第67話 逃走×追跡

 男は人混みの中で一人ほくそ笑む。

 『今回もチョロい仕事だったな』と。

 大勢が行き交うこの場所で、獲物に目星をつけ、人混みに紛れて荷物を奪う。

 その後は再び人混みに紛れて、姿を隠す。

 この一連の流れも慣れたものだ。

 あとはこの汚い手提げ袋から金目の物を取り出して、袋を捨てるだけでいい。

 今日は調子もいいから、あと二、三人獲物を見つけて狩るとしよう。

 何、見つかってもを使えば、捕まることはない。

 そんなことを考えながら、男は背後を見る。


「!?」


 男は目を見開く。

 人混みをかき分け、金髪の少女が凄い形相でこちらに向かってきているではないか。

 外国人なのだろうか?

 髪色もそうだが、日本人離れした綺麗な顔立ちでこちらを睨みつける姿は妙な威圧感がある。

 明らかに怒気を孕んだ視線の矛先は自分だ。


(まさか……さっきのが見られてたのか?)


 男は胸の内に抱いた疑念を確認することなく、走り出した。

 とにかく、この場から早く離れなくてはいけない。

 見たところ、女は助けを呼ぶことなく、一人で向かってくる。

 自分程度なら、女の細腕一本で十分と嘗められているようで釈然としないが、今は逃げる方が先決だ。

 男は走りながら、再び背後を確認する。

 人の間隙を器用に潜り抜けながら、女も同様に走ってきている。

 やはり、狙いは自分かと、男は確信した。


(ここからなら……が近いか……よし)


 男もまた、器用に人の間隙を縫いながら、走る速度を上げた。



 ※



(走る速度を上げたか……けど、絶対逃がさねぇ!!)


 メルは人混みの中の男を見失わないように追い続ける。

 これだけ人が多いと、目立つメルの能力も発揮はできない。

 人が少ない場所に出るまで追って、捕まえるしかない。

 デモニアとして優れた感覚を持つメルにして見れば、たとえ人混みの中に紛れようとも、犯人を見つけ出すことは容易い。

 逆に犯人からすれば、メルの追跡を撒くことは容易ではないということだ。

 人の流れに逆らいながら、一定の距離感を保ち、追跡を続ける。

 すると、男は突然方向転換し、建物と建物の間、人の寄り付かないような路地裏に入っていった。

 視界から消えた男を追って、メルも路地裏へと入る。

 しかし……。


「……いない!?」


 メルは瞳を大きく開いて驚く。

 昼間だというのに薄暗い路地裏には、先ほどまで追いかけていた男の姿は影も形もなかった。

 あるのはゴミを捨てるための青いポリバケツに、室外機、金具の錆びついたビルの雨どいなどぐらいで、人のどころか野良猫一匹の気配も感じられない。

 メルが五感を研ぎ澄まし、路地裏を注意深く見回す。

 しかし、どこかに隠れているような気配は感じ取れなかった。

 ふと、暗がりに目を向けると、雨どいの排水口の近くに古びた手提げ袋が落ちているのを見つけた。


「これは……ばあちゃんの…」


 落ちていたのは間違いなく、あの老婆から奪い取った手提げ袋だった。

 しかし、中身はなく、既に男に抜き取られた後だった。


(見失ったのは一瞬だけ……その間に袋の中身を抜き取り、逃走する……? 馬鹿な…どうやって?)


 メルは手提げ袋を握り絞めながら、ビルに挟まれた空を仰ぎ見た。



 ※



 メルが男を見失った路地裏の左横のビル。

 いくつかテナントが入っている賃貸ビルなのだが、ほとんどが空き部屋で人の姿もない。

 しかし、そんなビルの屋上には人の影があった。

 それはメルが追っていた男に他ならないのだが、先ほどまでとは様子が違う。

 男の体は、細かく明るい灰みの黄色の粒子が流動する人型の物体になっていた。

 顔は能面のようになっており、下半身も特定の形をとらず不定形に蠢いている。

 それはいわば、『砂人間』といったような姿だった。

 屋上の隅にある雨どいに繋がる吸水口からは砂が溢れ出てきており、男の不定形な下半身に向かっていき同化していく。

 しばらくして吸水口からの砂が途切れると、『砂人間』といった風貌だった男の姿が、元の人間らしい姿に戻っていた。


「へっ……やっぱりチョロい仕事だったなっと」


 男はそう言いながら、老婆の手提げ袋から抜き出した財布を宙に放り投げる。

 再びそれをキャッチすると、中身から紙幣だけを抜き取り、自分のポケットに突っ込んだ。


「さて……まだあの女が近くにいるかもしれないからな。ほとぼりが冷めるまでしばらくここに…………」


「隠れても無駄だ。もう見つけちまったからな」


「…………は?」


 男は突然背後から聞こえた声に驚き振り返る。

 振り返った先には、漆黒の翼を広げてこちらを睨む少女メルの姿があった。

 あまりの驚きと頭に渦巻く様々な疑問に、男は混乱し口をパクパクさせる。


「おまっ…………何……何で…………?」


「どうやらお前は『土人間クレイマン』のデモニアのようだな。体を自在に土に変える能力。その能力を使って雨どいのパイプを通って屋上ここまで逃げたんだろう。だが、俺の耳は誤魔化せないぜ。パイプから不自然な音を出し過ぎだ」


「お前……お前もデモニアなのか?」


「『お前』?」


 メルは眉をひそめ、さらに宙に上がる。

 男の頭上くらいの高さにくると、男を見下ろし、睨みつけた。


「俺を誰だと思ってやがる。俺はメル・レクスレッド…………いずれ『魔王』となる者だっ!」


 言葉を言い終えると、メルは大きく息を吸い込む。

 体に取り込まれた空気は、肺の中で魔力と混ざり合い、紅蓮となって渦巻き始める。

 メルは身の内で渦巻く灼熱を、豪炎の息吹ブレスと化して男に放った。

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