第60話 切り札

 新妻は背中に担いだメルを落とさぬように、焼かれた荒野を抜け、森の中を駆けていた。

 背後から感じる魔力の異常な高まりに、後ろ手を引かれる思いと、急かし背を押されるような思い、二つの背反した気持ちが新妻の中をせめぎ合う。

 しかし、新妻はその一切から目を閉じて、ただひたすら結界の外へと急いでいた。

 だが、そんな新妻の足は目の前を遮る三つの影に止められる。


「君たち……なんでこんなところに…………?」


 突然現れた三つの影に、新妻は何度もまばたきをした。



 ※



「『滅竜爆烈波ラグナロク・バースト』……!」


 アルドラゴの『魔竜玉』が一際大きな輝きを放ち、二人を包み込む。

 そして、アルドラゴの口に高められた魔力が溜められ始めた瞬間だった。

 二人の間に割って入る影が三つ。

 前方に突如として現れた介入者の存在に、アルドラゴは思わず魔力のチャージを止めた。


「お前たちは…………!」


『魔竜玉』の光が徐々に収まっていく。

 それは魔力の増幅がストップしたことを意味していた。

 そして、アルドラゴが魔力の増幅を途中で止めたのも無理からぬ話だった。

 何せ、自分ごとこの辺り一帯を消し滅ぼそうとしていたところに、三人の少女が現れたからだ。

 紅神姫乃、狼森神無、そして平賀ふらん。

 三人の臣下は、アルドラゴを暴走する主から庇うようにそこに立っていた。


「赤銅色の魔王様……ここからは私たちに任せてもらえませんか?」


「なんだっけ……そうそう『かんげん』だっけ? それもあたしたちの仕事です!」


「うん。主君の失態は、臣下の私たちがフォローします。いいえ、しなければ私たちに存在する意味はありません」


「だから、この場は私たちに任せてください…………お願いします」


 三人は深く、アルドラゴに頭を下げる。

 自分よりも遥かに劣るであろう三人の少女。

 そんな者たちが、自分が命を賭けて止めようとしている者の相手をするという。

 普通ならば考慮にも値しない、蛮勇の発想である。

 魔王としても、そんな若い三人の無謀な申し出は即刻却下すべきだった。

 しかし、アルドラゴは何も答えず、無言で『融魔竜身』を解いた。

 『竜帝』の名に反した、傷だらけの姿を晒し、アルドラゴは静かに首を縦に振る。

 彼女たちの言い知れぬ思いを秘めた瞳を見たからかは知らないが、彼女たちになら暁を止めることができるような気がした。

 むしろ、彼女たちでなければいけないような気がしたのだ。


「…………頼む」


 アルドラゴの言葉に、三人は力強く頷く。

 未だにかかってこない目の前の者たちを、暁は大人しく待っていた。

 そして、そんな主と、三人の臣下は対峙する。


「暁ちゃん……」


「暁ちん……」


「暁…………!」


 三人が暁の名前を呼ぶ。

 それに反応したのか、暁は体をピクリとさせると、三人に向かって飛びかかってきた。

 堅牢な竜人の鱗すら容易に砕く暁の拳が、三人に向けられる。

 対する三人は、襲い来る拳に迎撃の体勢をとろうとしなかった。

 ただ、黙って向かってくる暁を待ち受けている。

 まるで、暁の全てを受け入れるかのような振る舞いだった。


「…………何っ!?」


 暁の拳が、三人の中心に立つ姫乃に当たろうとした次の瞬間、アルドラゴは驚きで目を丸くする。

 繰り出された拳が、姫乃の目の前で止まったのだ。

 三人に特別な動きをした素振りはない。

 ならば、拳を止めたのは暁自身に他ならない。

 自我を失っているはずの暁が、攻撃を止めたのだ。


「まさか…………こんなことが……」


 アルドラゴは目の前の光景が未だに信じられなかった。

 しかし、姫乃の当たる寸前で止められた拳が僅かに震えている。

 それを見たアルドラゴは、暁が今必死に自分自身を抑えていることに気づいた。


(お前も戦ってるのか……? 暁よ?)



「暁っ!」


 姫乃は震える暁の拳を握りしめる。

 暁は怯えているかのように全身を大きく震わせ、鎧を鳴らす。

 しかし、姫乃の手を振りほどこうとはしない。

 そんな明らかに動揺する暁の震える体を、神無とふらんが抱きしめた。

 すると、震えていた暁が徐々に大人しくなっていく。


「…………ぁ…………ぁぁ……………………」


 今まで一言も発することのなかった暁の口から微かな声が漏れる。

 暁の自我が戻ろうとしていることを確信した三人は手にさらに力を込めて、呼び掛けた。


「暁! 戻ってこい! 暁!!」


「暁ちん!!」


「暁ちゃん!!」


「…………っ…………ぁぁ……ぁあ…………!!」


 三人の呼び掛けに、暁は苦しそうに呻き出す。

 苦しみ出し、僅かに暴れ出した暁を離すまいと三人は必死にすがりついた。


「あぁ…………アアアアアアアアアッッッ!!!」


「キャッ!!」


「わっ!!」


「クッ!!」


 暁は空気を引き裂くような叫びと共に三人を振り払う。

 力ではさすがに敵わない三人は、乱暴に振り払われ地面に倒れた。

 しかし、ただ倒れたわけではない。

 倒された姫乃の手には、銀色に輝く十字型の短剣が確かに握られていた。


「アアアアアアアアア! アアアァァァァァァァ!!」


 暁は苦しみながら体を大きく振り乱す。

 すると、暁の体を覆っていた鎧が徐々に砕け、剥がれていく。

 暁の苦しむ様子が治まった頃には体中の鎧が剥がれ落ち、元の暁の姿に戻っていた。


「ぁ………………」


 暁は焦点の定まらない瞳を震わせ立っていたが、すぐに糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。


「暁!」


「暁ちん!!」


「暁ちゃん!!」


 三人は倒れた暁に駆け寄る。

 姫乃がすぐに暁の呼吸を確認すると、静かで穏やかな音が聞こえた。

 別状のない様子に三人は胸を撫で下ろした。


「この……馬鹿者が…………」


 姫乃が涙ぐみながら呟く。

 姫乃だけではない。

 神無もふらんも、安堵からくる緊張の途切れからポロポロと涙をこぼしていた。

 その時、そこに『魔王の臣下』は一人もおらず、ただ逢真暁を心配する三人の少女しかいなかった。

 そんな三人の少女の涙を見て、アルドラゴもまた、ようやく全てが終わったことを悟った。


「終わったのか…………」


 アルドラゴの言葉は、静けさを取り戻した山の中に飲まれ、消えていった。

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