第6話 空恐ろしくも姦しく
生徒一人が死んだとしても、日常、目立って変わることはそう多くはないのだと、昼休みになる頃には
2時限目以降の授業は平常通り行われ、英単語の小テストを前に、生徒たちの口からも不穏当な話題は遠ざかる。敦司たちが1年で、死んだのが3年の男子だというのもあるのだろう。面識もない生徒の死への悼みなど、そう長続きするわけがないのだった。
一昨日までの敦司なら、きっと彼らと同じだっただろう。
昨日、その現場を見たのでなかったら。
「――――」
繰り返すのだ。
頭の中で、耳の奥で、瞼の裏で、繰り返す。
あの悲鳴が。あの音が。白無垢花嫁が振り返る、あの一瞬の光景が――
「おーい、どうしたー? 顔色悪いぞ、
「……あ」
ひょいと覗き込んできたやる気のない顔に、ふと意識を取り戻す。
昼休みのざわめきが耳に戻り、広げかけた弁当の存在を思い出す。目の前の友人の存在も。
「だいじょーぶかー?」
「ああ……うん。大丈夫。少しぼーっとしてただけ」
「ふーん……。まー、具合悪いんなら、おとなしく保健室行けよー。そんで、食わないんなら、その弁当オレにくれ」
「やらないよ」
反射的に拒むものの、実のところ、食欲など一切なかった。
冷凍食品だらけの弁当を前にし続けているだけでも気分が悪く、結局、一箸もつけずに包み直して鞄に入れる。
「……やっぱり、ちょっと保健室行ってくる」
「おー。じゃあその弁当」「やらないよ」
しまうところを見られてしまった以上、鞄ごと保護しなければならないだろうかとも思いつつ、さすがにそんな馬鹿げた思考は放棄した。いくら
申し訳程度に手を振る田所に見送られ、敦司は静かに、教室を後にした。
保健室の場所は、正直に言って曖昧だった。入学にあたって一応の説明は受けたはずだが、日常的に使うわけでもない施設の位置をたった一週間で覚えられるほど、敦司の頭は上等ではない――少なくとも、敦司自身はそう思っている。
いざとなれば学校中を歩き回って探しても構わない。それほど広くもない校内だ、昼休みが終わるまでには見つけ出せるだろう。
そう思って歩き出した敦司は、しかし、西階段まで辿り着いたところで早々と足を止めることになった。
「あれ――昨日の」
聞き覚えのある声に目を上げると、見覚えのある女子生徒たちがそこにいた。
わざわざ思い出すまでもない。昨日、演劇部室にいた人たちだ。
総勢5人だったところから2人引いて、3人の女子が連れ立っている。そのうちの1人、腰まである長髪をなびかせた女子生徒が、小首を傾げて敦司を見た。
「えーっと……丹原くん、だっけ?」
「あ、はい。丹原敦司です」
どうも、と無意識の生真面目さで頭を下げる。3人のうち2人が先輩と思えば、自然、態度はそういうものになる。
目の前にした3人の名前を、敦司の方も覚えていた。
最初に声をかけてきたのは、2年生の
前者の二人はなぜだか手を繋ぎ合っていて、見るからに仲がよさそうだった。
その片方、澪が敦司へと尋ねてくる。
「昨日、あれから、大丈夫だった?」
「……えっ?」
「ちゃーんと寄り道せずに、お家まで帰れた?」
「あ、ああ……はい。ちゃんと」
補うような織江の問いに、戸惑いを押し込めて頷き返す。――一瞬、あの〈花嫁〉のことを聞かれたのかと思ったことなど、おくびにも出さず。
「ほんと災難だったわよねえ……あたしたちはともかく、丹原くんは。普段、あんなところに来ることないでしょうに」
「偶然にしても最悪の部類ですよね」とこれは南叶芽。
「あはは……」
ご愁傷さまと言わんばかりの二人分の視線を、曖昧に笑ってやり過ごす。
それについては、昨日のうちに、散々考え悔やみ怨んでしまった後だ。
あの時あそこにいなければ。あの時あの文句に惹かれなければ。あの時あの馬からチラシをもらわなければ――
なにを思っても、もはや後の祭りというやつなのだろうけど。
「……そういえば」
ぽつり、と澪がそこに滑り込む。
彼女が口を開くと、なぜか敦司は、つい身構えてしまう。
けれど続いた問いかけは、茫洋ながら想像していたどんなものとも違っていた。
「丹原君は、なにか用事の途中だったのかな? 引き止めてしまった?」
「え? いや別に……ああ、そうだ」
否定しかけ、思い直して問い返す。
「すいませんけど、保健室ってどこにあるか、教えてもらえませんか?」
「保健室?」
「その……少し、気分が悪くって」
嘘ではないのに気まずいのは、真面目さゆえの弊害だった。明確な怪我でも発熱でもないのに保健室に行くのはサボリだと、そういう認識が、意識に深く根ざしているのだ。それはきっと、敦司に限ったことでもないはずだが。
しかし演劇部の彼女たちは、別段なにを思うでもないらしかった。
「すぐそこだよ。面倒だし、一緒に行こう」
「えっ! あ、あの、別にそんな……」
返事も聞かずに歩き出す澪、その手に引かれて織江も続く。
躊躇っていると、突然その背中を平手で叩かれて敦司は飛び上がる。振り向くと、唯一同学年の南叶芽に、顎でついていくように促された。見た目にそぐわない、本腰入れてワイルドなしぐさだった。
2人の先輩たちは、すぐそばの渡り廊下を歩いていく。同学年女子の鋭い視線から逃れるように、敦司は彼女たちの後を追った。
「……でさぁ、ほんっと、あのアンケートよ」
追い付くのとほぼ同時に、うんざりしたような織江の言葉が耳に届く。どうやら朝の〈心のケア〉アンケートの話をしていたらしい。
「あんな似たような質問いくつも並べてさぁ、面倒臭いったら」
「まあ、『対処をしました』って実績がほしいんだと思うよ。先生方も」
澪の冷めた言い口に、隣を歩く叶芽が目を瞬く。
「それで本当に防げるか否かは、問題にならないってことですか?」
「かもね――。少なくとも1人の死者を出してしまった大人たち相手に、思春期反抗期まっただなかの私たちが、どれほど信頼を寄せるかという話かもしれないし」
「あ、そういう話なら、あたしはないわ。信頼とかない」
ないない、と織江は真顔で手を振る。嫌悪感すら滲ませる彼女と教師との間に、いったいどんな過去があるのか、敦司も知りたいような知りたくないような。
長い髪を繋いでいない方の手で振り払い、織江はなおも不機嫌そうに続ける。
「『イジメかっこわるい』なんて言うけど、かっこいいとか悪いとかの話じゃないわよね。普通に傷害事件よ。上履き棄てるのだって、教科書破ったり落書きしたりするのだって、普通に考えて器物破損だし。『それは犯罪です』って全面に押し出して、小学生だろうとしょっぴいちゃえばいいのに」
「加害者の権利なんて、本当は世の中、そんなに興味ないですよね。子供の未来がっていうのなら、親が代わりに実刑判決受ければいいと思うんですけど」
「なるほど。それで加害者子供は、隔離された施設でまとめて〈養育〉すればいいのか」
総括するような澪の言葉に「「それだ!」」と二人が声を合わせる。
「…………。過激、ですね……」
思わず呟くと、振り向いた澪が薄く苦笑する。
「ああ……別に本気で、心の底からの熱意を込めて、世の中に提案しようっていうんじゃないからね。戯言戯言」
「そうそう。思ったことを素直に垂れ流してるだけだから」
「そ、そうですか……」
だからそれが過激なのだと敦司などは思ってしまうのだが、彼女たちにはなんでもないことのようだった。
これも集団となった女子の強さだろうか……空恐ろしい。
思わず両腕を抱きしめる敦司にも構わず、3人の女子は、字義通りに姦しく盛り上がっていた。
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