FileNo.8 プリディクション - 07

「何だ、どうした?」


「ごーめーんーくーだーさーい!!」


 いつの間に移動したのか――視界の先、洋館風一戸建ての門扉もんぴの前で、涼はインターホンを連打していた。全力で駆け、涼の手を取って「なにやってるの!」と非難をあらわにする雨月だが、涼本人は「中に入れてもらおうと思って」とケロリとしている。


「こけつにいらざんばこじをえず、って知らない?」


「正しくは『虎穴に入らずんば』あるいは『虎穴に入らざれば』です!」


 下らないツッコミを入れた瞬間だった。


 閑静な夕暮れに、ギィ、と木のきしむような音が響いた。


 音の方角を見る。


「……ボス」


 スマートフォン越しに、雨月は率直に報告した。


「やっぱり罠みたいです。あと誘われてます」


 先ほどまで閉じられていた洋館の玄関扉が、軋む音を立てながらゆっくりと開いていく。扉の向こうは――暗黒だ。何も見えない。誰も居ないのに、独りでに扉が開いていく――。


「掛かってきなさいってわけね! じょーとうじゃない!」


「はいそこまで。暴走もいい加減にして」


 少女の肩を掴み、少し強めの口調で言い放った。一方、涼は。


「『用意周到で狡猾こうかつ』なら、逃げ道だって幾らでも用意してると思わないの?」


 振り返り、毅然きぜんとした態度で、逆に雨月を見据みすえた。


「わたしたちが罠に掛かった。そう思わせておかないと、きっと花子まじゅつしは逃げ出すわ。これまで全然捕まらなかったのだって、絶対、そうやって姿をくらまし続けてきたからだもん。


 いい、坂田? わたしたちがここで中に入るのは、あいつを逃がさないために百パーかくじつ必要なことなの! ハゲが来るのを待ってる余裕なんて全ッ然無いの、わたしたちには!」


「……あなたの言う事も、分からなくはないわ」


 小さく風が吹いた。遠くから樹々のさざめきが聞こえる。山が近いのかもしれない。或いは、近くに神社でもあるのか。駅からはそれなりに離れているから、地理的に有り得なくはない。


「だけど、それでも駄目。ここは我慢がまんして待ちなさい」


「なに、もしかして怖いの? 『どんな吠え面が見れるか想像するだけで面白い』とか何とか言ってたくせに、実は怖気づいてるわけ?」


 涼は小馬鹿にしたように笑った。雨月は不思議に思った。




 ――この子はどうして、こうも魔術師に固執こしつするのだろう。




「そうね。私の能力はサポート向きじゃないし、あなたと仕事を共にするのは今日が初めてで、連携の段取りも整えてない。あなたに万が一のことがあっても、私じゃあなたを守れないかもしれない。それを怖くないと言えば、嘘になるわ」


「サポートなんていらない! わたしは天才美少女霊能力者リョウ・アオキだもん! わたしに、燃やせないものは無し、なの!」


「困った子ねぇ」


 雨月は溜め息混じりに言うと、観念してスマートフォンをバッグに突っ込んだ。通話は切っていない。ボスには、何やら言い争いをしている自分たちの声を届けられるだろう。


「なら提案。涼ちゃんはここで私たちのボスを待ってて?」


「はぁ? だからそれじゃ――」


「代わりに私が一人で中に入る。これなら涼ちゃんに万が一は無いし、『花子魔術師』を簡単に逃がすことも無い。ね?」


 そう言うと返事を待たず、雨月は開いた扉へと歩いた。「ちょっと!」と、次は涼が非難するように声を上げるが、聞く耳は持たない。『自分一人なら勝てる』――それが彼女なりの経験値に基づく判断結果だ。少なくとも、涼を連れて行くべきではないという点に関しては、絶対の自信がある――。


「あ、エリザベス!」


「えっ?」


 後方で驚愕きょうがくしたような声がして、思わず雨月は振り返った。振り返った直後、しまった、と彼女は胸中で吐き出した。理由は単純で、背後にはエリザベスの姿など何処にもなく――代わりに。


 自身のすぐかたわらを、小柄な少女が通り過ぎていったからだ。


 あっという間だった。


 次に振り返った時には、既に涼の体は洋館の玄関口に立っていた。


「……だましたわね?」


「今時あんな手に引っかかるなんて、わたしの方がびっくりしてるんだけど?」


 玄関口から、どこか満足げに涼が言う。舌打ちしつつ、雨月は一足飛びに少女のもとへ跳んだ。


 刹那せつな


 がん、と頭部に正面から強い衝撃が走った。まるで何か硬いものに突っ込んでしまったかのような痛みに思わず苦悶の声を上げつつ、雨月はよろめく。掛けていた伊達眼鏡が衝撃で敷石の上に転がり、彼女は慌ててそれを手に掴んだ。そして改めてそれを拾い上げ、掛け直した時。


 彼女は見た。


 自身の前方。地上一メートルほどのところに、一枚の紙きれが浮遊ふゆうしているのを。


「何これ?」


 思うに、それは宙空に突然現れたのだろう。雨月だけでなく涼もキョトンとしている。紙色は白で、光沢は無く、大きさはA4サイズ程度だ。それは丁度、雨月と涼の中間地点に、両者に両面を見せつけるように浮かんでいて、雨月は嫌な予感に全身を包まれながら、その白い紙の表面へと視線を走らせた。


 何やら文字が書かれている。日本語だ。雨月には、こう読めた。




『あなたは、この館から出ることは出来ない』




 ――雨月は直感した。


「涼ちゃん! 読み上げ――」


「『あなたは、首を斬られて死ぬ』って書かれてる。なにこれ?」


「――ないで、って言おうとしたのにもうっ!!」


 文句を言った直後、風を切る音が雨月の耳に届いた。無意識的に横へ跳ぶと、雨月の元居た場所に一本のペティナイフが突き刺さる。


「えっ、えっ、なに? わたし、何かした?」


 敷石に刃の中ほどまで食い込んでいるペティナイフを見て、涼が驚愕の声を上げる。雨月は心の底から後悔していた。確かに涼は除霊師として有能だろう。コーダーとして国に登録されるだけの先天的な――かつ驚異的な特異能力も持っている。だが、圧倒的に経験が足りない。


「坂田、上!」


 また風切り音がして、雨月は次に後方へと跳んだ。どこからやってきているのか――彼女の通り過ぎた大地に次々とカッターナイフや事務用の洋鋏ようばさみ、折れた木の枝などが突き刺さっていく。


「坂田なにこれ!? あんた狙われてない!? っていうかどこから飛んできてるのコレ!?」


「どこからかは知らないけど、狙われてるのは確かね」


 門扉の外まで追いやられて、雨月は周囲を見回した。遠くからの木々のざわめき――それがどこか強く響いてきている。門扉から玄関口の間に家庭的な刃物に交じって尖った木の枝が突き刺さっているのを改めて確認してから、雨月は自身の直感に誤りが無かったことを再認識した。


「涼ちゃん、一旦退きましょう! 呪いのかかった状態での追跡は流石に無茶があるわ!」


「呪い? えっ、えっ、何で?」


「あなたが、その紙に書かれてる『呪文』を読み上げちゃったからよ!」


 そう、呪文だ。今も涼の眼前に浮かんでいる白い紙――そこには表裏に別々の言葉が記述されているのだろう。そして読み上げることで、『向かい合った相手』に特定のルールを強いる。先程の場合、雨月が紙の内容を軽々しく読み上げていれば涼は『館から出ることは出来な』くなっていただろうし、逆に涼が自身に提示された内容を読み上げてしまったせいで、『首を斬られて死ぬ』というルールが涼の向かい合っていた相手――即ち雨月に強制されてしまった。


 先日、ふるい学校で晶穂しょうほと涼が直面した、『トイレの花子さん』をかたる魔術装置の話を思い出す。あれも確か、装置を『被害者自身に起動させる』という代物だった。


 得てして魔術や呪術と呼ばれる類のものは、クリアすべき条件が多ければ多いほど凶悪な効果を発揮するものだ。恐らく、この『他者に発動のトリガーをゆだねる』という不確定要素の高い呪術も、それに見合うだけの危険な力を有していると見るべきだろう。


「あっそういうことね! これ呪文だったんだ」


「納得してないで! 早くこっちに――!」


「ならコレ燃やしちゃえばいいんじゃない?」


 言うなり涼は右手を広げ、まるで獣が爪を振るうが如く、浮遊したままの紙切れへと、宿した炎を投げつけた。白い紙は呆気なく炎に飲まれ――真っ黒な炭と化して崩れていく。


 また、風の音を雨月は聞いた。バッグを盾代わりに顔の近くへ持ちあげた途端、強い衝撃と共に細長い木の枝が数本、小綺麗なトートバッグの側面に突き刺さる。――涼の思惑と異なり、呪文の書かれた紙を燃やしたくらいでは、この呪いは解けないようだ。


 では、どうすれば解呪できる?


「ダメみたい! よし、坂田! あんた、逃げるかどこかに避難してて!」


 お気に入りのバッグがボロボロになりかすかな怒りを覚えながら思考を巡らせる雨月へ、未だ玄関口に居る涼が叫んでくる。更に嫌な予感がして少女の行動を制止すべく名を叫ぶが、その横からまた呪いの矢が――今度は木の枝に加え出刃包丁まで向かってきているのを、雨月は横目で確認した――飛んできて、雨月はその場でバッグを振るい、何とかそれらを叩き落とす。


「わたし、花子まじゅつしを止めてくるから! それまで何とか耐えて!」


「コラ、待って! 待ちなさい!!」


 涼が洋館の奥へ消えていく。その後を追おうとする雨月だが、絶え間なくやってくる刃物の数々がそれを許さない。やがてバッグは粉々になり、中身がバラバラと道路に散らばって、雨月はついに観念した。




 ――逃げるしかない。




 彼女は夕暮れの道路を走り出した。少なくとも、何らかの物体が首を狙って『飛んでくる』ものであるらしいことから、屋内・あるいは障害物の多いビル街などに向かうべきだろう。本来なら涼の後を追って洋館に入りたかったところだが、どうもこの呪いの『矢』の数々は、それを阻止したがっているように思える。なおかつ、先ほど玄関に向かおうとした瞬間、何かにしたたかに頭を打ち付けたことから、あの洋館の玄関口付近には目に見えない障壁が張られている可能性も否定できない。再度見えない壁に突っ込み、ダメージを受けたところに刃物が飛んで来たら、呪文で示された未来があっさり実現することになるだろう。




 ――でも、なら一体、どこに逃げ込めば?




 風を切る音がする。風を切る音が近づいてくる。その音に身をさいなまれながら、逃げ込める場所を探しながら、雨月はとにかく駆けた。


 安全な場所が右か左か――それすらも定義できぬまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る