65 彼はいい人
ライルが必死に『居ないって言ってくれ!』とアピールするので、答えに窮したヴェイグさんは黙り込む。その不自然な沈黙を、通信の向こうのリヴォフ団長は肯定と判断したようで。
『あー……居んのかー……そっかぁー……じゃあ仕方ねェなー。お前ら耳塞いどけよ』
言うなり通信が途切れ、別の場所に切り替わる。なんだか嫌な予感がして両手で耳を塞いだ途端、キーンと嫌な高周波に続き轟音が響いた。
『ラーーイル!! テメェどこほっつき歩ってやがんだこのクソガキーーー!!! 俺の女は無事なんだろうなァ!?』
「うっ……」
音圧で殴られて頭がぐわんと揺れる。手で塞いだぐらいでは到底防げないぐらいの大音量に、馬車内の獣人は目を回していた。
獣人は脳筋に見えて繊細なんだから優しくしてほしい!
私の両隣に座るセシル兄弟も例外ではなく、アルは両耳を塞いで目をきゅっと瞑って耐えている。自分の腕輪が鳴っているため耳を塞げなかったヴェイグさんに至っては、目に見える程の黒いオーラを放ちながら、腕輪のボタンを連打して通信の音量を下げていた。
「クソッ……ユーリめ。あとで殺す……」
蒼獅子対灰狼の世紀の一戦が行われるなら、私は是非ともヴェイグさんを応援したいと思う。
「るっせーーーー!!! こンのクソジジイ!!! 怒鳴らなくたって聞こえんだよ!! 使ってねェから、ちょっと借りただけだろうが、ケチくせえこと言ってんじゃ……もがっ」
横からするりと伸びてきた手がライルの口を塞ぐ。妖艶な真っ赤な爪と白い腕の持ち主は、僅かに目を細めた。むさ苦しい馬車内の温度が急激に下がった気がする。
そんなこちらの状況などお構い無しに、通信の向こう側の酒焼けしたようなしゃがれ声は益々大きくなる。
『んだとォ!? 親に向かってなんつー口をきいてんだこのガキ……』
「ハァイ、伯爵様。アンジェリカ・オーヴェルです。お元気そうで何よりですわぁ。――ところでぇ、俺の女ってぇ、私の知ってる女なのかしらぁ〜? ねぇ、ライル〜?」
馬車の中、風も無いのにざわざわとアンの燃えるような赤髪が逆立つ。甘えた声で薄い笑みを浮かべてライルの頬を撫でている。
『な、なんだー、アンジェリカちゃんと一緒かよ。それなら良いんだよそれなら。ハハッ……ちゃんと磨いて返せよー。じゃあな』
「おいコラジジイー!! ヤロウ……逃げやがった……」
ブツンと通信を切られた後、痛い程の沈黙が車内を埋める。完全に目が据わっているアンにたじろぎながら、ライルは弁解を試みた。
「聞けアン、お前は何か勘違いしてるぞ。女ってのは親父がそう呼んでいるだけで……」
「ライル……いい奴だったのにな」
「セラ、狼は浮気しないよ?」
こそりと呟けば、アルは空かさず『善き
「おいそこ! 浮気とか滅多なこと言うんじゃねェよ!!」
「浮気? 浮気なの? ねぇ、浮気なの?」
「だ、だから、違うって……! お前ら笑ってないで助けろよ!」
第一部隊の皆さんに温かく見守られながら、ライルとアンが仲睦まじく騒いでいる間に馬車は渋滞を抜けたようだ。街の中央にある噴水の広場で大きく転回すると、下町方面に馬首を向ける。
再び走り出す寸前、ライルとアンが突然馬車を降りると宣言した。
「俺たちはここで降りて駐屯地の助っ人に行く。手が足りないみたいだし、俺の魔法は水場や地下だと周りを巻き込んじまうからな」
「わかった! 二人とも気をつけて!」
降りる二人に窓を開けて手を振ると、二人も手を挙げて応じた。
「ああ、お前らもな!」
「アルファルド! セラとラヴィアのこと頼んだわよー!」
「言われなくても……」
噴水の広場に二人を残し、馬車は猛スピードで街を駆ける。
私は緊張した面持ちのラヴィアの隣に席を移って、手を差し出した。少しの逡巡の後、おずおずと重ねられた手をそっと握り返す。
馬車内でヴェイグさんを中心に立てられる突入作戦に耳を傾けていると、俯く彼女がポツリと零した。
「薬を盗んだのは庭師をしていたレニのお父さんだったの。酒乱でレニに暴力を振るって、常にお金に困ってたって……。お母様は研究費のために獣化の周期を変える薬や、フェロモンを抑える薬も作っていたから、きっと高く売れると思ったのね」
レナリスは父親が盗みを働いた事を負い目に感じていたのだろうか。そしてラヴィアは母親の薬がレナリスの父親を殺したと思っている。
「……レニはね、静かで大人しくて優しいの。私がお願いしたら、絶対に断らないの。私がお母様に牙を抜かれるのは嫌だって泣きついた時も、レニは『俺を噛めばいい』って言ってくれたの。だから……」
だからレナリスを人間に戻したかったのか。
ラヴィアは眷族になる事を強要したと思い込んでいるのだ。
「そっか。……彼はいい奴だね」
かける言葉が見つからなくて、私は毒にも薬にもならないような相槌を打つ。
きっと、強要されたなんて思っていないよ。でも、それを私から君に伝えるのは違うと思うから。
喉元まで出かかった言葉がもどかしい。
「……うん。そう、レニは、いい人よ」
ひと言ずつ確かめるように、自身に言い聞かせるように、ラヴィアは繰り返した。伏せた長い睫毛が目元に深い影を落とす。
眠れていないのだろうか、血の気の無い顔は疲労の色が濃い。ふと、いつから彼女はひとりで行動しているのだろうと疑問が湧いた。
「この街には彼と一緒に来たの? 一緒に居たあいつらは?」
ほんの一瞬、ラヴィアは辛そうに顔をしかめると、正面に座るアルをキッと睨みつけた。
「……貴女たちが通報するってレニを脅したんでしょう? レニは戦い方なんて知らないのに。あんなに歩けなくなるまで殴るなんて……。この街の地下にお母様の研究所があるから、そこで助けてもらおうと思ったの」
悪意が胸に痛みを残して背中を這い上る。
私たちは『即通報する』なんて言っていない。ましてや、歩けなくなるまで殴ったりなんてしていない。
「あいつらは、お母様が雇ったただの傭兵よ。私たちを監視して逃げられないようにするための」
「そう……」
カラカラになった喉でなんとか声を絞り出す。
『いい奴だね』ほんの数分前に自分が口にした言葉が虚しく頭の中に響いた。
彼以外にラヴィアを誘導し、操れる者は居ない。レナリスはラヴィアに伝える情報を意図的に歪めている。まるで、私たちがラヴィアとレナリスを排斥しようとしているかのように。
ならば、こうしてラヴィアの情報を頼りに、私たちが追いかける事も予想の範囲内だろうか。
――ああ、これはきっと罠だ。
***
「さて、俺たちも行くか!」
ライルはアンジェリカを振り返り、いつの間に手に持っていたのか、黒く丸い兜のようなものを被る。パチンと指を鳴らすと、その手に同じものがもうひとつ出現した。
不思議そうに見つめるアンジェリカの赤髪に被せると、顎のベルトを鼻歌混じりで留めた。
「これは何?」
アンジェリカの問いには答えず、手を引いて噴水近くのやや拓けた場所に連れて行く。
異様な装いの二人に、渋滞待ちの人々が注目し始めたところで、ライルはニヤリと笑った。
「さっき言ってた、親父の女を見せてやるよ」
十八時を過ぎてもまだ明るい真夏の太陽が足元に黒々とした影を落とす。日の高さにしてはやけに大きな影は、目の錯覚かと瞬きの間に実体化して銀色の鉄馬となった。
「これって……!」
「ここまで来るのに足が無かったからな。雪が無い今の時期しか乗れねえし」
慣れた様子でひらりと跨ったライルはセルモーターのスイッチを押す。ブオンと高く嘶いて規則正しくドッドッドッっと鼓動するそれは、シュセイルには二台しかないという魔導二輪車。
「横乗りは危ねえから、跨いで乗れ。ほら、来いよ。大丈夫だから」
いつも強気の彼に、気遣わしげに顔を覗き込まれて、アンジェリカの頬が朱に染まる。
「……スカート捲るから、あっち向いてて」
ライルが視線を逸らしたのを確認してから、アンジェリカはサマードレスの裾を太ももまでたくし上げてライルの背後のシートに跨った。彼の背中に頬を寄せて、腰に回した腕に力を込める。
「しっかり掴まってろよ」
アンジェリカが返事の代わりに頷くと、タイヤがキュルルと鳴いて煉瓦で舗装された道路に噛みつき、あっという間に加速する。
魔導二輪車が通り抜けた後には、赤紫色の光が尾のように長くたなびいていた。
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