第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 5
魔法使い候補者の護衛は、原則的にそのお宅の中に配置させてもらうことになっている。深紅のローブを着た魔導師がいれば、ここに魔法使い候補者がいると喧伝しているようなものだからだ。
弓鶴とブリジットは、円珠家の客間を利用させてもらっていた。夫人の好意で夕食までご馳走になってしまい、弓鶴は恐縮しっぱなしだった。ブリジットは単純に喜んでいたが。
豪華なソファーに身を沈めた弓鶴は、それでも神経を尖らせていた。いつ何時、例えばいま眼前に敵が現れようが一刀に伏せるだけの緊張感を保っていた。ブリジットも既に邸宅内部に結界を張り、両親の許可の下、妖精を散らしている。
同じく対面のソファーに座っていたブリジットが苦笑する。
「少しは肩の力を抜くと良い。夜は長い。そんなことでは持たないぞ?」
そう言われてしまえば、弓鶴としては確かにと思わざるを得ない。先日聞いたオットーの話が衝撃的だったのだ。
「悪い。少し過敏になってるみたいだ」
「まあこんなときはアイシアが出てる動画でも見るといいさ。爆笑ものだぞ?」
そう言ってブリジットは端末を取り出し、くだんのCMを見始める。途端、彼は腹を抱えて笑い出した。
「アハハ! アイシアが! あのアイシアが「魔法使いのあなたと一緒に働きたい」とか! そんな科白絶対言わないよね!」
「確かに言わないだろうが、笑い過ぎだ。本人にバレたら電撃の刑を食らうぞ?」
ブリジットがにやりと笑う。
「バレやしないさ。アイシアはいまも東京で撮影中だろう? 弓鶴が言わなきゃバレっこないさ」
「言ってもいいんだぞ?」
「我の扱い酷くない⁉」
ブリジットが己の先輩具合について悩んでいたところで、客間のドアがノックされた。一瞬、自作した同田貫を抜きかけるも、ブリジットが目で制した。円珠家の誰かが来たのだろう。
「どうぞ」
ブリジットが答えると、ドアが開いて円珠庵が入ってきた。その手にはお盆に乗せた湯のみが三つあった。淡い紫のワンピースを着た彼女が微笑んで軽く頭を下げる。
「夜分にすみません。少し魔法使いのことを訊きたいと思いまして」
円珠がテーブルに湯飲みを置くと、ふたりを見られる位置のソファーへ優雅に腰を落とす。仕草ひとつとってもどこかの令嬢のようだ。ある意味、魔法の才能を見出されたことが不憫で仕方がない。
円珠が弓鶴に目をやり微笑む。哀れんでいたことが知られたように感じ、背筋がぞわぞわした。
円珠はどうにも高校生には似つかわしくない落ち着いた雰囲気を纏っている。教育の賜物だろうか。昔の自分と比べると、自分がいかに子どもだったかを思い知らされるので、弓鶴は少しだけ気分が落ち込んだ。
ブリジットが湯飲みに口を付けて会話を始める。
「それで、何が訊きたいんだい?」
円珠の視線がブリジットへ向かう。
「はい、説話体系について詳しく教えて頂きたいんです」
ふむ、とブリジットが顎に手を添える。
「説話体系は“世界は数多の物語によって作られている”という観点から世界を記述する魔法だ。
書物を基盤にして魔法を引き出すのさ。分かりやすく言えば、例えば書物から登場人物や伝説な武器を取り出したりできる。書物で起きた現象とかも当然範疇に入る。書物の内容の範囲という制約に縛られるが、色々なことができる魔法体系だね」
円珠が頬に手を当てる。
「確かに、その内容では民間ではあまり必要とされなさそうですね」
どうやらブリジットとオットーの言葉がかなり響いていたようだ。確実にふたりのせいで円珠は悩んでいる。
睨んでやると、ブリジットはあはは、と苦笑いを浮かべていた。
「民間ではエンターテイメント方面に特化しているとも言える。逆に、ASUに入ることができれば魔法研究部や警備部とか活躍の場は広がると思ってもらっていい」
「それは第六階梯、いわゆるエリートにならなければならないということですよね?」
「そうなるね」
「一般的な魔法使いは、その第六階梯になるのにどれくらいの時間が掛かりますか?」
嫌な質問だ。ブリジットは営業用の笑みを浮かべたまま答える。
「才能と努力による。例えばそこの弓鶴は、努力によって僅か三年で第六階梯にまで駆け上がった」
円珠の視線が弓鶴に注がれる。彼としては少し居心地が悪い。
弓鶴が第六階梯になれたのは、魔導師位階制度の中でも戦闘に特化した無制限戦闘規格だからだ。当然、この規格で第六階梯になりASUに入れば、待っているのは魔法使いとの戦いだ。とても勧められるものではない。
逆に、ASUでも魔法研究部は魔法技術規格での採用を行っている。こちらは魔法に対する深い理解が必要であり、生半可な知識と技術では第六階梯にまでは上がれない。三年で第六階梯など努力でも無理だ。
つまり、ブリジットは意図的に第六階梯になるのは努力によっては可能だとミスリードしているのだ。
「魔法使いの位階制度は、どういったものですか?」
そして、ブリジットの論法はここを突かれると痛い。彼の頬が僅かだが固まったのを弓鶴は見て取った。墓穴を掘るとはこのことか。
仕方なく弓鶴が引き取る。
「魔導師位階制度は全九段階に分けられた、魔法の実力を示す資格みたいなものだ。一番下が第一階梯、最高位が第九階梯だな。第六階梯以上を俗に高位魔導師と呼んでいる」
「種類とかはあるのですか?」
濁したにも関わらず痛い腹を突かれる。どうしたものかと弓鶴はブリジットと目を見合わせる。
基本的に説明義務があるのはISIAだからASUの弓鶴らは知らぬ存ぜぬを通しても良い。しかし、円珠にとって初めて会った魔法使いである彼らが嘘をつけば、確実に魔法使いへの心象は悪化する。そうなれば魔法使いへの道を選ばなくなるかもしれず、先に待っている未来が一気に暗くなる。魔導師密売組織に狙われることがあるように、魔法使い候補者がISIAの加護を受けず自力で生き残るのはそれほどに大変なのだ。
もはや話を逸らすのは限界と判断したか、ブリジットが答える。
「無制限戦闘規格と魔法技術規格の二種類がある。前者はその名前の通り魔法戦闘技術を位階で区別するもの。後者は魔法技術を位階で定めるものになっている。弓鶴は前者だな」
「民間に行く人はどちらを取るんでしょう? やはり魔法技術規格でしょうか?」
「そうなるね」
ブリジットが頷く。もうすべて説明することにしたようだ。
「無制限戦闘規格を取るのは、ASU警備部に入る魔法使いくらいだ。あとは軍の魔導師部隊への配属を希望する者。一般的には魔法技術規格を取ることを推奨されている」
「魔法技術規格で第六階梯になるのは難しいですか?」
「難しいね。あれは知識もそうだが高度な魔法運用を要求される。ISIAの魔法教育が三年あるが、卒業時の平均階梯が第二階梯だ。第三階梯あれば高い方だね」
「つまり、第六階梯になるのは夢のまた夢、ということですね?」
「残念ながらそうなる。だが、一度民間へ行って魔法技術を磨き、年に一度ある試験に挑み階梯を上げていくという方法もある。主にそちらの方が一般的だな」
「説話体系ではそれは難しいのですか?」
円珠の質問は先ほどから探られたくない懐ばかりを突き刺してくる。ブリジットの表情がどんどん苦いものになっていく。
「言葉は悪くなるがキミの将来のためにあえて言わせてもらおう。説話魔導師は民間では使い物にならない。どの魔法体系でも低階位は使えないというのは当然だが、説話体系はそのハードルが他の魔法体系よりも数段高い。魔法の性質上、民間で必要とされていない方面に特化しているからね」
円珠の表情が暗くなる。当然だ。お前の未来は絶望的だと言われているも同然だからだ。そして、魔法使いになるのを拒否すれば、魔法使いであることがバレた途端魔導師密売組織から狙われることになる。つまり、彼女の未来は魔法使いになったことで逆に詰んだのだ。
真面目な表情をしたブリジットが二本指を立てた。
「我から提示できる選択肢はふたつ。ひとつ、ASU警備部を目指せ。無制限戦闘規格ならば弓鶴のように第六階梯になるのは努力次第で三年でも可能だ。魔法使いと戦い命を懸ける仕事だが、人を守る大事な仕事だ。やりがいはある。説話体系は特に警備部では重宝される。ふたつ、いっそ魔法を諦めて一般人として暮らすこと。ただし、魔法使いであることは絶対にバレないようにしなければならない。バレたらすぐにでも密売組織が来るぞ」
「民間では使えないのに密売組織が来るんですか?」
「奴らの取引先は何もアジアだけじゃない。世界中に顧客がいる。政情不安定な地域なら特に魔法使いは重宝される。そういうところに行く自分を想像してみるといい」
円珠の表情が真っ青になった。ろくでもない想像をしてしまったのだろう。
「民間へ入るという選択肢はない、ということですか?」
「ないことはない。だが、理想と現実の差に絶望する者が多い。全十二ある魔法体系の中でも、犯罪魔導師になる率が多いのは説話体系だ」
円珠はもう縋るような目でブリジットを見ていた。
「ISIAは魔法使いを守ってくれるんですよね?」
「人権は守ると言っているが、雇用を守るとは言っていない。使えないと判断されれば容赦なく切られる。国際機関を謳っているが、人材会社のようなものだからね。無駄な人材に資金を投入するほど余裕がないのさ」
「じゃあ、私の未来は……」
円珠が顔を覆って俯く。そこへブリジットは容赦なく言葉を投げ捨てる。
「暗いな。絶望的だと言っていい」
さすがにこれは看過できなかった。
「おい、ブリジット。さすがに言い過ぎだ」
「黙れ弓鶴」
ブリジットが鋭い視線を弓鶴へ注ぐ。その表情にはいつもの嘲りやニヤつきなど微塵も見受けられない。まさしく魔法使いの未来を考える真剣な表情だった。
「夢を騙ることは容易だ。だが、その先に待っているのは地獄だ。そんなところに彼女を放り込むことは、さすがに我としても頂けない。ISIAはいつも意図的にそこを隠している。ならば、我らが現実を教えるしかないだろう」
ブリジットが視線を円珠に戻す。
「円珠、覚えておくといい。魔法使いは実力社会だ。一般人の社会とは比べ物にならないほどの弱肉強食社会といってもいい。弱いものから順に淘汰される。魔法社会で生きたければ己を鍛えろ。あらゆる障害を跳ね除けるんだ。そうしてやっと世界が開ける」
円珠が顔を上げた。頬には涙が滴っていた。
「私、本が好きなんです。その本に関係する魔法使いになれたと知って、嬉しかったんです。これを手放すことなどできません」
魔法使いは一生魔法に縛られる。知覚の半分が魔法世界に置かれているから、どうしても魔法に目が行ってしまうのだ。魔法使いになったが最後、魔法を使わずにはいられない。もはやそれは麻薬に近い。
「ならばどうする? そうなれば選択肢はひとつしかない。警備部を目指すか? 言っておくが、殉職率は高いぞ? 四肢が吹き飛ばされるなど日常茶飯事の暴力的な現場の最前線だ。魔法使いの戦いにおいて、命など飴玉ひとつの価値すら存在しない。そんな過酷な戦場に飛び込む覚悟はあるのか?」
「分かりません……すぐには答えが出ません……」
「そうだろうね。まだ時間はある。ゆっくりと考えるがいい。相談にならばいつでも乗る。今日はつらい現実を叩きつけて悪かったね」
ブリジットが軽く頭を下げて謝罪した。感心した。魔法使いは滅多に頭を下げない。特に高位魔導師ともなればそれが顕著だ。プライドが高いからだ。これにはさしもの弓鶴も尊敬の念を覚えずにはいられなかった。
いま、ブリジットが先輩魔導師をしているのだ。
円珠が曖昧に微笑む。暗い未来をどうすればいいのか考えているのだろう。
「折角だ、警備部の話でも訊いていくかい? そこの弓鶴は二年目のぺーぺーだ。もしかしたら参考になるかもしれない」
ぎょっとして弓鶴はブリジットを見る。ブリジットは嫌な笑みを浮かべてこちらを見ていた。嫌な役回りをしたから後は任せる、という目だった。
まったく、仕方がないな、と思いつつ弓鶴はこの一年の出来事を円珠に語って聞かせることにした。
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