第二章:殺人鬼の正義 3
日を追うごとに死体が増えていく。闇に隠された悪が暴かれ処刑されていく。
更科那美の犯行は宣言から三日間続いた。被害者は十二人に増えており、世界中が注目する連続殺人事件になっていた。
いよいよ本当に顧客リストに載る悪人を裁いていると世間が気づいた頃になると、警視庁に児童買春をしたと名乗りを上げて保護を求めてくる男性が現れ始めた。その誰も彼もが大企業の高給取りであることに警視庁は頭を抱えた。警察側でも予想していたが、顧客リスト自体が相当な爆薬だったのだ。このまま政治家や官僚、経済界の重鎮、警察官などが那美の対象になった場合、下手をすれば日本がひっくり返る。警察内部でも、他国の工作活動ではないかという話が出てくるくらいだ。公安が動くという噂も流れているのだから、事件の規模が果てしなく広がっていく雰囲気が蔓延していた。
ASUの面々にも疲労と焦燥が表情に現れていた。ブリジットは終始イライラし、オットーは無言のまま携帯端末でグラビア動画を漁っており、ラファエルは無言でぶすっとしている。アイシアは普段通りの振る舞いをしているが、その顔には焦りが見えた。
警察もASUも完全に更科那美に弄ばれていた。超高位魔導師が潜伏し暗殺に回ると治安維持機関が何もできなくなることが世間に露呈した。いまやマスコミやネット上では警察とASUの悪口を聞かない日はないくらいだ。誰もが自然と世間の情報媒体に目をやることがなくなっていった。
雲間から舞い降ちた朝の日差しが、ISIA日本事務局関東支部のビルを煌びやかに照らしている。冬特有の強い北風が裸になった街路樹を揺らしていた。
ひとり休憩室で珈琲を飲んでいた弓鶴は、窓から眼下をのぞき込んでうんざりとした気分になった。反魔法団体が、「魔法使いは日本から出ていけ!」というプラカードを掲げて抗議活動を行っている姿が目に入ったからだ。
魔法によって確かに世界は便利になった。だが、魔法の到来は、技術の進歩で不要となる職業を一世紀分は先取りして捨てた。時間を掛けて淘汰されるべきものが一瞬でごみになれば、屑篭に放り込まれた者は憎悪を燃やすしかない。そうして生まれた数多の火種が炎になるまで成長すれば、魔法を憎む集団ができあがる。そして表に出てくるのはいま関東支部に押しかけている連中だ。これでもまだマシな部類なのだから、魔法使いが暮らす世は暗い。
「ここにいたんだ、弓鶴」
声を掛けられ視線を戻すと、アイシアが休憩室に入ってくるところだった。
「何見てたの?」
「外の連中だ」
「ああ、あれね」
アイシアの表情に苦笑が刻まれる。最近の彼女は苦笑いが多すぎてそれ以外の表情がすぐに思い出せないくらいだ。
「あれくらいで気にしてたら堪らないよ。考えるだけ無駄だよ」
「分かってる。もっと厄介な連中もいるしな」
そういって再度街に目をやる。反魔法団体とは別に、更科那美を信仰する変人達の集団も集っていた。曰く、「正義の使徒である更科那美を捕まえるな」とのことだ。頭の悪さに正気を疑いたくなる。
更科那美は、ネット上ではある種のアイドルになっていた。まとめサイトまでできるくらいの人気ぶりだ。行動動機もそうだが、その容姿が一部の人たちの胸に刺さったのだ。世の中どいつもこいつも狂っていると思った。
「十二人も死体を転がしてる女の子をアイドルとして崇拝するなんて、さすがに理解できないよ」
「普通の感覚でもそうだ。俺もよく分からん」
「お祭り感覚なんだろうね。戦後から今までこんな大事件は日本じゃなかったみたいだし。当事者からするとたまったものじゃないけど」
気が滅入ってきて弓鶴は話題を変えた。
「魔法適正検査時の警護の件はどうだ?」
アイシアがため息する。こっちもこっちで頭の痛い問題なのだ。
「どうしようか。課長が頭を抱えてるよ。人手がとてもじゃないけど足りない」
「ASUも更科那美の事件でかなりの数が割かれてるからな」
「とはいえ、来週からは埼玉県で魔法適正検査が開始されるよ。このまま事件解決できないと、世間の流れから言ってもまずいね」
「案外それが目的だったりしてな。裏にいるのは魔導師密売組織じゃないのか?」
「だったら最悪だね」
笑い話にもならない冗談だ。何の話題を出しても結局はどん詰まりに行きつく。袋小路に追い込まれている現在の心境がそうさせるのだろう。
「そういえば、更科那美の戸籍はどうだったんだ? 稲垣さんから回答はあったか?」
紙コップの珈琲を買ったアイシアが弓鶴の隣に並ぶ。
「うん、戸籍上は実在する一一歳の少女みたいだね。二年前に交通事故で両親を亡くして施設に入ったらしいよ」
あまりにもやるせない。交通事故で両親を亡くし、更に友人は性的虐待の被害にあい、自身も犯されかけた。そしていまは復讐の鬼と化した。たったひとつでも大人の手が届いていればこんな事件は起こらなかっただろう。桜井芽衣の嘆きがよく分かる。
「これで更科那美が変身した魔法使いの線は消えたか」
「本人を殺して入れ替わってるって線はあるけどね」
アイシアが珈琲を口に含みながら言った。発想がえぐい。だがそれが可能なのが魔法だ。魔法があるだけで犯罪の質はどんどん悪くなっている気がした。
「警察もいまは色々と対応に追われてるし、ASUはISIAからの突き上げがうるさいし、どこも大変だね」
「暢気に言うなよ。突き上げを食らってる末端は俺らだぞ」
「分かってるよ。でも正直な話、情報戦で勝ってくれないと私たちの出番がないんだよね」
「前回は負け戦だったけどな」
「お願いだから掘り返さないで。結構落ち込んだんだから」
アイシアが長息する。あの経験はアイシア班全員が辛酸を舐められたのだ。忘れられるはずがない。
「次戦うとして、どうやり合うつもりだ?」
「まず、前提を第九階梯の元型魔導師として設定する。元型魔法は飽和攻撃が得意だから、一対多の利点があまり生かせない。防御力が低いのが弱点だけど、一点突破のエルの狙撃は鎧に防がれる。なら近接火力の高い弓鶴を正面、遠距離火力の出せる私が遠距離担当かな。エルは狙撃で更科那美を狙ってもらって、ブリジットもできれば中衛か後衛に欲しいな。オットーは基本防御を担当してもらって適宜歪曲体系で攻撃かな。あれ魔法防御突破するから」
「更科那美の処理能力は高すぎる。俺とアイシアが前後を取り囲んだタイミングで撃ったエルの狙撃に反応したぞ」
「それを防ぐには更科那美と鎧を引き離す必要があるね。とはいえ、元型魔導師にとって疑似生命体はなにが材料でもすぐ作れるから、下手にこっちが分散すると各個撃破されるよ」
「意外と厄介だな元型魔法は」
「超高位魔導師はどの魔法体系でも厄介だよ」
その超高位魔導師と戦わなければならないのだ。刑事課との連携は無理だと考えていいから、アイシア班の五人で対処する方法を考えなければならない。
「元型魔法についてちゃんと覚えてる?」
「元型体系には四魔法存在する。疑似生命体を作り出す《元型投影》。精神を力場に変化する《観念力動》。他者の精神を操る《深層干渉》。対象諸存在を魔導師が想像した生物へと変態させる《生命創造》」
その通り、とアイシアが微笑む。
「前回は《元型投影》だけでやられたからね。他三種も対応できないと死ぬよ」
「火の鳥は《生命創造》じゃないのか?」
「あれは《元型投影》レベルだよ。火に精神を投影させて鳥の形に変化、その炎で周囲を攻撃しただけだから。まあ、それでも規模が大きかったけどね。《生命創造》は、例えばビルを人食い花にするとか、水を龍にするとか、なんていうかな……実体を持った存在にするんだよ。ある程度自律可能な魔法生命体を作るって思ってもらえればいいかな」
「想像できないな……」
「《生命創造》なんて名打っているけど、結局のところ元型体系は意識を持った生命体は作ることができないんだよ。ある程度自律させることが限界。《生命創造》の肝はそこかな。それだけは覚えておいた方がいいよ」
つまり、魔導師の意思を介さず自律行動する疑似生命体を作る魔法ということだろう。
そこでふと疑問が生まれた。
「元型魔法の疑似生命体って術者と五感で繋がってるんだよな。どうやって処理してるんだ? 頭おかしくなるだろ」
「実際に負荷が掛かり過ぎて廃人になった人もいるね。だから扱える疑似生命体の数が多ければ多いほど高位の魔導師って訳だね」
ブリジットは平気で百以上の疑似生命体を作るが、それだけ力量が凄まじいということだろう。
「元型魔導師は、疑似生命体を通して五感で遠くを感知できる以外にも、疑似生命体を介して魔法を使うことができる超遠距離魔法が可能なんだよ。これも覚えておいて」
それは嫌な情報だった。魔法を通して魔法が使えるということは、遠くの敵に魔法で攻撃することができるということだ。
「つまり、射程は事実上無限か?」
「そうなるね。当然直接魔法を使うよりも減衰するけどね。だから、更科那美がこの発想に至ったら世界中どこにいてもリストの人間は狙われるね」
それは、どこに隠れようが額に銃口を向けられている感覚に近い。対象者にとってはまさに死神だ。
「最悪な魔法体系だな……」
アイシアがくすりと笑う。弓鶴に魔法を語るとき、彼女はいつだって教師のように振る舞う。紙コップを掲げた彼女が人差し指を立てた。
「極めればどんな魔法体系も厄介になる。要は使い方次第ってわけだね」
◇◆◇
更科那美は、お台場の公園に金髪の美女姿で青年とふたりでベンチに座って海を眺めていた。この行動に特別な理由はなく、単にお台場に行って海が見たかったからだ。当然鎧は反対したが、昼間外に出ず夜間での暗殺を繰り返してきた彼女にとって、外に出てのんびりとすることは最低限の精神ケアのために必要なことだった。三日後には大仕事が待っているのだ。少しくらいは普通の生活に浸りたかった。
世間では児童買春犯連続殺人事件で騒ぎになっていても、平日だからかお台場の公園はまるで普段通りだと言わんばかりに静かだった。聞こえるのは車の通る音と風、そしてさざ波の音くらいで、ここが東京だいうことを忘れそうになるくらいだ。
それでも、人殺しの魔法使いになった那美に安息の地などない。人に害為す犯罪魔導師は、他の魔法使いが世を生きるために邪魔な存在だ。魔法が世に出るまで日の目を浴びることのなかった魔法使いにとって、いまの世界はひとつの理想だ。だからASUは、これを守るために犯罪魔導師を徹底的に追い詰めて殺す。
「更科那美だな?」
深紅のローブを着た男性が那美の前に立っていた。ランベール・ディディエだ。隣には彼の部下のひとりである若い魔導師がいた。
那美は目をぱちくりさせる。
「よく分かったね?」
「波動観測で追わせてもらった。うちの波動魔導師が苦労して見つけたのだよ」
こてん、と那美が首を傾ける。ランベールが言っている意味が分からないのだ。
波動魔法とは、“世界は波動によって成り立っている”という観点から世界を記述する魔法だ。波動魔導師にとって世界に存在するあらゆるものは、指紋や静脈と同じように特有の波動――すなわち固有波長を放っていだ。だから、これを追跡する術があれば原理的には那美を見つけることは可能だ。もっとも、固有波長を観測することはできても追跡までは本分ではないから、波動魔導師にとってそれは苦労どころではない神業になのだが。
ランベールが両手を広げて宣言した。
「魔法の不正使用による一般人十二名の殺害容疑で抹殺させてもらう」
「容疑なのに殺すの?」
「ASUにとってお前の存在はもはや邪魔以外の何物でもない」
ランベールの言葉が戦闘の合図だった。そして、目を焼き尽くさんばかりの閃光と衝撃破が荒れ狂った。
精霊魔法の火系分離魔法で、ランベールが爆発を引き起こしたのだ。いつの間にか誰もいなくなっていた公園には精霊体系による結界が張られている。那美にとってここは鳥籠の中だ。
爆心地の中心、芝生が抉れてできた穴の中に、本来の姿に戻った那美が立っていた。先の爆発では那美の防御魔法を突破できなかったのだ。
ランベールが心の内で警戒レベルを一段上げる。
「うわあ……! やっぱり他の魔法も凄いんだ。まえ戦ったときはあまり派手な魔法が見られなかったけど、今回はたくさん見られそう!」
明らかに殺されようとしているのに那美は無邪気に声を弾ませていた。ランベールはこれを挑発と受け取った。
「良かろう。魔法の神髄、存分に観て死ぬがいい!」
吠えたランベールの周囲に、数えるのも億劫になるほどの礫が生まれる。白銀に輝くそれは、土系分離魔法によって生み出された石英だ。礫が横殴りの雨がごとく打ち出される。
青年の姿を解いていた鎧が那美の前に立ちはだかる。刀を抜き放った鎧が、彼女に直撃する礫だけを器用に刀で弾いていく。
「パスカル!」
「はいはい、分かりましたよっと」
パスカルと呼ばれた青年魔導師――パスカル・ヴェイユが地面を蹴って宙に浮いた。波を捉えることのできる波動魔導師にとって、AWSがなくとも宙を跳ぶなど造作もない。
パスカルが光を二十程度生み出す。あらゆるものを波動として知覚する波動体系にとって、光は手ごろに扱える波のひとつだ。太陽光を束ね増幅した光は、鉄筋すら楽に貫通するほどの威力を持つ槍と化す。
「悪いね。魔法使いの未来のためにここで死んでくれ」
暗い顔になったパスカルが光槍を放つ。鎧は礫を弾いており、那美は光の槍をぼうっと眺めているだけだった。光速度で動く槍を防げるはずもなく、彼女にとっては完璧な詰み手だった。
第九階梯魔導師でさえなければだ。
『その光、頂こう』
動き出す寸前、光槍が脈動した。パスカルの表情に驚愕。光槍に精神を吹き込まれ、支配されていた。パスカルの魔法が元型魔法で上書きされたのだ。魔法使いにとってこれほど実力差を痛感させられることはない。
光槍の矛先がパスカルへ向く。
「ちっ、ふざけんなっ!」
舌打ちしながら即座にパスカルがその場を離脱。直後、光槍が直前まで彼がいた空間を貫いた。空中に逃れたパスカルが更に光槍を三十生み出す。
「愚か者!」
叫んだランベールが魔法を繰り出す。いまの攻防で生半可な魔法では捕まえられると悟ったのだ。
光槍が再び支配されると同時、ランベールの魔法が完成する。那美の周囲三六○度を石英の礫が包囲していた。物量で元型魔法の魔法支配量を突破するためだった。
礫が一斉に那美へ殺到。寸前、鎧が刀を横に薙ぐ。
突如那美と鎧を守るように竜巻が生まれた。烈風に巻き込まれた礫が宙に散る。
鎧が刀を振ることで生み出した風を支配し、一瞬にして竜巻にまで成長させたのだ。神を想起させる呆れるほどの魔法力だった。
竜巻に巻き込まれ宙を舞ったランベールを高速移動してきたパスカルが受け止める。
「班長! これ無理っすよ!」
暴風の音の中、パスカルが叫ぶ。ランベールの眉間には濃い皺が刻まれていた。たった二手でここまで追い込まれたのだ。二人で相手をするにはあまりにも分が悪かった。
「一度体制を立て直すぞ! 苦渋だが配下の者を呼ぶ!」
そのとき、風が凍てついた。
『仲間を呼ばれるのは困るな』
鎧の言葉がふたりの耳に届くと同時、竜巻内部の大気の動きが止まった。風が凪ぐなどという話ではない。完全に止まったのだ。必然、大気を押し出すことで動く人間の動きも止まる。呼吸もできず、指先ひとつすら動かせず、ふたりが空中に結い止められる。
『精霊体系でも似た魔法があったな。悪いが使わせてもらおう』
音の消えた世界に鎧の言葉だけが響く。
ランベールの脳裏にある魔法が浮かぶ。風の結界とも呼べる無風にする魔法だ。完全に大気の流れを止めることで敵を無力化する高度な風系分離魔法だった。そして、必然的に窒息させることも可能だ。
あと数十秒足らずの意識の中でランベールが口の中でつぶやく。
――そういうことだったのか……。
ランベールの中で点と点が繋がったとき、ふたりは意識を失った。
無風の魔法が解かれ、深紅の魔導師たちが足から地面に落ちる。芝生に叩きつけられた魔導師たちは、足を不自然な方向に折り曲げて倒れた。完全に骨折していた。命があっただけまだ幸運だろう。
鎧が刀を鞘に納めた。穴の中から様子を伺っていた那美は、興奮で顔を真っ赤にしていた。
「すごい! こんなの初めて見た!」
『行くぞ那美。すぐに応援が来る』
「うん、分かった」
那美はわがままを言わずに頷き、鎧と一緒に公園を出る。既に園内を囲っていた結界は消えていた。
殺人鬼は止まらない。再び殺意に溢れた無邪気な少女が世に解き放たれる。
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