第185話 姫乃の知らない世界

「それでは、失礼します」


 亞咬は暁に向かって深々とお辞儀をすると、車に乗り込む。

 そして、チラリとその横にいる姫乃に視線だけ向けると、何も言わず車を発進させた。

 亞咬の車が去ったその背後から、緋彩が白銀のバイクをゆっくりと転がしやって来る。

 フルフェイスのメットから覗く青色の瞳が、暁に向けられた。


「それじゃあ魔王様、俺もこれで…………」


「お二人は一緒に帰らないんですね」


「互いにそれぞれやることがあるので。こう見えて忙しいんですよ。それより…………」


 肩をすくめた緋彩の目つきが、変わる。

 その目を見て、暁は黙ったまま頷いていた。

 その目が何を意味するのか…………傍らにいた姫乃は首を傾げたが、暁は理解しているようだった。

 二人の無言のやり取りに、姫乃は何故か不安な気持ちに襲われる。


「それでは、姫乃さんもまたね」


「………………」


 緋彩は姫乃に向かってヒラヒラと手を振るが、姫乃は何も返さない。

 それを見て、緋彩は「やれやれ……」と苦笑いを浮かべながら呟くと、アクセルを回して、爆音を鳴らしながら颯爽と走り去ってしまった。

 二人を見送り、灰魔館の玄関前には、暁と姫乃の二人だけが残されていた。


「…………行っちゃったね」


「…………行っちゃったな」


「あのさ、姫ちゃん」


「なんだ?」


「ちょっと……今から一緒に歩かない?」


 暁の頭を掻きながらの誘いに、姫乃は無言で頷く。

 暁は緋彩と、姫乃は亞咬と。

 それぞれがそれぞれで話を交わしているが、まだ互いにその内容は知らない。

 おそらく、そのことだろうなと姫乃は思いながら、丁度いいと考えていた。

 『自分も暁に話さなくてはならない』と、同時に考えていたからだ。



 ※



「はい。これで暁兄ちゃんのモンスターの地割れ攻撃は無効で僕の勝ち」


「えええっ!? ちょっとタンマ!! やっぱりさっきのはなし!! 巻き戻し巻き戻し!!」


「えぇ~またかよぉ…………これで何回目ぇ?」


「まあまあ、ほら。駄菓子の当たり券あげるからさぁ…………」


「何をしとるか」


 姫乃に後頭部をチョップされ、暁の手にしていたカードが散らばる。

 駄菓子屋の前に置かれた木製ベンチに散らばったカードを、暁は慌てて拾う。


「ちょっと何すんの姫ちゃん! 手札が見られちゃうだろ!! 情報アドは勝負を大きく左右するんだぞ」


「小学生相手に『タンマ』をかけまくった上に買収までしようとしていたヤツが勝負を語るな」


「どうでもいいけどゲームがめちゃくちゃになっちゃった…………」


 ここは灰魔館からほどなくした場所にある一軒の駄菓子屋である。

 今時珍しい、古びた店構えに、駄菓子が陳列された暗い店内。

 奥の方では時代に取り残されたゲームの筐体が唯一の光源として光を放っていた。

 何故、自分はこんなところにいるのだろうと姫乃は店先で頭を抱えた。

 何故も何も、灰魔館から出てたまたまこの店の前を通りがかった時、店先にたむろしていた小学生の集団に暁が捕まってしまったからだ。

 この店の常連である暁は、同じく常連であるこの辺りの小学生たちとはだいたいが顔見知りであった。


「暁兄ちゃん見てよ! 俺このカード当たったんだぜ!」


「すっげぇぇぇ! これネットではもう五千円くらいに値上がりしてたぞ!! 交換しようぜ交換!!」


「えぇ~暁兄ちゃんのカードってカスばっかじゃん」


「そんなことはない。今はただのコモンカードでも、いずれ環境をとるカードたちだぞ」


「それいっつも言ってるけど、いつ来るんだよそんな環境…………」


(小学生と同等に話してる…………)


 小学生と楽しそうにカードゲームの話をしている暁を、姫乃は呆れた顔で見ていた。


(けど……懐かしいな……)


 呆れながらも、暁と子供の姿が、自分と暁の幼い頃の姿と重なる。

 姫乃も幼少の頃、父である亞咬の目を盗んで、暁に連れられてこの駄菓子屋を訪れたことがあった。

 『娯楽』というものから完全に隔絶された生活を送っていた姫乃にとって、この古びた駄菓子屋は、新鮮で輝かしい夢のような場所だった。


(きっと……暁と出会ってなければ、こういう場所にも訪れることはなかったのだろうな…………)


 この駄菓子屋だけではない。

 自分の知らない世界を、暁はたくさん教えてくれた。

 そして、その全てが姫乃にとって大切な思い出の場所だった。


「どしたの姫ちゃん? ボーッとして」


「えっ? あ、いや……何でもない。もういいのか?」


「うん。待たせちゃったね」


 暁はそう言いながら、後ろ手で子供たちに手を振る。

 すると、子供たちは手を振り返しながら、大声で二人に向かって叫ぶ。


「じゃあね暁兄ちゃん! 彼女に迷惑かけちゃダメだよ!!」


「おーう! みんなも遅くならないように帰るんだぞー!!」


「ちょっと待て! 『彼女』ってなんだ!? まさか私のことか!?」


「だっていくら『幼なじみ』だって説明してもアイツら信じてくれないんだもん」


「『だもん』じゃない! どうするんだもし……その……近所の噂とかに…………」


 顔を赤くして、姫乃はしどろもどろになる。

 予想以上に戸惑う姫乃に、暁は首を傾げた。


「そんな大袈裟な……それより、ほら。もう少し歩こう」


「どこが大袈裟だ! 暁!! ちょっと待てお前!! おいっ!!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る姫乃を受け流し、暁は平気な顔をしてさっさと先を行く。

 姫乃は『人の気も知らないで……』とモヤモヤしながら、暁に恨めしそうな視線を向けるのだった。

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