FileNo.8 プリディクション - 03

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 タンタン、という心地よい音と共に、足元が振動する。それを受け止めながら、坂田雨月は静かに窓の外を見ていた。


 電車は丁度、大きな河を渡るところだった。真っ赤な夕日が、遠くの鉄橋と河を照らし、まばゆい輝きを雨月に返している。それは何て事の無い、何処どこにでもある日常のワンシーンだ。それでも、雨月はうっとりしながら、ドアにもたれ掛かりつつ窓の外を見つめ続けた。白いシャツと膝までのネイビーフレアスカート、小さめのトートバッグ。傍目はためには仕事帰りのOL以外の何者でも無い平凡な格好だが、きっとここに幼馴染の雷瑚晶穂らいこしょうほが居たら、彼女に告げてくれた筈だ。「うーちゃんはお洒落しゃれだな」と。


 それに対して、彼女は微笑んで返すのだ。「しょーちゃんに頓着とんちゃくが無さすぎるだけよ」と。そして二人でまた窓の外を見る。窓の外の、平平凡凡で、しかし見るものを掴んで離さない破滅的なまでの美しさの夕陽を。


 そんな夕方を、彼女は望んでいた。


 筈なのに。


「ねえ遠くない?」


 雨月は隣から放たれたぶっきらぼうでキーの高い声に、現実に引き戻された。溜息ためいきをついて、彼女はドアのすぐ傍の座席に座る『同伴者どうはんしゃ』へ視線を向ける。


「目的地までは……あと十分くらいだから、もう少しだけ我慢してね」


「こんなに掛かるんだったら、何か暇つぶし出来るものでも持ってきたのに」


 ぶう、と頬を膨らませる小学生――青樹涼の姿に雨月は苦笑する。そして、そんな雨月へ、涼は電車に乗ってから二度目となる質問をする。


「あの暴力女はいつ合流するの?」


「早ければ十九時くらい、場合によっては今日は不参加……って言ってたけど」


 チラリと腕時計を見る。十七時。雨月が出立する前、晶穂は保健室でグースカ寝ていたが、相談者・東栄絵が晶穂を起こすのがいつになるかは雨月にも測りかねた。何やら深刻な様相の友人の話を聞いてやって欲しい、ということだったが……。


「不参加、って! そういうの、がない、っていうんじゃない?」


「寂しい?」


 不満げな涼をからかう気満々で尋ねながら、一方で雨月は思う。当事者意識がありすぎるのも困ったものだ。


「そんなのじゃない! ただ不満なだけ。だってあいつ、この前も『花子まじゅつしの調査を一人でやるな、調査するなら自分を絶対呼べ』ってぎゃあぎゃあ言ってたんだもん。それなのに」


「はなこまじゅつし?」


「『花子さん装置を創った』まじゅちゅ……魔術師! だから花子まじゅつし」


「残念な命名されちゃったのね」


 とはいえ名を付けることは重要だ。それが標的であり、戦う相手と認識するのであればなおのこと。一方的な命名とて、それが相手の本質の一部を示しているのであれば、呪術の対象とすることすら可能となる。……まぁそれは置いておいて。


「あんまり肩に力を入れ過ぎないでね。今日の調査は『念のため』の実地調査なんだから。完全な無駄足になるかも知れないし、期待しすぎないように」


 雨月はこの点が一番心配だった。彼女の言葉は真実そのものであり、率直に言って「有力な手掛かりが得られるとは考えにくい」とすら思っている。それでもボスは「念のために実地調査をしろ」と言い、「ならあたしが行くよ」と晶穂が言い、「暴力女が行くならわたしも行く」と涼がどこかから聞きつけてきた。こうして調査決行日、よりによって東栄絵からの緊急依頼が入ったため、晶穂は日中の勤務地である高校に残り、代わりに雨月が涼と向かう羽目になる、という雨月にとっては実に面白みのない現況に至る。


「でも変なことは在ったんでしょ? これから行くところに。……あと何分くらい?」


「五分くらいかな。変なこと……在ったって言えば在ったんだけど。


 ……あれ、涼ちゃんはその話、雷瑚らいこ先生から聞いてないの?」


 涼は首を縦に振った。思わず雨月は溜息をつく。やはり当事者意識がありすぎるのは困ったものだ。『晶穗が調査に行くなら自分も行く』という実に短絡的たんらくてき衝動しょうどうだけが涼を動かしている。……経験の少ない、それも小学生の除霊師に、これ以上を求めるのはこくかも知れないけれど。


「クラスメイトには内緒よ?」


 どこかで見た――確か同じ講に属する先輩・かさねと共に見たアニメの一節をもじってから、雨月は語り始めた。


「二週間くらい前、涼ちゃんが掴んだ『花子魔術師』の手掛かり――相手の身長とか外見とかをもとに、私たちのボスが日本中の同業者に調査の依頼をしたの。危険な魔術師の足跡を調査されたし――ってね。そして新旧こもごもの目撃証言から幾つかの潜伏候補地が挙がって、実際に何人かは実地調査もしてくれた」


「えっ、わたしたち以外にも動いてる人がいるの?」


「そうよ? 何せ相手はこれまでに何人も子供を殺してるんだもの。だから丁度、指名手配犯と同じような扱いを受けてるわ」


「でも、花子まじゅちゅしを倒すのはわたしなのに!」


 涼は憤慨ふんがいした。雨月は苦笑する。


 やはり子供は苦手だ。


「話を進めるわね」


 タンタン、という電車のかなでる音の間隔が、段々長くなっていた。どうやら目的地の駅が近づいているらしい。雨月たちの住む町から電車で約一時間弱、乗り換え二回――子供からすれば十分に長く感じるであろう電車での移動も、そろそろ終わりが近づいている。


「実地調査の結果、それら潜伏候補地で魔術師が見つかった、なんて報告は無かった。当然だと思うわ。そもそも涼ちゃんが見つけた手掛かりは、今から数十年前の人物像だった。だから最悪、装置を造り上げた本人は既にこの世に居ない可能性だってある」


「装置は残ってるのに?」


「ピラミッドだってファラオが死んだ後も残ってるじゃない」


 この例は適切じゃなかったな、と雨月は胸中でつぶやく。罠に掛かったものの生命を強制的に奪いとる装置と、死後の復活を願って作られた遺跡。目的が違うものを同列に語るのは、正しいモノの見方とは言えない。


「ただ、一つ残念な連絡があった。実地調査を担当していたうちの一人――これは除霊師じゃなくて除霊師が雇った探偵さんだったんだけど――が、事故にって亡くなったの」


「事故?」


 涼が怪訝けげんな眼差しを向けてくる。本当にそうなの、とでも言いたげだ。


「少なくとも警察の見解では『事故』と判断されてるわ。飲酒運転の乗用車にねられて……っていう交通事故。私も調べてみたけど、事故を起こした犯人は魔術師どころか私たちの業界と一切繋がりは無かったし、事故発生後に犯人と面会した私たちのボスも『犯人が呪いに掛かってる感じはしなかった』って言ってた。タイミング悪く発生した偶発的な事故……って考えるのが妥当だと思う」


「でも、調べに行くんだ」


 涼が立ち上がった。同じく、ちらほらと空席が点在する車両内にて複数人が立ち上がる。


 目的地はもう、すぐそこだ。


「そうね。だけど、さっきも言ったけど、あくまで『念のため』よ。期待はしないで」


「さっき言ってた『ボス』って、あのデブのハゲで合ってる?」


「確かにハゲでデブでミリタリーオタクで煙草臭くてたまに鬱陶うっとうしい絡みしてくるけど、あれで結構凄い人なのよ?」


「わたしそこまでケナしてないんだけど……」


 若干引き気味に涼は言った。しまった、と雨月は胸中で呟く。本音が口を突いて出てしまったらしい。


「でもママが言ってた。あのハゲ、かなり強い霊能力者だ、って。……そんな奴がわざわざ、あの暴力女やおねーさんに『行ってこい』って言ったんでしょ?」


 なら何かあるんじゃない、と静かに涼は言った。


 どうかしら、と雨月は返した。


 電車が止まり、ドアが排気音と共に開く。


「もう一つ聞いていい、おねーさん?」


 ドアの外に出て、大きな屋根の下のホームを歩く。雨月は涼と歩幅を合わせながら、「坂田雨月よ」と、改めて名を名乗る。


「じゃあ、えっと……坂田おねーさん? おねーさんも『コーダー』なの?」


 温風がホームをでていく。仕事帰りと思しきスーツを着たサラリーマンや、セーラー服を着た女子生徒などの足音が、電車の発車音をかき乱していく。その中で、雨月はにこりと微笑ほほえんだ。


「どう思う?」


 涼は返答しなかった。二人はそのままホームの中頃にある階段を降り、改札を抜けた。




 ――涼ちゃんもコーダーになったの?




 一瞬、質問しようか迷って、しかし雨月はそれを喉元のどもとで食い殺した。つい先日、ボスが晶穂と共に涼を役所に連れて行ったという話は聞いている。この国において、彼女を正式な除霊師として認めさせる手続きのため。つまり……えて尋ねる必要はどこにも無い。


 では、自分のことを口にする必要はあるか?


 この必要も、恐らく無い。


 同類の匂いは、自然と感じ取れるものだ。


「――さて。ここからどうしようかな」


 改札を出た先に広がっていたのは、全国どこにでもある、典型的な『駅前』の光景だった。バスロータリーがあり、ロータリーを見下ろすようにビルが並んでいて、それらビルには『英会話』だの『銀行』だのと書かれた看板がおどっている。ビルとビルの間には二車線道路が敷設しきせつされており、乗用車や軽トラックなどがひっきりなしに流れていた。自転車の前籠まえかごに大きくふくらんだビニール袋を載せている主婦も居れば、数名で並んで大きめの歩道を行く学生たちの姿も見られる。夕陽の中、家路につく人々の様子からは、少なくとも一見して『呪い』などというおどろおどろしい言葉を抜き出すことは出来そうもない。


 平々凡々とした、日常。それ以外に、この光景をどう表現すべきか。


「ひとまず、さっき言ってた事故現場にでも行ってみましょうか。現場百辺、はどこの業界でも鉄則だもの。どう?」


 提案してみて、それからようやく、雨月は同伴者の異常に気が付いた。涼は足を止め、駅前の交差点の一つを見つめたままピクリとも動かない。


「涼ちゃん?」


「メアリー」


「えっ」


 雨月が疑問をていすのと、涼が走り出すのは、ほぼ同時だった。雨月は慌てて幼い同伴者の後を追う。どうしたの、と声を出しながら。


 それに対し。


「居たの! 感じたの!」


 涼は振り返ることなく、自身の走る先にある交差点――変わった信号と共に歩き出した人々の一角を指さし、言った。


「この前、わたしが燃やした――魔術装置を守ってた『花子さん』に似た感じの子が、向こうに居た!!」

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