6 戯言

 湯浪理彩ゆなみりさの運転する軽自動車には酒の臭いを付けた榊守と戸田が乗っていた。戸田はもしもの為に持っていた小型ビデオカメラのバッテリーと手持ちのテープの残量を確認している。助手席の榊は天玄山までのナビを行いつつ、事件現場の方角を窓を開けてみていた。

「光が見える…。恐らくアイツの死霊か…。」榊がつぶやくが、戸田がカメラを天玄山方向に向けても、その光は見えない。


「カメラには映らないな。」

「そりゃそうですよ。」

榊は窓を閉める。


「いったいどういうことなんだ?この状況は?」戸田は榊に尋ねた。

「戸田さん、物的証拠も出るわけではないので、もうこれ以上の事件としての進展はありません。なのでここから先は事件に関わる部分ではなく、現実を若干超える話になりますよ。」


「それでも構わんよ、ここまで来たらこの事件のもやもやと鬱憤を私はどうにかしたいんだ。」

戸田は映らないカメラの電源を切るとバッテリーも外した。


「会社の為だとか、誰かの為とかでは無い。自分の為に動くんだ。」


戸田の回答に榊はにやっとした。

車は天玄山の入り口の駐車場に着いた。榊はスーツの上着を脱いでネクタイを外した。戸田は車を降りると、極端な威圧感を感じ視線の先にある状況を疑った。


天玄山の山の一部が光に覆われていた。その光は白く明るい光ではなく、黒い筋が物質に当たり発光している光が筋を黒い光に見せていた。その光が雷光のように空気を切り裂くように蠢いている。

「なんだこれは」

視覚をいじったままの戸田の眼にもその光は見えていた。


榊は理彩に車にとどまるように忠告すると黒い光に向けて歩き出した。戸田もついて行く。


「人の霊は死ぬと、死んだ本人にとって一番印象の強い場所に戻ろうとする、なんて話を何かで聞いたことがありましてね。」榊は歩きながらしゃべり出した。


「印象強い場所?」


「どんな要素でもその印象が強い出来事であればという話です。多分被害者はこの天玄山のあの現場だとは思っていましたが…、加害者のアイツもこの場所だということは思ってなかった。」

榊はどんどん山の中に入っていった。

「この場所が本当に殺害現場だったのかと言えば、多分遺棄現場ってだけであって違うんでしょうが、あの高速で命を落とすまでの数日間アイツには人生最大のインパクトになり得た場所。」

榊はそのまま歩いていく。

「ここ数日、やつは怯えていた。公開捜査に変わり、遺体が見つかって、この場所が連日テレビに取りだたされると、いつ自分に捜査の手が及ぶかを怯えていたんだ。」

戸田は榊の言葉を聴きながら歩く。


「それに絶えられず、アイツはこの世に未練を無くしたかもしれない。だがアイツにとってここは一番インパクトの強い場所になってしまった。」

「あそこまで大きくなったのはなぜだ?」

「あそこにいると思っているんだ。自分の手で殺めた、人から見れば歪んじまった愛の相手がね。だが、彼女にとってインパクトの強い場所は異なった。だからアイツはあれだけ暴れてるんだ」

榊はシャツの袖のボタンを外すと、袖をまくった。その姿を見たとき戸田は絶句した。

榊の左腕には模様があった。しかしそれは刺青の類ではなく、ケロイド状の火傷だった。

さっき話していた事故による傷なのだろうか、ほぼほぼ左腕を覆った火傷痕が生々しい。


「今のアイツは獲物をほしがる獣だ。」


榊はいつの間にか持っていた自動車のソケットレンチを左手に持つ。恐らく理彩の車から失敬したのだろう。

「暴走している以上、それは止めねばならん。」

榊は黒い影に向かってレンチを構える。


その動きを読んだのか、黒い影は榊に威嚇するように吠えた。遠吠えの様なそのうなり声は、無縁な戸田でも強くビリビリと感じた。

榊は走り出すと黒い影に向かってレンチを振りかぶった。影は防御の態勢を取り、腕のように動くとレンチを弾こうとした。


しかし、レンチは弾けない。レンチは刃物のようにその影の腕の防御を切り落とした。さらに影の目の前にレンチが迫る。が、とっさに黒い影は榊のボディに一発入れて弾き飛ばす。


飛ばされた榊は一瞬ひるむが空中で姿勢を整えると、足から着地する。

「榊君!!」


「来るな!!」


戸田は駆け寄ろうとしたが、榊がそれを止めた。

火傷のあった榊の左腕は光に包まれ、それは持っていたレンチをも光に包んでいた。


その光はレンチの形状をも変えようとしていた。その形は槍のような形状に変わっていた。榊の表情はさらに厳しくなり、眼は怒りによる鋭さを増している。それは黒が『悪』である事に対して、榊は白の『善』で対抗しているようだった。

戸田は榊が天の使いなのかとも思いかけていた。しかしその予想は若干、的外れの感もある。戸田は榊がなんなのかわからない。

更に榊は体勢を立て直すと更に右手でも光の槍を支えると大きく振りかぶった。



「ほぉ、あの青年やるな…。」


――この状況を見ていたのは戸田だけではなかった。


天玄山から少し離れたところの集落では、山伏の集団が待機していた。山伏のリーダー格の男が天玄山で新たに発生した力の反応を見る為、直接の攻撃を部下に止めていた。リーダー格の男は双眼鏡で天玄山の状況を追っている。仲間の山伏がしびれを切らして尋ねる。


「どうするんですか?」

「まだ待機だ。この状況なら青年の方が勝つだろう」

リーダーは双眼鏡を見ながら話す。

「いったい何者なんですかね?あんな強レベルの魔封師まふうじ聞いたこと無いですよ」


「違うな。」


東里市内の骨董屋『無縁屋』の店主で、神殺しの存在として魔封師でもあるリーダー伊野宮恭介いのみやきょうすけは青年の行動に覚えがあった。

「あれは魔封師に見えるが違うな。」


伊野宮は双眼鏡を外した。

「…恐らくあいつは、四国は榊一族の流れを汲む者だな」


「四国の榊?でもあの一族は」

「もう、途絶えたはずだ。」

部下の一言に伊野宮が補足する。

「そう考えると辻褄は合うが、全く要素の違う存在なんだろう。縄張り違いは何ともわからん」

「とはいえ、あんな存在、この東里には…」


「厄介か?」


伊野宮が嘲笑う。

「あの保身にしか回らん審議会じゃ到底扱えんな。」

伊野宮が煙草を吸う。


「しかし、四国の榊が生きていたとしても、それは神還師・魔封師どちらから見ても異端者どっちつかずの存在。審議会には通告しますか?」

「いや、しなくて良いだろう。どうせ…」

「どうせ?」


「あいつらじゃあ見つけられないだろう。もし榊だった場合は審議会よりも恐ろしい存在がいるからな…」


伊野宮はそう言うと双眼鏡から目を離した。

「結論が出るのにそんなに時間はかからんだろう。ここでしばらく待機だ。」


――天玄山で発生した闇は発生時よりも勢いは収まってきている。榊の攻撃は緩むことなく、闇の勢いを的確に削いでいる。


怨鬼滅波解離えんきめっぱかいり


榊の法術と共に地表から光の線が上がるその光によって闇は苦しめられていった。


――そろそろか。


榊は体勢を整えなおすとレンチを持ち直す。


遺練抜未絶恨ゆいれんばつみぜつこん還世廉精恨解壊かんぜれんせいこんかいかい


光の圧はさらに強くなる。榊は走りながらレンチを闇に向かって振りかぶる。


――これで終わりだ。


榊はそう思ったその時だった。


「そこまでです。守様」


向かった闇から手が伸びた。榊は勢いそのままにその手に顔ごと押さえられると、そのまま両足が前に伸び、その勢いで後頭部から地面にたたきつけられた。

榊は再び立ち上がろうとするが、紳士は首下を片足で踏みつけた為、起き上がることもできない。


「あなたを『向こう』に行かせるわけにはいきません」


榊を停めたのは背広にコートを羽織った、銀髪の紳士だった。榊を踏みつけたまま闇の方を見る。


遺練抜未絶恨ゆいれんばつみぜつこん還世廉精恨解壊かんぜれんせいこんかいかい

榊が放とうとした呪詛をその紳士も唱える。紳士はその呪文を闇に向かって唱えた。

すると闇はうなりともわからない咆哮を挙げると瞬間的に闇が震えたと思ったら。亀裂が入り、闇はその形を維持することができなくなり、黒い粒子となって崩壊した。


その瞬間に榊も動き出した。呪詛を繰り出して地面を崩すと、その緩みから榊の枷は外れた。

榊は紳士に向けてレンチを振り落とす。しかし紳士は掌でレンチを受け止めると、そのまま片手でレンチごと榊を投げ飛ばして近くの木を吹き飛ばした。


「――」

榊は唸っていた。その眼の色は最初の時よりも変わり赤い光を帯びていた。それは戸田や紳士を認識していなかった。どのタイミングでその眼に変わっていたのかは判らないが、人の形をした獣だと戸田は感じていた。


「榊君!」

戸田が叫ぶが無駄だった。榊は聞き耳を立てようともしない。

紳士は榊の前に出た。

榊は唸っていた。その眼に本来の色はなく、瞳孔は開いている。

裂波還減抑れっぱかんげんよく怨志滅極おんしめっきょく…』

紳士が右手で印を切り始める。榊は息が荒く続く。

「榊君…、大丈夫なのか?」戸田が不安がる。

『裂波還減抑、怨志滅極…』紳士が唱え続ける。

すると、唸り声は収まり、榊の目の色も戻っていた。そして急に力が抜けたようにその場で倒れた。

「これで大丈夫です。暴れることはありません。」

紳士が戸田に言った。


「あんたは何者だい?」


戸田が紳士に尋ねる。


「私は佐山、この方の関係者です」

「榊君のその力のことをよく知っているようだが…、彼は何者なんだ?」

佐山は人差し指を口においた。

「申し訳ないですが、これ以上話すことはできません。そして、」


「彼には今日の一連の記憶をすべて消してもらいます」


佐山の言葉に戸田は反感を持った。

「何?そうなるとすべての証言は…」

「そんなものは」

佐山は戸田に顔を近づける。戸田は若干たじろぐ。


「証拠のない『戯言』であり……」


佐山はさらに近づける。

「晴らしたかったんでしょう?あなた自身のもやもやを」


戸田はハッとした。事件と同様に、物証のないものには妄言や戯言でしかない、今の戸田達の足掻きにそのまま響く一言だった。


佐山は戸田のこめかみに指を当てる。

戸田の眼に鋭い電撃が走り悲鳴を上げた。

「またか…」

戸田の視界が戻るとそこに佐山はいなかった。そして、さっきまで榊と訳のわからない球体が暴れていた痕跡は皆無だった。側には榊が伸びていた。


「う…。」気を失っていた榊が唸る。

「榊君、大丈夫か?」

「戸田さん?」

榊は怪訝な顔をする。そのまま辺りを見回す。

「私はいったい何を?」

「君は天玄山の事件…」


榊の質問に戸田は黙った。


佐山の放った『戯言』という言葉が恐怖となって戸田にのしかかる感じだった。

その悪寒は佐山に対する恐怖にも近かった。


「戸田さん?」榊は不安な表情を見せる。

「……君はハイキングコースから足を踏み外して滑り落ちたんだ。覚えていないのか?」

「いえ、だけど……。」

戸田は驚く。記憶が残っていたのか?と思った。


「身体の節々が痛いのはそういうわけですか。」

「…そうだ。」

戸田はホッとした。立ち上がろうとする榊を介抱する。

「なぁ、榊。お前報道に来ないか?」

「え?」

戸田は不思議がる榊ににやっとした。



「……榊は佐山に記憶を消されたんですか?」

2016年の年末、戸田老人から話を聞いた私は、佐山の存在まで知っている戸田老人のことを驚いた。


「ああ、榊は完全に記憶をなくしていた。事件を追っていたことも、関係者のこともな。」

藤本由美や神楽ミキも榊とは接点があったのか…。私はそのことは今後のネタとして使えるなと思った。

「しかし、事件は結局解決まで10年もかかってしまった。いつもこの時期になると思った。」

「犯人は結局犯行の後、自動車事故で亡くなったそうですね」

「ああ。」

戸田老人は静かに息を吐く。

「本当に我々の行動が正しかったのか?ってね。」

戸田老人は私をじっと見ると、自分で注いだ茶を飲む。


「まぁ、結果は正しかった。アプローチの仕方は異なったが、警察はアイツに関する情報を改めて掴んだんだ。榊のやり方でなくともきちんと証拠にありつけられるということもな。十年時間がかかっちまったが、榊の言葉で急がなくても結論はでたんだ」


戸田老人は茶を飲み干す。その顔はニュースで見ていた厳しい顔と異なり、少し柔らかくなった表情だった。事件に関するわだかまりが晴れたような顔だった。



その十年前のあの時、天玄山での『ひと暴れ』の後はドタバタだった。


営業の榊守が天玄山のハイキングコースで足を踏み外して落ちたことは、社内のネタにされた。入院こそなかったが、首と腕を捻挫したようで、一週間で快方に向かっていった。


戸田は事件のことについては何も言わなかった。被疑者が既に死んでしまい、現時点で警察もマスコミも彼には結びつく証拠も根拠もない。恐らく時効までの解決は望めないだろう。


ただ本当にあの男だったのだろうか?戸田が見つけた証言はほとんどが榊という男が見いだした『土地神』からの情報であって、当の榊守本人は記憶その物が意味消失した状態なので結論はわからなかった。


―もし榊と私がアイツを追い詰めていなかったら?あの日わずか数時間の間に出てきた内容は、事件が解決まで要する十年よりも遥かに濃いものだ。


だが、それ以上に取材としての質は最低で、あの数時間は帳消しの様な虚しさも強かった。


戸田はその後、報道にやってきた榊に対して言ったのは、

『キチット足を使って証拠と確証のある情報を探せ』

結局この一言がすべての結論だった。榊はその言葉に疑いもなかった。



ケガから一週間後、榊はとりあえず職場に戻ったが、何か感じるモヤモヤがあった。


「榊さん」後ろから声を掛けられる。


榊が振り向くと、にこりとした藤本由美がいた。

「何とも言えない結果になったわね。」

藤本はニコリとはしているが、落ち着いた感じでしゃべり始めた。

「結局犯人も死んじゃった訳だし…」

藤本はそのまま話し続ける。

「でもどうするの?この事実を報道するの?」


「……」榊は疑問に満ちた顔をする。

「ねぇ、どうしたの?」

藤本は怪訝な顔をする。


「失礼ですが…、どなたですか?」


榊は怪訝な顔で藤本を見た。


「え…?」

藤本はそれ以上を言わなかった。


「守さん、どうしたの?」

藤本が振り向くとそこには若い女性が両手に飲み物を持って立っていた。

「いや、何でもない」

榊は椅子から立つと、そのまま女性のもとに向かった。


藤本は沈黙のまま榊たちを見ていた。

「今の人、誰?」

「いや、知らない人だ……」

二人の声が遠ざかる。


『――』


藤本はだれにも聞こえない声で何かをつぶやく。それはこの間の事件以上に何かを知っている素振りのようにも見えた。




「指示通り、天玄山に関する件の記憶と、『眼』の一部を封じました。」


佐山は暗い和室の中で正座をし、畏まった状態で喋っていた。

「ありがとう。助かったわ」

奥からしわがれた女性の声がした。


「……本当によろしかったのですか?守様は、大人になりました。今後一族を……」


「佐山」


老女は静かにその名を口にした。

「その時は今ではない、あの子の心が変わるまで封じなさい」

佐山は黙り老女に頭を下げると部屋を出た。


「その方が幸せかも――」


老女は外の雨戸が風で軋む音を聴いていた。

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