第50話 病室にて
姫乃がゆっくりと瞳を開く。
ぼんやりと霞む視界を正そうと、姫乃は幾度かまばたきをした。
見覚えがある。
どうやらここは源内のラボにある病室で、自分はそこのベッドに寝かされているようだ。
まばたきをしたことではっきりとした視界で、姫乃は自分の胸元を見る。
こんもりと盛られた二つの山の間に、黒々とした樹海が繁茂している。
姫乃は、自分の胸に顔を埋める暁をエチケット袋の中身でも見るような目つきで見た。
「…………何してる?」
「…………心臓マッサージ」
暁の脳天に、ベッド際に置かれてピッチャーの注ぎ口が突き刺さった。
※
「そうか……あれから半日は寝ていたのか」
「まだ本調子じゃないだろ? 無理しないでね」
「心配してくれるなら、まずセクハラを止めろ」
姫乃は頭から血を流して誤魔化し笑いをする暁を放っておいて、病室の窓から外の風景を眺める。
外は青とも黒ともつかない空色に、いくつも星が輝いている。
自分が寝ている間に、すっかり夜の帳が下りてしまったようだ。
姫乃は隣に並べられた二つのベッドに目をやる。
ベッドには、神無とふらんが自分と同じように寝かされていた。
神無の頭には包帯が巻かれ、頬には大きな絆創膏が貼られている。
さらにその隣にいるふらんは、一見無傷に見えるが、掛け布団の下から伸びる無数のコードの数々が仰々しい機械に繋がれているところを見るにかなり酷くやられたようだった。
姫乃自身も、未だに痛む腹部を擦った。
「しかし……ひどい話だな」
「全くだよ」
暁が、一つため息をつく。
あらかたの事情は、さっき暁から聞いた。
他所の地区の後継者問題(という名の親子喧嘩)に巻き込まれ、姫乃たちからしたらいい迷惑である。
しかし、それ以上に姫乃にとって今回の一件は、心の中に大きな影を落とした。
浮かない顔をして黙り込んだ姫乃を見て、暁はその頬を撫でる。
突然、頬に触れた暁の手に姫乃はまばたきをする。
「暁……」
「『あぁ、突然の襲撃者に手も足も出ずにやられるなんて、私はなんて弱いんだろう! これでは魔王の臣下失格だ! あーれー』って顔してるよ」
「む……」
姫乃は眉間に皺を寄せる。
最後の「あーれー」はともかく、暁の言葉は姫乃の今の心境をおおよそ言い当てていた。
図星をつかれ、姫乃は不機嫌そうに暁から視線を逸らす。
まるで小さな子どものような反応をする姫乃に、暁は苦笑いを浮かべ、頬を掻いた。
「姫ちゃん……僕が姫ちゃんを臣下に選んだのは別に戦ってもらうために選んだんじゃないよ。僕にとって必要な人材だから選んだんだ。神無もふらんも含めてね」
「それは……わかってる。ただ私は単純に負けて悔しいだけだ」
暁が自分たちのことを、単純な戦うためだけの『駒』として考えているわけではないことはよくわかっている。
しかし、曲がりなりにも『魔王の臣下』という立場の自分が、容易く敗北することはあってはならない。
『魔王の臣下』として暁と共にあろうとする姫乃にとって今回の敗北は決して看過できない出来事だった。
未だ冴えない表情の姫乃を見て、暁は膝を叩く。
乾いた小気味良い音に、姫乃は目を丸くする。
「そんな姫ちゃんに朗報。その雪辱を晴らす機会がございます」
「……どういうことだ?」
「今回の一件、下手をすればこの王都を根底から揺るがしかねない大事件だ。だからこそ、僕も『竜帝』も今回のことはあまり大事にしたくない。でも、ここまでされて僕たちも大人しく黙っているわけにはいかない。そこで僕はある提案をしてきた」
「提案?」
「ああ、
「えっ……!?」
姫乃の目がさらに大きく開かれる。
『魔王審査』とは、その者が魔王に相応しいかを試すための審査で、全部で『力』、『心』、『魔』の三つの『
そのうち、現職の魔王が手合わせを行い、単純な戦闘力を測るのが『力の試』である。
「本来なら一対一で行う『力の試』を今回は特別に僕と姫ちゃんたちを合わせた四人で行うことになりました。条件つきだけどね」
「条件……?」
「ま、条件のことは置いといて、どう? 雪辱を晴らすのにぴったりでしょ?」
暁はニカッとした笑みを見せる。
確かに、雪辱を晴らすという意味ではうってつけの機会だろう。
しかし、姫乃は暁がこぼした『条件』という言葉が引っ掛かっていた。
その言葉に、姫乃たちの雪辱を晴らす他に何か意図が隠れているような気がしてならなかった。
「さ、そうと決まれば、まず怪我を治して万全の状態にしないとね。幸い日時はこちらが指定することになってるから、ゆっくり傷を癒すといい」
そう言うと、暁は姫乃を寝かせ、掛け布団を掛ける。
腹部の痛みを感じながら、姫乃もとりあえず傷を癒すことに専念することにした。
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