女になった第二王子が、辺境の地で暮らす話。
日向たなか
9歳
プロローグ
大粒の雨が、死体を濡らしている。
護衛達の流したどす黒い血が、ぬかるんだ地面に吸い込まれること無く流れていく。
オレは泥をすすりながら目だけを動かした。
襲撃者はたった一人の女だ。
仮面で顔を覆っているがその気配や魔術の組み立て方は、酷く見覚えのあるものだった。
その日は叔父であるバーデン公爵家へ向かう予定だった。朝から酷い大雨だった。
それでも、はじめての単独での外出にオレは心躍っていた。
半ば離宮に軟禁状態にあったオレを唐突に、単独で外に出す意味。最近の王宮のきな臭さ。
それらに何も感じなかったわけではない。
しかしオレはまだ9歳になったばかりで、こうした事柄が起きるのはもう少し先のことだと思っていた。
たまたまベテラン兵士達が辺境の蛮族とやらの対応に追われていて、偶然にもオレの護衛は不慣れな若者ばかりだった。
そして何故かしら馬車は大街道を使わず脇道へと逸れていく。たまたま御者が道を間違えたのだろう。
そうして、賊に襲われオレが不慮の死を遂げる事になるのは、きっと必然だった。
オレはもっと第二王子という自分の立場をわきまえるべきだったのだ。
オレは早熟だった。
そしてなにより魔術も、頭脳もはっきり言えば兄よりも優秀だったのだろう。
離宮から出ることが出来ず、稀に親族のパーティに出向く時と、師がふらりと尋ねてくる以外は、日がな本ばかりを読み耽る日々だ。
子供らしからぬ知識は得たが、自らの境遇に合った立ち振舞いを考えるには、対人交流経験値が、不足していた。
要するに、オレは調子に乗りすぎたのだ。才能をひけらかす必要なんて、まったくなかったのに、それに気づかなかった。
オレは兄の代わりに王になるつもりなど毛頭なかったが、周囲はきっとそうは見てはいない。
公爵家。諸侯。そして、実父と正妃。
兄という、将来的に都合のいい傀儡になるであろう存在を、より盤石にしたかったのだろう。
「エトワル様。お覚悟はよろしいですか」
「その声……フェッテ。お前か。やっぱりお前なんだな」
フェッテは俺の魔術の教師であり、敵の多い宮中で唯一心を許せる相手だった。
それを暗殺者として仕向ける悪意。そういうものがあそこには渦巻いている。
彼女の魔術により、ぬかるんだ地面におしつけられたまま、オレの体は動かない。
「申し訳……ございません。エトワル様」
「謝るな。お前が悪いわけじゃない。オレの立ち回りの問題だ」
9歳のガキに言われても、25歳の彼女には少しも嬉しくないだろうが。
死にたくない。
才能をひけらかすことなんて、もうしない。ひっそりとでいい。
あの本を読み耽る日々で、オレには十分だ。
周囲から疎まれようがオレは、生きたい。
だから、これはただ格好をつけただけなのだ。
こんな事を言いつつ、今この瞬間もオレは彼女の術を解く方法を考えている。
「ですが、」彼女の顔は見えないが消え入りそうな声だった。「あなたを殺すなんて、私には……できない……」
「……なら、なんとかして逃げられないか? 殺したことにでもすればいい」
頼むから。
「それも、できません。きっとあなたは生きている限り命を狙われ続けてしまう。姿を代えても、別人になりすましてもだめなのです。あなたがあなたの魔力を持ち続ける限り、暗殺者達はあなたを見つけてしまうでしょう」
フェッテの言葉はそこで一度途切れた。逡巡するように、彼女は胸元に手をやり、言葉を継いだ。
「よく聞いてください。これからかける術は、あなたを魂から作り変えてしまうものです。エトワル様。あなたは、記憶を持ちながら全くの別人になるのです。
王宮での暮らしも、これまでのあなたの人生も、全てを失ってしまう。私自身にもこの術は解くことはできません。この術は不可逆なのです。ですが、それでも。
エトワル様は、生きたいですか?」
彼女の手がオレの後頭部に触れる。慈しむような手の動きだった。それに反して、張り詰めたような声が頭上から降る。有無を言わせない凛とした響きがそこにあった。
「生きたいに、決まっている」
答えなんて決まっている。オレは即座に答えた。
そこからは、よく覚えていない。ただ、フェッテの泣き声を聞いたような気がした。
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