8章:望月白香はただの人間である

第36話 彼らの理由と彼の理由

 巨大なビル群の向こうに、夕日が沈みかけている。


 私たち三人は、環に付けた発信器を辿り、西へとワゴン車を走らせていた。

 運転手は、さっきも応対してくれたバーの店員の坂西さんである。店を臨時休業にしてもらい、車を出して貰ったのだ。申し訳ない。


 念のため、藍ちゃんのアパートにも戻ってはみたが、既にもぬけの殻だった。

 おそらく。若林くんと藍ちゃんも、移動しているのだろう。



 車の中では、緋人くんに血をあげたりしながら、これまでの情報共有をした。

 藍ちゃんとのやり取りを話し終えたところで、緋人くんは難しい表情で腕組みする。


「確定だな」

「確定?」

「瀬谷たちは。紅太の血を使って、桜間円佳を蘇らせようとしている。

 さっきの桜間の反応からして、そうだろうと思ってはいたが。間違いないだろう」


 覚悟はしていたけれど。事情を知る緋人くんから改めて言われると、今の事態に手汗がにじんだ。

 早く、若林くんのところに行かないと。

 だけど環の位置を確認しながらの追跡は、思ったより時間がかかりそうだった。GPSを追いかけるのが厄介だという以前に、移動する環が、新宿を過ぎてもまだ止まる気配がないのだ。


 不安な気持ちを無理矢理に振り払って、緋人くんに尋ねる。


「それって。やっぱり若林くんの血には、傷を治す以外にもなにかがあるってこと? 若林くんが治せるのは、怪我だけじゃないの?」

「あまり。人狼の前で、話したくはないんだがな」


 緋人くんは躊躇し、ちらりと前の席を伺うが。


「ここまできて、今更だろう」


 助手席に座っている蒼兄は、腕をヘッドレストにまわしながら、愉しげに振り返る。


「俺だって、桜間に能力をバラされている。こちらの機密を知られるだけじゃあ、割に合わない。

 だいたい。俺に、それが知られてないとでも思ったか?

 若林がどういう存在なのか、ある程度のアタリはついている」


 蒼兄の言葉に、目一杯の渋面を浮かべてから。


「まあいい。ここまできたら一蓮托生か」


 額に手をやり、緋人くんは深く息を吐き出した。


「俺たち末裔は、血が必要なことと、特殊な能力を持っていること以外、基本は人間と大きく変わらない。だけど、紅太は違う」


 少し天井に視線を泳がせて、考える素振りをしてから。

 緋人くんは、静かに私に問いかける。


「先祖返り。って言葉、分かるか?」

「確か。両親とかより前の世代の先祖から、性質を受け継ぐこと、だよね」

「そうだ。で、前提として紅太はその『先祖返り』なんだよ」


 頷いて、緋人くんは流暢に語り始める。



「紅太は、日の光とか、そういう先祖の弱点は他の末裔同様に克服した上で、古来の吸血鬼の性質を濃く受け継いでいるんだ。

 普段は力を抑えているが。満月の日に理性が抑えきれなくなった時と、意図して能力を発現させようとした時。

 言わば『吸血鬼化』して、紅太の髪と目の色は変わる」



 緋人くんの言葉に、月明かりに煌めく銀の髪と紅の瞳が思い浮かぶ。

 そして。さっき夕日に照らされてなびいた、銀髪のことを。


 若林紅太は、血に餓える満月の日に、髪は銀に、瞳はあかに変わる。


 けれども先ほど私の目の前で、彼の髪と目は、銀と赤に変わった。

 まだ満月までは日数があるにも関わらず、だ。



 あれは。彼が力を出すために、意図してやったことなのだ。



「吸血鬼化したときに出る特徴は、一般的に伝承されている吸血鬼の特徴でもある、強靱な生命力と、常軌を逸した馬鹿力だ。さすがに霧に化けるだとか天候を操るだとか、ぶっ飛んだことはできないけどな。

 けど紅太の場合、肝となるのはそこじゃない。

 あいつが吸血鬼化した時には、能力が大幅に増幅される。

 紅太の治癒の能力は、通常だと簡単な切り傷や擦り傷を治す程度だ。だけど吸血鬼化した時には、手術が要るような大怪我も治るし、外傷以外にも効果が及ぶ。お前の頭痛を治したのもそうだ」



 やっぱり。あの時に血を飲ませてくれたのは、そういうことだったのか。

 わざわざ吸血鬼化してまで、力を使ってくれたんだ。



「そして、厄介なのが。

 吸血鬼化したときの驚異的な治癒能力は、本人が意図して能力を使わなくても、紅太の血自体にまで及んでいることだ」


「血自体?」


「つまり。吸血鬼化したときの紅太の血そのものが、それこそ万能薬に等しい。

 本人の望むと望まないとに関わらず、あいつの血さえ手に入れれば、誰だってその治癒能力を使うことが出来る。

 それが一体どのくらいの価値を持ち、どのくらい紅太が危険な立場にいるか、人間のお前でも想像くらいできるだろ」



 緋人くんの説明に、息をのんだ。

 だから。だから緋人くんは、あんなにも彼の周りに人が近寄ることを警戒していたんだ。

 間違って敵を身内に引き入れてしまえば、若林くんを危険に晒してしまうことに他ならない。

 敵でなくたって、その能力を知られてしまうこと事態が、命取りになりかねないからだ。


 それなのに。

 それなのに若林くんは、その能力を使ってくれた。

 たかが私の頭痛を、治すためだけに。


 胸が締め付けられるような気がして、私はワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。



「これで分かっただろ。あいつらの目的が。

 奴らが必要なのは、吸血鬼化した時の紅太の血だ。だけど通常の状態では、紅太も抵抗するだろうからそう簡単に血を奪えない。

 だから俺とお前を紅太から引き離したんだ。紅太に血を飲ませず、抵抗できないよう弱らせるためにね。

 人狼の内部にいる瀬谷なら、俺を拘束する方向に誘導していくことはそう難しくなかっただろうし。

 前に安室を狙撃したのだって、俺への疑いに拍車をかけるためのブラフだろうな。あたかも人狼が狙いであるかにみせかけるためにね。

 ただあの場では、シロが間に入って和解しそうになったから、強硬手段でお前を連れ去ったんだ。もっとも、遅かれ早かれお前も連れて行かれてただろうけどな」



 緋人くんの淀みない解説で、これまでの出来事が整理されていく。

 だけど、一番の懸念事項はまだ不明なままだった。

 裾を握る手に、力がこもる。



「緋人くん。その、吸血鬼化した時の治癒能力を使うのは、危ないことなの?

 若林くんの命にまで関わることなの?」

「お前の頭痛を治すくらいなら、たいしたことないよ。さっきのを気にしてるなら、そこは心配しなくていい」



 彼の言葉に、少しだけほっとする一方。



「だけど。桜間円佳を蘇生させるとなると、かなりの血液を消費することになるだろうな。まず致死量の血を抜かれるだろう。

 運良く死ななかったとしても、ただじゃ済まない可能性が高い。

 だから。桜間は、お前の記憶を消そうとしてるんだ」



 環にぶつけた疑問が肯定されて、背筋が寒くなった。

 もしかしたら、という一縷の希望はあっさりと打ち砕かれる。


 当たり前だ。

 若林くんに危険がないなら、リスクがないなら。人を陥れてまで、人を洗脳してまで、今回みたいなことに手を染める必要がない。

 もっと正当な手段で、本人に依頼することだって検討できただろう。



 それに、もしかしたら。


 円佳さんを眷属にした、仇と呼べる吸血鬼は、既にこの世にいない。

 けれど、その仇を吸血鬼にしたのは、若林くんだ。


 彼らからすれば――諸悪の根源だとも、言えてしまえる、若林くんへ。

 遠回しな加害者へ復讐するという、彼らの私怨すら含まれているのかもしれなかった。




 いつの間にか、自分の腕を抱きながら考え込んでいると。



「治癒と蘇生は違う」



 黙っていた蒼兄が、冷静な声音で割り込む。



「若林の能力は『治癒』だろう。

 死人を生き返らせる、なんて誰にもできない。そんな現実離れした能力は存在しない。

 藍だって、そこをはき違えて人を殺すほど馬鹿じゃないはずだ」



 その指摘に虚を突かれて、思わず瞬きする。

 平々凡々な人間であるところの私からすれば。そもそも治癒だとか暗示だとか、そういう彼らの能力自体、現実離れしたものではあるんだけど。


 ただ考えてみれば。似ているようにみせかけて、確かに『治癒』と『蘇生』とは別物である。

 治癒なら、時間をかければ――ダメな場合もあるけれど――人間にだって、できることだけど。

 蘇生は、時間をかけたところで人間にはできない。


 神話ですら、フィクションですら、『死んだ人間は生き返らない』という前提であることは多い。

 勿論、全部が全部じゃないし、死んだ人が生き返る話だってあるけれど。

 いずれにせよそれはもう、呪術とかオカルトの世界である。


 蘇生ができるとしたら、極論、若林くんは墓の下にいる本家本元の吸血鬼やら、歴史上の人物すら生き返らせることが出来ることになってしまう。


 それは。

 それは、もう、とんでもないな……。



「なら。藍ちゃんたちは、どうして?」


「藍の話じゃ。桜間円佳の身体は、まだ腐ってないんだろ。

 つまり。桜間円佳は、まだ

 眠っているような状態で、微かに細く生き続けているんだろう。桜間円佳だって、既にただの人間とは違う。その可能性はあるさ。

 ? 奥村」


「……ああ。



 緋人くんは低い声で肯定した。二人の間に、重苦しい空気が流れる。

 含みのある彼らの言葉に、意味を理解できず、私は顔を上げた。

 が、私が尋ねるより早く、緋人くんが再び口を開く。


「いくら紅太だって、死人を生き返らせることは出来ないよ。

 ただ。なら、助けることができる。

 かつて。それは、やったことがあるからな」


 苦々しい表情を浮かべ。

 緋人くんは、ぽつりと呟くように言う。


「血には、魂が宿る」

「え?」

「吸血鬼の間での迷信だ。愛する者が死んだ時、俺たちは敬意を持って、弔いを込めて、死した者の血を飲む。そうして血を取り込めば、自分の中で、彼の者は生き続ける。

 ただの迷信で風習だ。……だった、はずなんだ」


 緋人くんは、窓の外を睨みながら、淡々と続ける。



「五年前。紅太の友人が、事故で死にかけていた。

 死にかけていたとは言っても。一見して、奴は既に死んでいた。致死量の血が流れていたし、手足がもがれていたらしいからな。

 何の因果か。たまたま、その日は満月だったんだ。

 だから吸血鬼化した紅太は。せめて、無残な身体を少しでも綺麗な状態に戻そうと思って。

 敬意を持って、弔いを込めて、その血を飲んだ。

 そして。

 ――あいつは、吸血鬼になって生き返った。

 それが、桜間円佳を眷属にした吸血鬼だ」



 核心を突いた、説明だった。

 思わず、息を詰まらせる。



「そんなつもりはなかった。そうしようとも、そうなるとも微塵も思っていなかった。

 ただ、相手を悼んで、少しでも尊厳を取り戻してやりたいだけだったんだ。

 だけど、その結果が今だ。

 助けた野郎は、あろうことか犯罪者になり。

 いろいろな意味で、紅太は目を付けられる立場になってしまった」



 緋人くんの話に、様々な感情がこみ上げてきて。

 すぐには、処理ができない。


 やっぱり若林くんには理由があった。

 彼は。ただ友人を助けようとしただけだったのだ。


 そして、そのせいで。

 彼こそが、誰より苦しんでいたのだろう。


 詳しいことをほとんど知らない私は、憶測で滅多なことは言えない。

 だけど彼のしたことで、助けた友だちは仲間内で犯罪者になり、円佳さんは環や藍ちゃんの前から姿を消し、若林くん自身の首を絞めることになったのは、事実なのだろう。


 これまで、どれだけ。

 若林くんは、抱えてきたんだろうか。




 だけど。

 それならば、なおさら。



「それが原因で、紅太くんが死んでいい理由には、ならない……!」



 二人が二人とも助かるのなら、ともかく。

 片方のために片方が命を落とすなんて、間違ってる。


 円佳さんは、巻き込まれた被害者だけど。

 若林くんだって、十二分に被害者じゃないか!



「その通りだよ」



 硬い表情で窓の外を睨み付けたまま、緋人くんは私の頭に手を置いた。



「惑わされるなよ、シロ。

 奴らが騙った若林紅太は、お前の知ってる若林紅太とは違うはずだ。

 お前の見てきた、お前の知ってる紅太を、見てくれ」



 その言葉に、私は深く頷いた。







 車は、まだ西へ西へと進み続けていた。


「おそらく行き先は、八王子だ」


 蒼兄はGPSを辿るタブレットの画面を見つめながら告げる。


「そこに、藍の家族の所有する家がある。今は人が住んでいないはずだがな。

 人一人を隠しておくのには、絶好の場所だ」

「なら。あと一時間近くはかかるな。……着いた頃には、完全に夜か」


 緋人くんの何気ない言葉に、窓の外へ視線を向ける。

 既に太陽は地平線に沈み、外は薄暗くなっていた。行き交う車もライトを点けている。話に集中していて気にしていなかったが、車内も暗い。まもなく緋人くんたちの表情も、よく見えなくなるだろう。


 到着まで、おそらくあと一時間近く。

 とてつもなく、長い。


 きっと、環が着くまでは、若林くんは無事だろう。

 そうでなくとも、私が藍ちゃんの家を出てから、蒼兄たちと店を出るまで、三十分も経っていない。さほどのタイムラグはないはずだった。


 けれど。車内で待っているだけなので、気ばかりが急いてしまう。

 だけど現状、私にできることはなにもなかった。


 落ち着かないまま、また気を紛らわすように窓の外を眺めると。

 地平線近くに浮かぶ三日月が、紅く光っていた。


 その怪しげな色に、私は誰かのことを思いだし。

 じっと、月を眺めた。

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