第8話 婚約者激変?せまる危機 3
お昼が過ぎた頃に、チャイムが鳴る。その音にソフィアはため息が出てしまった。
まだ近所で知り合いは多くはないし、近隣も裕福な商人の家が多く、使用人が細かいことを済ませてしまう。だから直接住人同士が接触をすることも少ない。
ソフィアの家のお手伝いさんは、朝に来て夕方には帰る。そしてお手伝いさんは、今日も昼食を作ってくれていた。
その間にソフィアは、キキとココに勉強を教えていた。
キキとココには学校に通うことも考えているが、今まで学校に行ったことがない二人であるから心配でもある。
悩んでいるうちに、日々が忙しく時間もあっという間に過ぎる。
「どうしよう……」
遠慮がちにまたチャイムがなる。するとキキとココが、二階にある自分たちの部屋から顔を出した。
一階にあるダイニングに降りてきて、人の気配がある玄関に視線を向ける。
「「姉さま?またオスカー?」」
声がそろうキキとココ。そう、『また』オスカーが来た。毎日ではないが、数日おきに来るのである。
本人は来ないこともある。最初は花束を渡すことから始まった。花束も大きなものではなく、両手に持てるくらいの大きさである。
季節の花を意識した花束は、ソフィアが好きな淡い色をしたものが多かった。
「出てくださるかしら?」
お手伝いさんはキッチンで片付けをしていた。ソフィアがお手伝いさんに頼むと、彼女は小さく頷いて来訪者を迎えるため玄関に行った。
「ソフィアさま、お花が届きました」
「ありがとう」
お手伝いさんが玄関から戻ってきて、花束を持ってきてくれた。綺麗な小ぶりな白い花だった。ピンクの花と黄色の花も入っていて、ソフィアが好きな色合いだった。
花を突き返すことも最初は考えたが、受け取ってもらわなければ捨てるだけと言われてしまう。
だが、もういい加減このプレゼントも止めてもらわなければ。
「つかいの方はまだいらっしゃるかしら?」
「ええ、今日はオスカーさまもいらっしゃるみたいです」
「オスカー様も?少し話をしてきます」
キキとココはソフィアの話には口を挟まず、もらった花を二人で見つめていた。キキとココも花は好きだ。
ソフィアは玄関に向かうと、いつも馬車を操縦している従者に近寄った。
「オスカーさまに取り次いでくださる?」
従者が頷いて、ソフィアは家の前に停車している馬車に通してくれた。従者が馬車の扉を開けてくれた。中に入れと言うことなのだろう。
確かに外で騒ぐわけにもいかないので、ソフィアは馬車に乗り込んだ。
「オスカー様……」
「ソフィア、今日も綺麗だね」
「……本気なの?」
今までこんな歯が浮くような台詞をオスカーは言ったことがない。
会っても、おざなりの挨拶のみ。今日の天気はいいですねという程度の世間話。彼はソフィアのことに興味がないのだなと思わせる行動だけだった。
だが、今は人がかわったようである。ソフィアは戸惑いしか生まれない。
「俺はいつでも本気だよ。ソフィアは俺の気持ちを疑うのかい?」
「疑問しかありませんわ。プレゼントは不要といったではないですか。もうこういうことは止めてください」
「花は嫌だった?」
「違います……花は綺麗ですけれど、プレゼントをもらう理由がないからです」
「俺が君にプレゼントを渡したい。それだけなのだが、ソフィアを困らせてしまったかな」
ようやく話が通じそうだとソフィアは、期待に満ちた瞳でオスカーを見つめた。 オスカーはソフィアの色素の薄いキャラメル色の瞳に惹きつけられるよう見つめてきた。なんだか変な雰囲気になっていないだろうか。
ソフィアの手に手を乗せてきた。
「お、オスカー様……手を離してくださらない?」
「おっと、君が綺麗だから思わず。失礼を許してくれないか?」
ソフィアは驚きしかない。今まで触れられることなかったのだ。幼い頃、一緒に遊ぶことも多くて手を繋ぐこともあった。
だが、思春期になれば男女二人が一緒にいることは、周囲が許さない。ソフィアは祖父同士の約束があり、身分差のある婚約をした。でも、オスカーとは公の場所以外は出歩くこともなくなってしまった。
であるから、こうやって手が触れあうことは久しぶりだ。オスカーは手袋をしていて、直接ソフィアの手に触れてはいない。
布越しにでも感じる、男の人の手にぬくもり。女の人よりも、大きい手のひらは、簡単にソフィアの手を覆ってしまう。
「あの……オスカー様には、何もわたしと居てメリットはありませんよね。だって、爵位もない。わたしのようなものは他にもたくさん社交界ではいますわ。もっと綺麗で、もっと華やかで。そうオスカーに釣り合う人が。だから、こうやって来られても……何が目的なのかわかりません」
「ソフィア……メリットとか。そういうことを言いたいのではないよ」
「貴族の結婚なんて、ほとんどが家同士の利益のためでしょう?わたしたちも、お祖父さま達が決めたから。お祖父様が、オスカーのお祖父様と仲がよかったから」
「ああ、俺のお祖父様はソフィアのお祖父様に感謝しているよ。何度も我が家を助けてくれた。領地が不作で食糧がなくなったときも、一番に支援してくれた。作物が疫病になったときも、専門家を王家よりはやく派遣してくれた。それに、俺の父が事業の負債をかかえたときも、資金を援助してくれたね」
「それは、お祖父様同士の友情で成り立っていたことです。もし恩を感じているなら、お祖父様にお返しください。わたしはお祖父様に自分のことは自分でできるよう、教育を受けました。わたしたちは自分たちで今の道を選んだのですもの」
「手伝えることはないということか」
「もし事業のことで、援助いただけるなら。それはフレーベル叔父様や、お父様にかけあってください。父や叔父の領域に、わたしが口を出すことはしません。叔父さま達の力を信じていますもの」
ソフィアは真っ直ぐ、オスカーを見つめた。
もし同情をしているなら、それは一切不要だという念をこめたつもりだ。ソフィアたち家族は、自分たちで生きていける。誰かに下手にでて、お情けで助けてもらうなんてまっぴらだ。
そんなソフィアの視線を受けたオスカーは、どこかソフィアを見つめたまま、時間が過ぎた。
沈黙が過ぎる。オスカーの手が、ソフィアの頬に触れた。ソフィアはその手の意味することがわからなかった。瞬きを続けていると、オスカーの端正な顔が近づいてきた。
ソフィアはそのとき初めて今の事態を把握(はあく)した。
そう、今ソフィアがいるのは馬車のなか。昼間ではあるが、照明もない馬車のなかは薄暗い。そんな密室空間で、男女二人きり。
まるで逢い引きではないか。ソフィアは普段ならこんな軽率なことをすることはない。だが、幼なじみであり、元・婚約者だからと思い油断してしまった。
「やめっ……」
ソフィアは体が強ばり、肩をすくめて顔をそむけた。なんだか怖かった。今までオスカーをそんな対象でみたことがなかった。男性ではあるけれど、あくまで家族の延長のような存在であった。
友人でもないが、他人でもないオスカー。
「髪の毛に、花びらがついていたから」
「花びら?」
オスカーが手のひらにのせた、白い花びら。それは、ソフィアが受け取った花束の花びらであろうか。そんなもの、いつの間についていたのだろう。
ソフィアは、自分が過剰に反応してしまったことに急に恥ずかしさがこみ上げてきた。そうだ、自意識過剰である。オスカーがソフィアをそんな対象でみているなんて、あるわけない。
「あ、ありがとう。じゃあ、わたしは失礼します。もう花束もいらないし、何もいらないの」
「じゃあ、ここに来る口実を作れないじゃないか」
「なぜ来るの?」
「だから、ソフィアに会いたいからだと」
「冗談言わないで」
ソフィアは信じなかった。ソフィア自身が一番知っていることだ。
釣り合わないということを。
それは社交界で囁かれていた事実。そして、オスカーは小さい頃から美しく、神童と言われる才能があったこと。今は、平凡になってしまったようであるが、それでも隠しきれないオスカーの優秀な面も。
ソフィアは釣り合うよう努力しようとした。だが、凡人が着飾っても見られる程度にはなるが、元々のつくりというものがある。
社交界には、親が美形で、本人も芸術作品のような美しさの貴婦人がたくさんいる。美貌も、生まれも、そして財力も、才能も。
努力しても届かない世界があることを、ソフィアは身にしみて理解していた。
「あの世界に戻るのは、嫌なの。もうわたしを忘れて」
「ソフィアは、自分を卑下しすぎだよ。君はこんなにも美しいのに」
「手に入らないから?それとも、平民だったらもてあそんでもいいといわれたの?」
ソフィアはこのままだと、オスカーが帰してくれないと思った。だからこそ、相手が傷つくことを口にした。
そう、あえてだ。ソフィアがあの世界に戻りたくないのは、本当。わずらわしい世界であるのも本当。だが、そんな世界もそれなりに順応すれば、嫌なことばかりではなかった。
だが、かよわい乙女を演じてオスカーから離れでもしないと、オスカーは懲りずに来る可能性がある。そして嫌な女を演じて、離れられるならば、好都合だ。面倒ごとは早めにきりあげることが得策である。
「ソフィア……、誰にも言われていない。どうすればわかってくれるんだ」
「それはこちらの台詞よ。どうすれば、あなたはわかってくれるの?」
オスカーはなかなか折れない。こうも手強い相手だと思わなかった。もっと単純だと思っていた。頭のいい人だとは思っていたが、ある程度強めに発言すれば、引くことがおおかった。
だから、ここまで厄介な人物とは思わなかった。なんだか、いろいろと面倒くさい。
「もう!来なくていいですからね。絶対にこないでね!絶対よ!」
「そう言われると、来てくれって言われている気がするけれど」
「やめて!」
頭がおかしくなりそうだ。これ以上かかわってはめんどうだ。ソフィアは、相手を振り切るように、馬車から降りようとした。
だが、一言お礼は言わなければ。もらったものには、お礼を言う。これはお祖父様からきつく言われたことだ。
「オスカーもうプレゼントはいらないけれど。お礼だけは言っておくわ。ありがとう」
「どういたしまして」
ソフィアはそのまま馬車を降りていき、家の中に入っていった。
そんな後ろ姿を見つめていたオスカー。その顔つきは楽しげだ。オスカーはソフィアの表情を見ながら、何を言おうか考えていた。
彼女に触れてみたら、子ウサギのように震える様は、オスカーの雄としての本能を刺激される部分もある。
強気で責任感があって、でも健気な面もあるソフィア。そして本人は自覚していないが、十分に魅力的な美しさが彼女にはある。
「ソフィア、お礼なんか言っちゃだめなのに。ほんとうに可愛いな」
おかしそうにクスクスと笑い声をたてながら、オスカーは椅子に座り直す。それを見た従者は黙って馬車の扉をしめた。
そして馬車はゆっくり出発した。
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