32 美し過ぎるのも生きづらい
「……セラは嘘吐き公爵の話を知っているよね? ヒースはね、その嘘吐きと悪名高いクレンネル大公の息子なんだ。生まれつき魔法が使えない体質だってみんなに知られていた」
シュセイル王国の南にある白海に面した小国、ローズデイルを治めるクレンネル大公家は、太陽と光の神クリアネルの末裔を名乗る、白薔薇の
だけど、その御印が力を発揮したところを誰も見たことが無い。
白薔薇の御印を持って生まれる子は、どういうわけか生まれつき魔法が使えないのだという。そのためクレンネル大公家の白薔薇は偽物。初代王エリオスを騙して爵位を得た嘘吐き公爵と噂されている。平民の私まで知っているのだから、貴族の間では知れ渡っているだろう。
ヒースと初めて会った時に感じた違和感は、魔力を感じなかったからか。となると、ヒースは白薔薇の御印を隠し持っているってことだ。
もしかして、アルとヒースの仲が悪そうなのは
生まれた時から魔力と共に生きてきた私には、魔力が無いという状況が想像できない。ましてや、それが知れ渡っているなんて、戦う前から弱点がバレているようなものだ。
魔力による強化をせずにあれだけの剣技を身につけるというのは、天性の素質があったとしても並大抵の努力ではなかっただろう。
「五年ぐらい前、学院に入った頃のことだ。当時のヒースは、家門のことでいわれのない罵倒を浴びても反論せず、酷い扱いを受けても耐えるだけ。僕とは全く気が合わなくてね。見かねた親友のディーンが庇っていたけど、たぶんそれも妬まれる原因のひとつになったんだろう」
あのヒースがいじめられっ子だったなんて驚きだ。涼しい顔の下に苛烈な闘争心が潜んでいるって少し手合わせをしただけでもわかるのに。でも、今でもあんなに美男子なんだから小さい頃は、相当可愛かっただろうことは想像できる。
「その日、ヒースが無抵抗なことに調子に乗った馬鹿な奴らが、悪質ないたずらを仕掛けてきてヒースの名誉を貶めようとしたんだ。たまたま一緒に居た僕が巻き込まれた」
「アルが暴れる程の悪質ないたずら……って?」
嫌な想像を払拭したくて恐々尋ねると、アルは小さく鼻で笑った。言わなくてもわかるでしょ? そんな声が聞こえそうだ。
「当時のヒースの見た目は、十人が十人、女の子だと答えるぐらいの儚げ美少年だったからね。……ああ、未遂だから安心してね」
酷い目眩がして、私はぎゅっと目を瞑る。
だから真実を知る人たちはみんな口を閉ざしたのか。噂が拡がったら他人の口を介してどんな尾ひれが付くかわからない。
「僕は性格が悪いから『君が無抵抗でいることで守れるのは、君を傷つけようとする奴らの名誉だけだ。そんなこともわからない君を信じて庇った君の親友は、見る目の無い大馬鹿者だ』って思わず口を出してしまったんだ。――少しは効いたのかな? 初めてヒースに殴られた」
アルは眉尻を下げて困ったように笑う。少し嬉しそうに。
「相手が動揺して魔法を使ったから、後の喧嘩は僕が引き受けた。僕と楽しいことがしたいって言うから特別にサンドバッグにして遊んであげたのに、『こんなことして許されると思っているのか』とか『お前の家を潰してやる』とか言われたから、わぁーこわいなーと思って『脅されて怖いから、潰されないうちに潰しまーす』って言ったら遊び疲れて寝ちゃったみたい」
寝ちゃったってそれ気絶したのでは? と思ったけど口には出さなかった。まさかアルが狂犬中の狂犬だとは思わなかっただろう。
セシェルの加護が無い状態でその結果なら、加護があったら死人が出たかもしれないと思うと複雑な気分だ。
でも不思議なのは、それでどうしてアルが悪いことになっているんだ? ちょっと、いやだいぶ? やり過ぎ感は否めないけれど、無抵抗のヒースを傷つけようとしたのは向こうでしょう?
疑問が顔に出ていたのか口に出さなくても、アルには伝わったらしい。
「まぁ教官殴ったのがダメだったんだろうね。でもそいつらに罰を与えず、有耶無耶にしようとしたから仕方ないよね」
やれやれと大義そうに肩を竦めるので、なんだか心配して損した気分になる。ツッコミたいことは色々あるけれど……アルとヒース、二人が無事で良かった。
「そっか……。色々と謎が解けたよ」
アルが空になったティーカップにおかわりの紅茶を注いでくれたので、ハチミツをたっぷりと入れてかき混ぜた。バラ色の水面にハチミツの金色がきらきらと溶けていく。一口含むと花の香りに甘さが加わって、さっきよりも美味しい。
「酸っぱかった?」
「うん。でも、ハチミツ入れたらちょうどいい感じ。ありがとう」
モヤモヤした苦い思いを甘酸っぱい紅茶に溶かして飲み込んで、ホッと一息ついた。
会話が途切れて、ふとティーカップから顔を上げると、やや不満そうなアルと目が合った。
「な、……どうしたの?」
「いや、僕が言うのもなんだけど、何か大事な約束があるって言ってなかった?」
「ああ、それね。よくよく考えたら『また明日ね』って言われただけで約束したわけじゃなかったなーと思って」
私が時間を気にせずに、いつまでものんびりしているのが気になったらしい。
「どうせまた、はぐらかされると思っていたのに、ちゃんと疑問に答えてくれたから、もう行かなくてもいかなって」
ここにエリーがいたら、私にも駆け引きできたよ! って言えるのに! と、ふふんと自慢げに笑う私の前で、アルが「へーぇ……」と目を細めた。
テーブルに肘をついて指を組む背中に、どす黒いオーラを背負っている気がするのは気のせいかな?
「……大事な約束ってアイツに会いに行くことだったんだ。行く前に、相談してくれて良かったよ。黙ってのこのこ会いに行っていたら何をされたかわからない……」
「あははは! 考え過ぎだよ。嫉妬深い男は嫌われるぞー?」
明るく茶化したのが良くなかったらしい。アルは顔に穏やかな微笑みを浮かべるけれど、目が笑っていない。
「ふふ……僕はセラのそういう詰めが甘い所大好きだけどね。だからと言って、僕以外の狼男に会いに行くと言われて、はい、そうですか。って笑顔で送り出せるわけないだろう?」
「………………ん? えっ?」
アルは盛大なため息と共にがっくり項垂れると、どこか憐れみを込めた目で私を見る。
「図書委員の黒縁眼鏡でしょう? あいつ、狼男だよ」
「えっ……えええええーーー!? そんな! だって何の気配も感じなかったし、フィリアスからも何も聞いてないよ?」
『俺は立場上、獣人同士の恋愛や争いに干渉できない。誰々が狼の獣人でなどと教えることができれば話は簡単だが、君だけを特別扱いするわけにはいかないんだ。――名前までは教えられない。だが、君が最も注意を払うべきは、同学年のひとりだけだろう……』
頭を抱えてフィリアスのセリフを思い出す。
アルファルドが同学年の狼男なんじゃないかと確信し始めた頃から、そちらに集中して少し注意が散漫になっていたかもしれない。
だとしても、図書委員の彼からは嫌悪を感じなかった。
「普通、獣人は月が満ちるに従って強くなるんだ。だけど、君の場合は逆のようだね。何かの拍子に満月で鋭敏になったアイツの感覚が君を捕捉した。だけど満月で弱っている君の方はそれを感知できなかった……」
手の中に包んだティーカップには、まだバラ色の紅茶が半分くらい残っている。水面に映る私の顔は不安げに揺れる。
「……気になるなら探ってみる? それとも、大人しくフィリアスに報告する?」
そんなこと聞かれたら、調べたい! って言うってわかってるくせに。
「タイミングが良過ぎると思わない? エリーにフィリアスの目を向けさせて、君が僕を疑うように仕向けて。獣人の力が増す満月を待つなんてさ」
迂闊さを責められても仕方ないのに、アルの声音には私への気遣いを感じる。
「罠だよね。――でも、尻尾を掴むチャンスでもある」
ティーカップの中の不安をぐっと飲み干すと静かにカップをソーサーに置いた。テーブルを挟んで向かいに座るアルのエメラルドの目を見据える。
「一連の事件の黒幕が獣人なら、彼が何か知っている可能性が高い。私は、君やエリーやみんなと一緒に卒業できるように大事にならないうちに解決したい。……手伝って……くれる?」
きっと、私ならそう答えるってわかっていたんだろう。とろけるような優しい笑みでアルは頷いた。
「もちろん。頼ってくれて嬉しいよ」
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