第32話 甘すぎる僕のお姉ちゃんと僕の気持ち

 打ち合わせの結果、「ブレーメンの音楽隊」で演じるそれぞれの配役が決定した。


 しお先輩が、イヌ(ブルースさん)とロバ。


 華恋かれんがネコとニワトリ。


 そして僕が、泥棒やロバの飼い主といった、脇役を担当することになった。


 残念ながら、僕は目立つような配役ではないけれど、こうなったのは出番が少ない人形たちを担当する代わりに、舞台を準備する役やBGMを担当するためだ。


 これが結構な重労働で、女の子の二人にやってもらうより適材適所だという僕からの提案だった。


『わりぃな兄弟。しんどい仕事を任せちまって』


「いえ、確かに舞台を用意したりするのは大変ですけど、パソコンを触ったりするのは好きですから」


 僕はしお先輩から教えてもらった音楽ソフトの入ったノートパソコンを受け取った時、笑顔でそう答えた。


 これは本音で、初めて触ってみたけれど、音楽ソフトは自分で動かしてみると結構面白い。


 すでに舞台で必要なBGMはソフトの中に保存されていたけれど、部活が終わって家に帰った今でも、自分で音楽を作成してみたりしていた。


 まぁ、動画投稿とかするつもりはないから、ただの自己満足なのだけれど、こういうコツコツとした作業は、ゲームで経験値を上げるような感覚で結構好きだったりする。


 だからだろう。作業に集中しすぎて、近づいてくる足音に僕は全く気が付いていなかった。


「ん~、りくくん、何やってるのかな?」


「うわっ! ……姉さん、帰って来てたんだ……」


「うん。ただいま~って言ったんだけど、りくくんから返事がなかったから、部屋に様子見に来ちゃった」


 制服姿の姉さんがニコニコしながら、僕が触っていたパソコンの画面を覗き込んだ。


「ん~? なんだか、難しそうだね」


 ちょうど、ソフトの設定などを色々と見ていたところなので複雑な文字や記号の羅列が載っているところだった。


「今度の演劇で使うソフトなんだ。今のうちから練習しておこうと思って」


 やっていることは、ただの趣味みたいなものだったが、姉さんはパァっと表情を柔らかくして、僕に言った。


りくくん! 頑張ってるんだね! お姉ちゃんも応援するよ~。って言っても、パソコンとかはあまり得意じゃないから手伝えないけど……」


「姉さん……うん、ありがとう」


 僕は姉さんからの厚意を素直に受け取った。


 ちょっと前なら、照れたりして姉さんを部屋から追い出してしまったかもしれないが、今は姉さんからの言葉が素直に嬉しかった。


 なので、ちょっとだけ今の姉さんが心配だったりもする。


「姉さんは、あの後大丈夫だった? 波瑠はるさんに怒られなかったりしなかった?」


 僕が入学してから、副会長である波瑠はるさんには色々と迷惑をかけてしまっているかもしれない。


 直接的ではないにしても、僕のせいで姉さんが業務に支障を来しているどころか、あやうく生徒会長の電撃引退を強いる羽目になっていたかもしれない。


「……ねえ、りくくん」


 そんなことを考えていると、後ろからそっと、姉さんの腕が伸びてきた。



 すぐ傍で感じる、姉さんの甘い香り。



 僕の部屋の空気が少しだけ重くなっていくのを感じた。



「ごめんね、りくくん……私、陸くんが頑張ってるのを、いつも邪魔しちゃってるよね?」


「ねえ……さん?」



 ほんの少しだけ、いつもとは違う姉さんの声のトーン。


 今の姉さんは、どんな顔をしているのか、僕には想像できなかった。


 それでも、姉さんは僕に話し続けてくる。


「あのね、本当は驚いたんだ……。りくくんが、私と一緒の学校を選んでくれたこと……」


「姉さん……」


 姉さんがそう思ってしまうのは、きっと僕に原因があったからだ。


 僕はある時期だけ、姉さんのことを避けていた時期があった。


 それでも、姉さんは構わず僕に構ってきていたので、何も気づいていないとは思っていたけれど、そんなことはなかったのかもしれない。


 ただ、僕が姉さんに不遜な態度を取っても、姉さんはずっと、僕の姉さんのままでいてくれた。


「ごめんね……お姉ちゃん、あんまりりくくんのこと、構ってあげすぎないようにしてたんだけど……」


 姉さんは声を上ずらせて、僕に言った。



「お姉ちゃん……やっぱり、りくくんのことが大好きなの」



 姉さんの息が、僕の頬にかかる。



 ずっと感じてきた、姉さんの存在。



 いつも優しくて、僕を大好きだと言ってくれる姉さん。



 でも、姉さん。



 その『好き』の意味は、僕たちが姉弟だから、だよね?



 そう尋ねたい衝動が、僕の胸からじわじわと溢れてくる。



 初めて会ったときの、見惚れるくらいの微笑みを僕は一度も忘れたことがない。



 僕はそっと、姉さんの手と、自分の手を合わせる。



「……りくくん?」


「あのさ……姉さん……」


 僕が、姉さんのほうへ振り向こうとした。


 その時だった。



 ――ピー、ピー、ピー。



 無機質な機械音が、キッチンのほうから鳴り響いた。


「あっ、料理の途中だったんだけど、グラタンが出来たみたい」


 そう言った姉さんの声は、いつもの柔らかいものに戻っていた。


 そして、僕が重ねた手から離れてしまう姉さんの手。


「それじゃあ、すぐにご飯にするからね、りくくん」


「……うん、わかった」


 僕が返事をすると、姉さんがゆっくりと僕の部屋から出ていく気配を感じた。


 また、僕は部屋で一人になる。


 僕はパソコンの画面に戻って、作業を再開させた。


 自分で作った自作のBGMを再生させると、ぐちゃぐちゃな音たちが統一性のないメロディを奏でていた。


 それが、なんだか今だけは、とても愛おしいもののように感じてしまったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る