桜ヶ北工業高校 ロボット競技部

るた

前編

様々なトロフィーが置いてある廊下を一人の少女がぺたぺたと足音を立てて歩いていく。所々に何故かある勝手口付近から芝生マットが敷かれている。芝生マットは職員室まで伸びており、作業靴のままでも職員室まで行けるように配慮されたものである。少女はその職員室を通り過ぎ、その芝生マットのない先…廊下の最奥まで歩いていく。そして廊下の端っこにある扉に辿り着き、扉の前で立ち止まった。大きく息を吸って吐き終えると、少女は扉を三回ノックした。中から声は聞こえない。少女は1年生としていきなり扉を開ける真似はしなかった。それは失礼に当たると入学式の次の日から行われる学生指導で教え込まれたばかりである。今日は休みなのか…。少女は気を落とし、元通った廊下を戻ろうと振り返った。しかし視界に映るのはなんだかごちゃごちゃした廊下の景色ではなく赤色のスリッパを履いた先輩だった。赤のスリッパは二年生、黄色のスリッパが三年生、そして青のスリッパが少女と同じ一年生である。


「わっ!…あっ!すいません!その、びっくりして」


少女がわたわたと弁明を始めると、先輩は少女の顔を見て何か考えた後、何かを思い出したかのように少女に話しかけた。


「あ、枚方…さん?だっけ」


枚方と呼ばれた少女は顔を明るくして「そう!そうです!」と声を荒らげた。先輩はこの返事で何故少女がここにいるのか、そして少女が何者なのかを理解した。先輩は「待ってね」と言った後、扉の鍵を開けた。先輩は扉を開け、少女を中に案内した。


「ようこそ、ロボット競技部へ」


少女が足を踏み入れたのは、県内でも有名な工業高校『桜ヶ北工業高校』のとある一室。『建築科』と達筆な字で書かれた看板が置かれた棟の玄関を潜り抜け、ひたすら真っ直ぐ歩いた奥の部屋。その部屋こそ、『ロボット競技部』の部室。少女の物語が始まる場所である。



枚方と呼ばれた少女は部屋に足を踏み入れた。部屋には四つの作業台、部屋の隅には様々な工具や機械が置いてあり、その隣に『材料たちのすみか』と書かれた木の板と共に木材やアルミ角材などの材料が置いてある。壁には『目標:全国優勝』と書かれた紙や破れた『掃除当番表』がセロハンテープで貼り付けられ、ホワイトボードには『新入生回収計画』とでかでかと青いマーカーで書かれている。


「はは…なんかごめんね、ごちゃごちゃした部屋で」


「いや…全然気にならないです」


枚方は扉の裏に貼られていたロボットの写真を見つけた。見たことの無いタイヤ、リモコンのないロボット、隅々まで工夫を凝らしたであろう機構…。枚方の目は先輩に自身の素性を分かってもらえた時以上に表情を変えた。先輩…此花涼生は枚方の表情を見て、確信した。この子が、『先生』が見込んだ人材なのだと。涼生は『先生』が『絶対にこいつなら勝ち抜ける』という話をしてきた時のことを思い出した。涼生はまだ一年生で、それも秋頃の話だった。涼生が入学した時に同時に赴任し、ロボット競技部唯一の顧問となった『先生』は、特殊な立場なだけあるのか、その人間性も飛び抜けていた。別に悪いという訳では無いのだが、少なくとも敵を作りやすい人であることは確実である。そんな『先生』が評価した中学生とはどんな人なのだろうと聞いてみたら、なんと特にロボット競技チームの選手という訳でもない女子生徒。それのどこが良かったのか、マネージャーでも欲しいのかとまた聞いてみると、「な訳ないやろがい!」というツッコミとともに説明をしてくれた。


「サポートしてる時の様子見たら、そのチームは複数台ロボットが出場してるんだけど、全てのロボットの特徴を覚えていて、故障したロボットにそれぞれ的確な対処をして修復してた。特に準優勝したチームの話だけど、これもその子がサポートしてたチームのひとつなのね。準々決勝の途中でロボットが故障した。どうやらリモコンが不能になったようで、その試合はたまたま相手のロボットが初めから動かなかった。修理の時間もなく、準決勝で三位に落ちるかと思ったら、ロボットは綺麗に動いた。準々決勝と準決勝の間の時間はそう多くない…。その子は誰もが見るリモコンの内部配線ではなく、ロボット側にある配線を真っ先に見てたの。配線系の問題は慌てれば慌てるほど見つけづらい。大会中なら尚更。それでも彼女は冷静に診断し、原因を突き止めきちんと修理した。彼女のお陰でそのチームは準決勝して全国大会に駒を進められたってわけよ」


自信を持って話す『先生』の表情を見て、その生徒を絶対にこの学校に呼ぶ気でいることを察した。後々に『先生』が「あの子の学力さえ…学力さえ大丈夫なら…来てくれる…」と呟いていた。その大会の時にその生徒と少しだけ接触出来たようで、進路希望先は「桜工」と言っていたらしい。そして今、涼生の目の前に例の女子生徒が居るという訳だ。


「先生に会ったことはあるよね?」


涼生が写真を眺めている枚方に話しかける。枚方ははっと我に返り、「は、はい!入部の挨拶をさせて頂きました!」と慌てふためきながら答えた。この子は落ち着きがないのかな、と涼生は薄々思いながらも、枚方に「座って」と椅子を勧めた。枚方は「ありがとうございます」とお辞儀をし、椅子に座った。涼生も椅子に座り、少し枚方と話をしてみることにした。


「ロボット競技は中学から?」


「そうなんです、でも選手とかではなくて…皆の手伝いしてただけで」


「なんでロボット競技を始めたの?」


「わからないです」


「えっ?」


枚方の返答に思わず疑問符が飛び出てしまった。涼生は「ロボットが好きだから」とか「何か作るのが好き」とかいう答えが返ってくるものだと思っていた。涼生のきょとんとした顔を見て、枚方は言葉を続けた。


「ロボットが好きになったのは、ロボット競技を始めてからです。入った理由は、多分…」


枚方が核心を言いかけたその時、ガラリと扉が勢いよく開いた。その人もまた赤いスリッパを履いた先輩。メガネをかけた背の高い人だった。


「え、涼生、その子…」


「…新入部員」


「早くない!?まだ部員募集期間に入ってないよ!すっげーやる気あるやつじゃん!」


「あっ!自己紹介遅れました!機械科1年の枚方と言います!よろしくお願いします!」


枚方が立ち上がり自己紹介をすると、涼生達も自身の名前を枚方に伝えた。


「化学科二年、此花涼生。普通に涼生でいいから。一応キャプテン」


「機械科二年、和泉遥平。同じ機械科だから、マイちゃんとよく話すかもね!」


「あだ名つけるの早くね?」


「いいじゃん、ね、マイちゃん!枚方ちゃんのあだ名はマイちゃんで決定!」


「あ、ありがとうございます」


枚方は少し照れくさそうにお辞儀をした。遥平はやたら自慢気な顔をしている。涼生は少し枚方が遥平のせいで変な方向に行ってしまわないか心配になった。そしてまた、「あれ、どしたんみんな」と新たな声がした。新たに部屋に入ってきた二人も赤いスリッパ…二年生であり、枚方のスリッパは青…一年生である。二人もまた枚方がいることに驚き、枚方はまた二人に向かって自身を名乗った。


「機械科二年、富秋夏輝。マイちゃん…?と同じ科!副キャプテンです!よろしく!」


「建築科二年、黒石知世。よろしく」


夏輝は少し小太りで穏やかそうな人で、知世はかなり真面目そうな人だ。枚方は改めて「よろしくお願いします」と挨拶すると、涼生が「今の部員はこの四人だけ、なんなら女子の先輩もいない…一緒に来るって言ってた人はいる?」と枚方に聞いた。枚方は「いや、本当に私一人で来ました」遥平が「他の部活に興味は?」と聞くと「無いですね」とはっきり答えた。夏輝が「この部活、意外と顧問が厳しいからほぼ毎日部活あるよ」と言うと「平気です!」と自信を持って答えてきた。最後に知世が「本当に大丈夫?」と聞くと「負けないように、頑張ります!」と元気よく答えた。


「どう?やる気ある新星ちゃんは?」


枚方はこの声に聞き覚えがあるようで、声の主を見た瞬間、「香句寺先生!」と名前を呼んだ。


「私がこのロボット競技部の顧問をしてます、香句寺です…って言っても、マイちゃんの担任だったわ!さっきから盗み聞きしてたけど、ネーミングセンスあんま無いな!遥平!」


ずばっと言い切る香句寺に遥平はすこし「えぇ…そうかぁ…?」と項垂れた。「まぁ悪くは無いよな!」とフォローした後、香句寺は枚方の肩を持って、顔を近づけた。


「期待してるよ、一緒にもみじ饅頭食べようね!」


そう言うと香句寺は「少し所用がある故、今日だけゆっくり歓談を許そう。但し、明日からマイちゃんも含めロボット製作に励むこと!以上!」と言ってガラリと扉を閉めて行った。遥平は「相変わらず癖が強えー先生だなあ」と愚痴を零し、枚方はもみじ饅頭の事を考えていた。それを見透かした夏輝が「今年の全国大会は広島であるんだよ」と枚方に教えた。つまり、香句寺の言葉の意味は「一緒に全国大会に行こう」ということだ。枚方は目を光らせ、自身の夢である全国大会に想いを馳せた。今まで戦う選手達を支えた彼女は、これからは『選手』として活躍することになるのだった。



香句寺は部室を出たあと、建築科棟を出て本館へ向かった。この本館こそが生徒達の座学の場となる教室棟である。A棟、B棟、管理棟の三つに分かれる玄関口を通り過ぎ、多目的館に向かう。多目的館には多目的ホールや特別講義室、視聴覚室や図書館ホール、家庭科室に音楽室などが三階建てとなって併設されている。そして、校長室も多目的館の一階にある。香句寺は校長室の扉をノックした。中から「どうぞ」と重々しい声が聞こえる。香句寺はドアノブを捻り、扉を開けた。「失礼します」と言いながら扉を締め切ると、今まで真面目だった表情から一変し、嬉しそうな表情で「…っしゃああああ!」とガッツポーズをしながら叫んだ。いかにも高級そうな椅子に座る人物が「来たのか」と香句寺に問い掛ける。太ってはいるが貫禄のある顔立ちのこの人物こそがこの桜ヶ北工業高校の校長である山嶺である。香句寺は「そう!来たんですよ!」と嬉しそうに返答した。山嶺は「まぁ落ち着かんか」と立ち上がり、机の上にあった菓子箱を応接用の机の上に置き、「食べていいぞ」と言いながらソファに腰掛けた。「いや〜ありがとうございます先生!」と香句寺がまた嬉しそうに山嶺と向かい合うようにソファに腰を下ろした。


「それにしても、あの子は本当にうちの高校に行きたがってたのか?まさか無理矢理受けさせた訳じゃなかろうな?」


山嶺が少し不安げな表情で香句寺に問い掛ける。山嶺は香句寺から色々と聞いており、香句寺が『今からやろうとしていること』も知っている。その内容は『高校時代』から知っていて、まさか本当に実行しに来るとは思わなかったものの、今この仕事関係になってからも変わらずに相談に乗っていた。


「学力足んないから梅工受けるって言ってたけどそこはまぁ説得?みたいな?」


「進級出来るのか?」


「私よりは頭いいんじゃありません?」


にこにこと菓子箱に入っていた饅頭をもぐもぐと食べながら答える香句寺。山嶺はそれを見て「確かに。そんな気はするな」と笑顔で答えた。「うわっ、なんか嫌な気持ちです私」と香句寺は頬を膨らませた。


「…でも、辛いんじゃないか?」


「え?何がですか?」


「自分と重ねて見てるんじゃないか?それか、羨ましいと思っているとか」


香句寺の過去を知っているからこその発言。香句寺は少し考えて「うーん、どうなんでしょう。私は中学ロボコンの様子を見ていただけなので。あの子はきっと、勝ち進める」と答えた。しかしその後に、山嶺は窓の外を見ながら香句寺の核心をついた。


「『あの時』、羨ましそうに見ていたからなぁ。でも今は、羨ましいというよりかは、『鏡』を見るような目をしている。…思い入れが強いのはいいとは思うが、押し付けは教師としても、人としてもやってはいけない。それだけは心に留めておいてくれ」


香句寺は手を止め、山嶺の話を聞いていた。香句寺は「…ええ。その点は大丈夫です」と呟いた。山嶺は「私は支えるだけだ。この学校の校長として」と念を押す。香句寺は「元担任としても面倒見てくださいよ」とにやにやしながらまた饅頭に手を伸ばした。「嫌だったら去年お前をここに呼んでいないし饅頭だってやらんかったがな」と山嶺はもぐもぐと食べる香句寺を見ながら答えた。


「さてさて、どうやることやら」

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