第4話 待っていました、婚約破棄が叶う日を 4

「お父様、いってらっしゃい」


 お昼のお弁当を作って、それをソフィアは父に手渡した。

 今日の献立は、買っておいたパンにチーズとハムと菜っ葉を挟んだものだ。付け合わせに、小さい果物を何粒かいれておいた。

 紙袋にいれたそれを受け取って、父は嬉しそうに笑った。


「ありがとう、ソフィア。まだ仕事は決まらない。だが、フレーベルがいろいろ動き回っていてくれている。父様はフレーベルの仕事部屋を片付けしているんだ。フレーベルは昔から片付けが苦手でな。家を引き払ったから、フレーベルの荷物が入りきれないのだよ」


「叔父様って、物に執着なさそうなのに。荷物があるのですか?」


「そうなのだ。私物はほぼないね。仕事関係の書類のようだね。しばらくそれにかかりきりになりそうだ」


「お父様も休憩はとってくださいね。今までお仕事をがんばっていたのですから」


「ありがとう、ソフィア」


 父はにっこりと笑った。

 人の良さそうな優しい笑顔。少し頼りない感じも受けるが、善人で人を裏切ることを決してしない。損な役回りも断ることもしない。かといって、愚鈍というわけでもない。

 父を見送って、ソフィアはキッチンまわりを綺麗にすることにした。

 ココとキキはまだ寝ていて、朝ご飯を用意しなくてはならない。

 

「お母様も、今日からお仕事だというし。ココとキキのお勉強を見なくてはならないわ」


 母は叔父の紹介で、貴族の息女達に歌や舞いを教える仕事をし始めた。

 母の歌や詩の朗読は、社交会で語り草になっている。

 華やかであるが、どこか凜々しい風貌の母。母には貴族のご令嬢やご婦人たちのファンがいるくらいである。


「姉さま……おはようございます」


「あら、ココ。おはようございます。キキはまだ起きていないの?」


 寝ぼけ眼でココが足下に近づいてきた。

 寝間着から服を着替えたらしいココ。キキの姿は見えない。

 今まで屋敷では自分で服を着ることは少なかった。だが、平民になれば飾り立てなくてもよいため、練習すれば自分で服も着られるものだ。

 あとは、ソフィアがいろいろ服を研究して、補正下着を着なくても綺麗に服がきられるために素材や形などを試作している。それをココやキキに着せている。

 ココやキキも、今では時間もかからず自分で着替えをこなす。試作品が良い感じに出来上がれば、仕事で請け負っている服にもアイディアを取り込むので、一石二鳥である。


「ココの髪の毛をあとで結わいてあげるから。テーブルに、パンとミルクがあるわ。スープは温めて自分でよそってね。できるかしら?」


「うん、ここに来る前に何回か姉さまに教えてもらったもん。ココはキキの分まで簡単にできるよ」


「ココはさすがお姉さんね。じゃあキキの分までスープをよそってあげてね」


「うん」


「朝ご飯を食べ終わったら、午前中はお勉強にしましょう。午後は市場へ買い出しに行きたいから、お手伝いさんに頼んで馬車を出してもらうの。ココとキキも行きましょうね」


「市場?行ってみたいな」


「午前中のお勉強がんばったらね」


 ココもキキも、順応性が高い。自分のことは自分ですること。屋敷を引き払う前に、しっかり話して練習をしてもらった。


 ソフィアは父の実家の方針で、小さい頃は王都から離れたところで暮らしていた時期がある。そこでは、お手伝いさんはいても、すべてのことは自分でやることが当たり前だった。

 最初はカルチャーショックを受けたものだが、祖父は生粋のたたき上げの事業主。

 もともと地方の地主家系であり、手広く事業をして農業王と言われるまでになった。その功績から、祖父は男爵の爵位を王からもらった。

 だが祖父は爵位に興味がなく、早々に引退して、また田舎に引っ込んでしまっている。


 祖父からたたき込まれた、『自分のことは自分でする』という精神はソフィアの中に残っていた。

 王都にある家に戻ってきたときには、裁縫や料理などはもちろん農作業や機織り、篭作りなどもある程度できるようになっていた。

 だから、この生活になっても不便なことが何もない。むしろ、自由なことが多くなり、毎日が楽しいと感じている。


「さて、叔父さんに流行の洋服の型紙。手に入れてもらえるって聞いたし。これだけで今日は1日がんばれそう」


 ソフィアの楽しみと言えば、ココとキキにお手製のお洋服を作って着てもらうこと。自分の服にはそれほど力を注がなくても、ココとキキには可愛い服を作りたくなる。

 これから前のように高級な布を買うことはできないだろうが、それはそれで新しい服作りが楽しめそうだ。


 ソフィアはキッチン周りを片付けて、お手伝いさんが来てから頼むことをリストアップしておいた。



*****



「フレーベル叔父様!こんな素敵な布も!型紙だけでも嬉しいのに!」


 夕飯の時間になり、ソフィアは簡単ではあるが、お手伝いさんが下準備をしてくれた食事に手を加えていた。

 そうしていると、父と叔父が家にきた。今日の仕事は終わりにして、家でお酒でも飲もうということになったらしい。


 フレーベル叔父さんからは、お願いしていた王都で流行の服の型紙を持ってきてくれた。

 懇意にしている服屋の主人が、ソフィアの服を気に入ってくれていて、店の一部にソフィのドレスを置いてくれているのだ。

 その主人が、ソフィアに型紙をくれたという。そして最新のモスグリーンの布をくれた。ソフィアの普段着にどうかと言ってくれたらしい。


「叔父様!本当にありがとう!胸がいっぱいだわ」


「ソフィアはあまり物をほしがらないけれど、服の材料だけは違うからね。しばらく家のことを任せきりになってしまうから。これからも家のことを頼むね」


「フレーベル叔父様。もしかしてお父様もお願いしてくれたの?」


「ばれてしまったか。そうフレデリック兄様が、このモスグリーンの布をみて一目で気に入ってしまってね。ソフィアが好きそうだなと言ったら、店主がくれるって言ってくれたんだ」


「まあ!」


「フレデリック兄様は、あの周辺の店では人気者だから。あまり物がほしいとは言ってはいけないんだよ。みんながこぞってくれるものだから」


「いや、みんながよくしてくれるんだよ。店主さんにはいつもお世話になっているから。父様は何もしていないよ」


「叔父様もお父様も、ありがとう」


 ソフィアは受け取った型紙と布を大切に作業台の上に置いた。そして父と叔父の夕飯を用意した。

 すると、仕事が終わった母も合流して6人で夕飯を囲んだ。


 慎ましやかだけれど、温かく優しい家。場所はかわっても、不便はない生活。

 ソフィアは近い距離で家族の顔を見ながら、誰に見られるわけでもなく、夕食をゆっくり食べられる喜びを噛みしめていた。

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