻る、それ以外に何かある?」

「では一か月、あまり攻めた作戦は出来ませんね」

「心配するな。二週間で戻る」


 答えて、墨廼江弥華すみのえみかは踵を返した。後ろで文句をぶつけてくる仲間たちに片手を上げて、血だまりの中を進んでいく。

 江弥華が歩く先には琥珀色に煌めく二枚の爪が落ちていたのだった。

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