10歳
いたい
初夏。ミーアの月。
この地区で行われる入学試験まで1月を切っていた。
村は緑に覆われ、風はかすかに冬の名残を残しているけれど、夜には冬を耐えた虫たちの声が聞こえるようになってきた。
オレは10歳になって、髪もかなり伸びた。肩にかからないぐらいまでの長さで切りそろえている
。ようするにボブというかおかっぱというか。
髪はソレイユに任せっきりだから、切り目はかなりざっくりしているし。無造作ですらある。
それでも、オレを男の子と間違える人は居なくなった。
トラブルのないように。そう願った結果だ。
オレがすっかり女になるわけじゃない。だから構わないのだ。そう理屈付けていた。
相変わらずオレの心はどっちつかずのまま。このまま、ずっと中途半端な存在でいるのも悪くないし、何より痛くない。そんな事を考えていた。
「……いっ」
その日はシエルと一緒に家のお風呂に入っていた。
オレは体を洗おうといつものようにぞんざいに胸をこすった。
じんじんとした痛みがあって、声を上げそうになるのをなんとか抑えた。
「エカルテちゃん、どうしたの?」
湯船から心配そうにオレをシエルは見上げている。
シエルは11歳になり、ますます体は丸みを帯びてきている。
肩上で切りそろえていた髪を少し切り、ここでもオレと『おそろい』にしている。
「な、なんでもないよ!」
オレは何でも無い風を装って、笑顔を繕った。体を洗い続ける。
シエルの視線がとても気になった。彼女はじいっと大きな目でオレを見つめ続けている。
探るような目だ。時々、この子はこういう目をする。そして大体、オレの嘘はすぐにバレる。
「痛いんでしょ。心配しないでいいよ。胸が大きくなろうとしている証拠なんだって。お母さんが言ってた。一応、お母さんに相談する?」
「……いい。大丈夫」
「そっか。でもつらいときはすぐに言ってね。お姉ちゃんだし、わたし」
シエルは、オレを優しげな目で見上げている。
シエルや家族はいつでも優しい。
1年でかなり親しくなった。大好きな、オレの家族。
でも時々思う。彼らが見ているのは本当のオレなのか?って。
オレは本当は男で、素性すらも隠している。
親しくなる度に、本当の自分を見せていない事の罪悪感は大きくなっていく。
このまま、女になりきってていいのか?
胸だって勝手に大きく、なろうとしている。
わざと意識に上らないようにしていた。
10歳を迎えた頃から、オレの胸は膨らんできた。
最初は気のせいだと思っていた。
今でも、ちょっとした突起のようなものでしかない。
でも、シエルの胸を見るとわかる。
彼女は、ここも丸くなった。胸というよりおっぱいと呼ぶべきものへと変わりつつあるのが、はっきりわかってしまう。
シエルは、だんだん女の子になっていく。
先日、シエルに生理が来た。
リンバを締め出して3人で家族会議が開かれた。
そのうちオレにも来るから、と。対処の方法をソレイユは教えてくれた。
女である以上、面倒でも仕方ないのだ、とも。
オレの気持ちとは裏腹に、オレも女の子になっていく。
嫌だった。
体の変化を冷静に受け止めるシエルも、神妙な顔をして処理の方法を語るソレイユの顔も。
膨らんでくるおっぱいも、オレは嫌だった。
オレは、女になりたくない。でも今では本当に男に戻りたいのか、分からない。
大好きな家族はオレが男に戻ったら、きっと受け入れてくれない。
心がぐちゃぐちゃなんだ。
だからオレはずっと宙ぶらりんでいたかった。何かを決めるのなんてまだまだ先で良いのに、体だけが勝手に大きくなっていくことが、嫌だった。
隠し事と成長で、オレはいっぱいいっぱいになっていたんだと思う。
「私、先、上がるね」
目の前の景色が滲んできて、オレは慌てて顔と体を流してお風呂から出た。
シエルは何も言わなかった。
「はーあ」
お風呂から上がって、体はぽかぽかしている。
そのままベッドに寝転んでため息を付いた。
流石に、シエルの前で唐突に泣き出すのはまずい。
男として。
「はっ」
鼻で自嘲気味に笑った。
何が男だ。
落ち着かなくて、ベッドから立ち上がった。
眼前に水鏡を呼び出して自分の顔を映し出す。
髪の伸びた、10歳の少女。
おかっぱ頭で、やせっぽっちの、色白い少女がオレを睨んでいた。
目つきわりーなこいつ。
胸を押さえつけると、抗議するように痛みが返ってきて顔が歪んだ。
痛い。痛くて涙が滲んできた。痛みのせいだ。
「エカルテちゃん。入るよ」
ノックの音がした。
シエルの声だ。自分の部屋でもあるのに。
オレはとっさに目元を拭った。こんなところ見られたら、また心配されてしまう。
「あ、うん。大丈夫」
「エカルテちゃん」
入ってきたシエルは、オレの顔をまたさっきの目でじいっと見つめる。
「なに?」
「大丈夫?」
「大丈夫って、なにが? 私は何も辛いことなんてないよ」
こっそりと目元をもう一度ぬぐった。涙は隠せているはずだ。
暖かいものに、包まれた。
「ねえ、エカルテ」
シエルがオレを抱きしめている。オレの背中に手を回して、ぎゅうっと強く。痛いぐらいに。それから、背中を優しく撫でられる。
彼女の吐息がオレの耳元にかかった。
「こうすれば、顔見えないでしょ」
「な、なに? どうしたの急に」
「オレって言っても良いんだよ。わたしの前だけは」
「なんで……?」
「なんか、つらそうに見えたから」
「なんで……!」
なんで、そんな事言うんだ。
なんで、優しくしてくれるんだ。オレは素性すら明かしていないのに。
色んな気持ちがいりまじって、うまく言葉にならなかった。
ただ、
「どうあろうと、エカルテはエカルテだよ」
涙って勝手に、出てくるんだ、いつも。
「……シエル……オレ、怖いんだ……変わるのが……ずっとこのまま、いたい……のに」
嗚咽混じりに、ようやくそれだけ言えた。
「だいじょーぶ。ずっと一緒に居るから。わたしはずっとエカルテちゃんと一緒にいる」
顔、見られないで良かった。
それだけ、思った。後はよくわからないまま、泣きじゃくった。
シエルはずっとオレの背中を撫でてくれていた。
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