第12話 揮発性気違い水 (2018.12.04)PM9:16

PM9:16


 九時を過ぎた街は商業用の明かりが目立つ。ネオンの光以外にも、安っぽい電光看板が太陽の代わりに照り付けている。チェーン店の大衆居酒屋が軒並みあるなか、五反田が顎で指したのは刺身が売りのポスターが貼っている店だった。先陣切って元上司が紺色の暖簾を潜るのを前に、八丈島は小さな溜息をついた。この男、大のアルコール嫌いなのである。

 若い男性の「いらっしゃいませー」と響く声。それからバイトのやまびこ挨拶。ぽつぽつと空いたカウンターから見るに、繁忙の第一波が終わり、客が幾分か流れた様子であった。なじみの店員へ五反田は挨拶し「奥の個室、空いてるか」と言いなれた言葉を吐く。店員は「はい。お待ち、いま空いたんで片づけてからになります」と返事をする。手の平を払うように「構わん構わん」と適当にあしらった。

「ここ、相当通っているんですね、」

 個人経営の店ならまだしも、大手のチェーン店で顔を覚えられているというのは、よっぽどの常連かクレーマーぐらいだろう。そう思っていた八丈島だったが五反田は「んにゃ、同期の息子がここでバイトしているんだとよ」と補足した。

「なるほど、それで」

 通路をスダレで遮られた、テーブルの個室へ案内されて察する。たとえ飲み潰れようが、なにしようが、五反田の「この席は気にすんな」の一言で片づけられるのだろう。それはそれで八丈島にとっては不本意だった。

「アルコールは苦手なんです、勘弁してください」

 頼んでも無い焼酎の瓶とグラス。運ばれてきた海鮮の通しを目視して、八丈島は軽く右手を挙げて拒否をする。五反田はお構いなしに「俺の酒が飲めないっていうのか!」と怒鳴り散らした。しぶしぶ八丈島はグラスを手に取り、水割りの焼酎を口につける。

 スゥッと気化するアルコールの味に八丈島は顔をしかめた。できるものなら断りたいのが常である。しかし、自分の置かれている状況の性質上、上司に誘われてしまえば断れない。縦社会であるが故、ここで機嫌を損ねることロクでもないと知っているからだ。

「無礼講に、腹割って話そうや」

「……五反田さんには世話になりました。ただ、そちらの派閥へ首を縦に振るわけにはいきません」

「管理官だってむざむざお前を手放したわけじゃないぞ」

「そうは言っても、その管理官の裁量で飛ばされたんですが?」

 今はかかわりが薄い部署にいるとは言え、元をただせばこの手の輩に突っかかったのが原因だった。五反田みたい実力主義でいて、豪快で緩い連中なら実績さえ挙げていればお目こぼしがされるというもの。学歴主義や保守的なお上至上主義は規律や規範を重んじる。自分たちのことは棚に上げた上で、序列とルールを振りかざす。

「ちょっと色いい返事をすればいいだけだ。あの八方美人は素直に返事をしたぞ」

「三上ですか? あいつと一緒くたにするのは、よしてくださいよ」

「俺に逆らうと本当に一課へ戻れなくなるぞ」

 五反田も交渉のカードを持っているタイプ。しかし腐りかけたミカン箱では、うまくやれそうにもなかった。八丈島は自傷気味に笑い、吐き捨てた。

「どこの課にいようが関係ありません、自分ができることをするまでですから」

「俺を試しているんだな」

 そんな八丈島の態度に五反田は苛立ちを覚える。脅しの反面、真摯さを捨てきれない。五反田が聞きたかった言葉とは違うことを言う、元部下のクセに。眉間のしわが濃くなった。

「滅相もない。信用しているんですよ。そんなつまらない事をつっかけてくるタイプじゃない、と」

 体裁では管理職をしているが、本当は現場派であることを知っている。痛いところを突かれた五反田は「上官に向かって言うようになったな。次の昇格試験に指名してやろう」と冗談めかした。

「遠慮します。そういう肩書が欲しくてゴマすっているわけじゃないんで」

 謙遜する八丈島へ「じゃあ何がよくて上を目指す」と五反田は疑問を口にする。しかし八丈島はグラスを煽り口を閉ざした。

「ほぅ俺に言えないような理由で出世を目論んでいるのか。謀叛なら、とっ捕まえて警務へ突き出し点数、」

 脅し文句を並べる五反田へ「わかりました、わかりました、言いますよ」と八丈島は観念した。真剣な顔を崩さず、五反田は不機嫌に文句を吐いた。

「初めからそう言えばいいんだ馬鹿者」

「……真面目なやつほど損をするのが見ていてツラい。だから自分が守れる範囲を広げるため肩書が欲しかった。だが、現実は割を食うのは俺たちみたいなタイプ。順列の階級システムである限り、搾取される。だったら好きな仕事だけでいい、と開き直っただけです」

「そんなにウチの主要課長殿様の方針が嫌いか」

「点数稼ぎはかまいませんよ、ただそこに巻き込まれたくないのが本音です」

「ゆうて、お前が傾倒している三課の連中も大概だろ、ベテランってだけで。下手したら三課そっちに引き抜きされるぞ。そしたらやりたかった一課の捜査前線から降りることになる。それでもいいのか」

 ストレートな脅し文句に八丈島は「言ったじゃないですか、自分ができることをするまでです」と至って毅然とした態度で答えた。否定的な態度とは裏腹に、眼は眠気に閉じかけている。アルコールが回ってくるのがいつもより早いと自覚していたが、思えば夜勤明けてから例の件で地方資料のデータベースをあさり、先日駅で捕まえたスリ犯の書類を認めているうちに一日が終わっていた。資料室から気なしに戻ったデスクにつくなり、六馬から霰のような報告と五反田の名前を聞いたのを最後に首根っこ掴まれて飲みに来ていたのだ。

「お前の本音はわかった。頭を冷やすまでもなく、こいつはどこへ寄越しても栄転ってこった。あの隠ぺい気質ジジィどもが嫌がるわけだ」

 五反田はそう結論付けるが八丈島は一切聞いていない。そのまま空いたグラスを片手にテーブルへ突っ伏して眠りについていた。

「にしても、酒でも入れなきゃ熟睡しないクセに、断りやがって」

 毒づく五反田はそのまま手酌で自分のグラスを並々にした。煽り飲んでガンッとテーブルに打ち付ける。

「八方美人はあの隠ぺいジジィのコマだしよ。お前に死なれちゃ俺の後釜、誰にするつもりだ、クソッタレ」

 スダレのカーテンがシャラッと音を立てる。五反田の要望により、この店の店員は呼ばれるまで来るなと告げている。

「八方美人とは酷い言い草ですね」

 五反田も聞きなれた声色で語るその主は三上晴海で間違いなかった。


(続く)

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