68 地下研究室

 二名を入り口に待機させて、大盾を手に階段を降りていく漆黒の部隊。私たち三人は隊列の後方、殿しんがりを務めるヴェイグさんの前に固まって歩いていた。建物にして二階分ぐらい降りた所だろうか、おもむろにヴェイグさんが口を開いた。


「知っていると思うが、地下や密閉された場所では風の魔法は厳禁だ。武器強化、身体強化以外の魔法は許可しない」


 シュセイル王国に生まれる者は、戦神の加護を受けて風の属性を持つ。雪の上や空中戦はめっぽう強いけれど、風の届かない場所では魔法の威力が下がり、消費魔力量も倍になる。


 無理して高威力の風魔法を使えば、すぐに魔力切れを起こしてぶっ倒れることになる。これから誘拐された人たちを救出しようとしているのに、お荷物になっては本末転倒だ。


「わかりました」


 重々しく答えた私の耳に、アルが顔を寄せる。


「大丈夫だよ、セラ。僕と兄さんは風と樹の二属性持ちだ。魔法を使う場面になったら僕らに任せて」


 御印みしるしの一族に生まれる者は、一族の祖神と出身地の守神の加護を受けて、二属性持ちになることが多い。弱小ながら御印の一族である私と父さんも、戦神の風に加えて月女神ルーネの“月”という世にも珍しい属性の持ち主だ。


 ただ、月の魔法は月女神に由来するもので、解毒や治癒力を高める魔法とか、深く眠れる魔法とか、弓矢に獣に対する特攻を付与する魔法とか、とにかく地味で応用のきかないものばかりだ。父さんから使い方を習ってはいるものの、未だに使いどころがわからない。


「何かあったら兄さんを盾にすればいい。このおじさん、そう簡単には死なないから」


 周りは全員獣人で、細い通路に音が反響するので耳打ちに意味は無さそうだ。案の定、ヴェイグさんにもよく聞こえたようで。


「おじさん……」


 ショックを受けたように呟くヴェイグさんの声が響いて、前を行く部隊員たちが小さく肩を震わせているように見えた。

 和んだのはその時だけで、地下に降りる毎に緊張が高まっていく。地下に降りるにつれて気温はどんどん下がり、夏の太陽が恋しい。


 階段を降り切った先は小さな踊り場になっていて、先行する隊員が魔法鍵で施錠された大扉を発見した。

 両側の壁に貼り付くように隊員が展開し大盾を構える。ヴェイグさんの許可を待って、ラヴィアが扉脇の鍵に手を翳すと、カチリと鍵が開く音がした。


 扉の隙間に青い魔力の光が走り、音も無くゆっくりと開く。鉄錆と腐った魚のようなにおいが冷たい空気と共に足元を流れた。

 正面には何かの機械だろうか、小さな赤い光が点滅している以外は暗過ぎて肉眼では何も見えない。

 迎撃を警戒して、一瞬部隊に緊張が走ったが、部屋の奥からゴポゴポと水音が聞こえるのみで、人はおろか生物の気配は無かった。


 部隊は速やかに侵入し、クリアリングして施設内の安全地帯を拡げていく。装備を持たない私たちは隊長のヴェイグさんと共に扉の前で待機していた。流石の手際の良さに惚けていると、すぐに隊員のひとりが戻ってきた。


「隊長。研究室には誰も居ないようです」


「室内の明かりをつけろ。地下道がある筈だ。入り口を探せ」


「了解」


 隊長の許可を得て、私たちも研究室に入る。隊員が魔力光遮断器のレバーを上げると、バチンと大きな音に続いてブーンと鈍い作動音が響いた。やっと換気扇が動いて、滞留していたにおいが吸い込まれていく。


 壁際に設置された謎の機械にも魔力光が灯り、最後に天井の細長い魔力灯がチカチカと瞬く。

 暗闇に慣れた眼には眩し過ぎる光。だが、その僅か数回の瞬きでも見間違いようがない鮮烈な赤色に言葉を失った。


「ひっ……」


 やがて鮮明に照らし出された光景に、ラヴィアは口を塞いで悲鳴を飲み込んだ。

 飾り気の無い殺風景な白い壁に飛び散る血飛沫。床に残る何かを引き摺った赤黒い跡。作業台の上には実験器具の残骸と思われるガラス片が散乱し、壊れた顕微鏡などが放置されていた。


 そして研究室の奥、円筒形のガラスの水槽に白い大きな魔狼が沈められていた。大きさはオリオンと同じぐらいありそうだ。意識があるのか、薄く開いた真紅の眼は虚ろで、口の中に繋がれたチューブからゴポゴポと細かな泡が上がる。明滅していた赤い光は、こいつの眼のようだ。


 その場に崩れ落ちそうになったラヴィアをヴェイグさんが受け止めて、近くにあった椅子に座らせる。ラヴィアは真っ青な顔でガタガタと震えながら、食い入るように水槽の中の魔狼を見つめていた。そこへ、慌てた様子の隊員がヴェイグさんを呼びに来た。


「隊長! こちらへ!」


「わかった。セラ、この娘に付いていてくれ」


「了解です!」


 私が敬礼して答えると、ヴェイグさんの目元がほんの少し和らいだ。小さく頷くと部下を伴って隣の部屋に向かった。

 ラヴィアの側を離れられない私に代わって、部屋の中を見回っていたアルは、導かれるように水槽に近付いていく。


 魔狼が沈む水槽の横には、もうひとつ同じ大きさの水槽があったようだ。砕けたガラスが床に飛び散り水浸しになっていた。腐った魚の臭いはここが発生源のようだ。

 この床を這いずった赤黒い痕跡は、ここに居た何かの仕業なのだろうか。それが、研究室内で暴れた……?


「弟くん。その辺の機械に勝手に触らないでよー?」


 声のする方を見やれば、街に着く前の森の中で、アルを挑発していた騎士が研究室内の機材を調べているところだった。こちらの視線に気付くと、にっこり微笑んでヒラヒラと手を振る。

 たしか、牙は抜けていると言っていたからつがい持ちの筈だけど、相変わらず軽い。でもその軽さが、今は少し懐かしい。


「あっ……浮気狼」


 ボソッと呟いたアルに、浮気狼隊員ことチャラい騎士は慌てて訂正を求めた。


「その呼び名はやめて! 狼は浮気しないって君が言ったんじゃないか!」


「そうは仰いましても、僕は貴殿のお名前を存じ上げませんので」


「流石はあの隊長の弟……生意気だなー! 君のお兄さんの優秀な部下のモリス・ウラノフだよ。セリアルカちゃんは気軽にモリス卿って呼んでくれて構わないよ」


 こちらを振り向いてパチンと片目を瞑ってみせる。


「あっはい」


「セラ、律儀に返事しなくていいから」


 心底うんざりといった顔をするアルに、モリス卿は盛大なニヤニヤ笑いを浮かべる。どうあってもアルをからかいたいらしい。


「弟くん、ちょっと見ない間に更に嫉妬深くなってない? 先輩はそういうのどうかと思うなー」


「余計なお世話ですよ先輩。あと僕はまだ何も触ってませんよ。ただコイツ……どうするのかなと思って」


 アルはめんどくさそうに答えると、水槽の中の魔狼を見上げる。魔狼と兄弟のように育ったアルにとっては、つらい光景だろう。

 機材を操作する手は止めず、モリス卿は小さくため息をついた。


「上の皆さんがどう判断するかはわからないけれど、捜査が終わったら、その辺の線を引っこ抜いてそのまま眠ってもらうことになるだろうね。魔狼の恐ろしさは君もよく知っている筈だ」


「……そうですか」


 二人の会話を理解しているのか、魔狼は反論するように一際大きな泡を吐いた。弱々しく前足で水を掻き、水槽を引っ掻く。アルが手を伸ばし水槽に触れると、魔狼は水槽越しにアルの手に前足を合わせた。

 やがて、ゆるゆると瞼が下りて、闇の中に光っていた赤い光は消えた。


 そのまま十分程経っただろうか、隣の部屋からヴェイグさんと隊員が戻ってきた。その肩には、ぐったりとした男性を担いでいる。


「被害者を発見した! 医療班に連絡しろ! 手が空いている者はこっちへ!」


 椅子に座らされた男性は六十代だろうか、伸ばし放題の髪と髭は真っ白で、血走った目で神経質に辺りを見回していた。ブツブツと何事かを呟きながら身体中を掻き毟る。そしてラヴィアに目を止め、ガタガタと震えだした。


「おとう、さま……?」


 呆然と口を開いたラヴィアに、男性は突然悲鳴を上げて暴れ出した。隊員数名で押さえつけるも、凄まじい力に弾き飛ばされる。男性は床を這いラヴィアから逃れようとする。


「あああああァァァァ!! ゆ、許してくれぇええ!! あああヴェ、ロニ、カ……ゆるして」


 研究室の隅に蹲り震える姿に、私たちは困惑していた。

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