第49話 甘すぎる僕のお姉ちゃんと予兆

 その後、僕と姉さんは家に帰ってちゃんとお風呂に入ってから、夕食を共にした。


 ただ……そこでちょっとした、ひと悶着があった。


 僕たちが家に帰るころには、雨も止んでいて困ることはなかったけれど、さすがに濡れてしまった服や身体が自然乾燥することはなかったので、お風呂に入るのは必然だったのだが……。


「ほら、りくくん。早く一緒に入ろう!」


 と、さも当然ながら姉さんはそんなことを言ってきたのだ!


 もちろん、レディーファースト以前に、僕がそんなことを許容するはずもなく団子拒否すると、珍しく姉さんはすぐに折れて別の提案をしてきた。


「そっか……じゃあ、りくくんから先に入らなきゃね」


 なぜそうなる?


「いやいやいやいや! どう考えたって姉さんが先に入るべきだよ!」


 誰がどうみても、ここは『姉さんが先にお風呂に入る』というのが正しいルートではないのか?


「ううん! ダメだよ! りくくんはすぐにでもお風呂に入らなきゃダメなんだから! あっ! お姉ちゃん、ちゃんと待ってるから安心して! もう勝手に一緒にお風呂に入ったりしないから!」


 どうしよう、今回ばかりは強行突破してでも勝手に入って来てもらいたいくらいの気持ちなんだけれど、こういう感じのときの姉さんは絶対に約束を守る気がする。


 いつもとは違うパターンの駄々のこね方に、どう対処していいのかわからない。


 もし、これが狙ってやっているのだとしたら相当なものだけれど、多分天然なんだろうな……。



「わ、わかったよ……それじゃあ……入るよ……一緒に」



 というわけで、僕と姉さんは姉弟水入らずというわけで入浴を共にした。


 もちろん、僕はできるだけ姉さんのほうを向かなかったし、以前みたいに身体を洗ってもらうなんてことは、何とか逃げ回って拒否をした。


 それでも、湯船に一緒に入るときはどうしても姉さんのどこかの身体に触れてしまって、恥ずかしくて死んでしまいそうだった。


 でも、やっぱり、姉さんの身体はどこも柔らかくて、熱くて、一緒にいるだけでいい香りがするような感じがした。


 ただ、やっぱりさすがの姉さんも街中を走り回ったからなのか、温めなおしたスープを食べ終わると、すぐに自分の部屋へと戻っていってしまった。


りくくん、明日はお姉ちゃんも波留ちゃんと一緒に観に行くからね。あっ、食器とかは流し台のところに置いといてくれればいいから」


 ニコニコと嬉しそうに寝室へ行く姉さんを見送る。


「おやすみ、りくくん」


「おやすみ、姉さん」


 そう告げて、姉さんの部屋から物音が聞こえなくなったのを確認して、僕は洗い物をすることにした。


 いつもは姉さんに任せてばかりだけど、これくらいの家事なら僕にだってできる。


 朝起きたら、姉さんは僕のことを褒めてくれるだろうか、なんて、本当に小さい子供のようなことを考えてしまう。


 だけど、姉さんのことだから「もう! 私がやるって言ったのに~」と拗ねてしまう可能性のほうが高いか。


 だが、何にせよ、今日は散々姉さんに迷惑をかけてしまったのだ。


 その分は、気持ちだけじゃなくて、ちゃんと行動で返すことにしよう。


 そして、洗い物も終わって、僕は自分の部屋へと戻る。


 念のため、ベッドの中を確認したけれど姉さんの姿はどこにもない。


 明日の準備を確認して、僕も電気を消して瞼を瞑る。



 ――おやすみ、



 ちょっとだけ、昔のことを思い出しながら、僕はそう呟いて夢の中へと消えていった。



 ☆ ☆ ☆



 ――ピ、ピ、ピ


 ――ピピピ、ピピピ、ピピピピピ。


「ん……」


 僕はうるさく鳴っている目覚ましを止めて、ゆっくりと起き上がる。


 今日は、いよいよ公演会の当日だ。


 カーテンからは朝日が差し込んでいて、昨日の通り雨の影響など全く感じさせない快晴のようだ。


 そして、いざ立ち上がろうとして、ソファに手をつけると。



 ――むにっ。



 という、柔らかい感触がてのひらから伝わって来た。


 まさか! と思いつつ身構えるが、その感触はなんだかゴワゴワしていて、毛のようなものがフサフサと当たる。


 あれ? と思いつつベッドの布団をめくると、一匹の人形が僕の寝ていた近くに転がっていた。


「ニャン太郎?」


 そう、それは姉さんが買ってくれた猫のパペット人形だ。


 姉さんがたまに僕の練習に付き合ってもらうときに使っているもので、部屋に置きっぱなしにしていたのだ。


「……人形と一緒に寝てるって誤解されたら、華恋かれんとかに笑われそうだな」


 そんなことを思いながら、僕は枕の近くにニャン太郎を置くことにした。


 しかし、もしやと思って警戒した僕が拍子抜けに遭ってしまったような感覚に陥ってしまうのはいささか心外だ。


 姉さんだって、いくら大事な日によくベッドの中に侵入するからと言っても、昨日のこともあったし、控えてくれたのだろう。


 きっと、今頃は僕のために朝食を用意してくれているところだろう。


 そう思って、リビングの扉を開けたけれど、僕を迎えてくれたのは静まり返った空気だけだった。


「……あれ?」


 おかしいな、いつもの時間なら、姉さんはリビングにいるはずなんだけれど……。


 キッチンのほうにも回ってみたけれど、そこは僕が昨日洗い物をしたままの状態で残っている。


 姉さん、今日はまだ寝てるのかな……。


 僕は、すぐに姉さんの部屋へと向かった。


「姉さん。起きてる?」


 一回……二回……と、ノックや呼びかけをしても返事はない。


 いや、僕と違って姉さんは休日なわけだし、寝ていても一向にかまわないのだが、姉さんが僕よりあとに起きてくることなんてなかったので、何だか胸の奥がつっかえるような感覚だったのだ。


「姉さん、入るよ?」


 僕はきっと、このときから何か嫌な予感はしていたのだ。


 そして、その予想は、的中してしまったのだ。



「はあ………はぁ……!」



「ねっ、姉さん!?」

 

 姉さんは、苦しそうに呼吸を乱しながら、汗でぐっしょりとなったベッドの上で苦しそうに目を閉じていた。

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