第17話 『魔王』として

 肉を叩く乾いた音が耳にこびりつくような感覚を姫乃は感じていた。

 目の前で殴られ続ける暁を見ながら、姫乃は猿轡を強く噛みしめる。

 暁の顔は所々青黒く腫れ上がり、右目に至っては腫れでほとんど見えないほどであった。

 何度も倒れたことで土だらけになった制服の下は、恐らく顔面同様に多くの青い痣が出来ていることだろう。

 流石の暁もここまで殴られ続けたことでかなり消耗し、立っていられるのが不思議なくらいボロボロな状態になっていた。

 そんな状態でも立っている暁を見て、初めは囃し立てていた周囲の者たちも言葉を失っていた。

 それは、殴っている猛人も例外ではない。

 全身に汗を滲ませ、荒く息をしながら、猛人は目の前にいる暁にある種の恐怖心を抱いていた。

 自分は一体何回この男を殴っただろう。

 何度殴り倒しただろう。

 手を抜いたつもりはない。

 始めのうちはともかく、途中からは全力で、本気で殺すつもりで殴っていた。

 しかし、この男は今なお目の前に立っている。

 猛人は歯を噛みしめて、拳に力を込めなおす。


「このっ……っつそがああああぁぁぁぁ!!」


 猛人の石のように硬い拳が暁の腫れ上がった頬を捉える。

 頬の肉の血管が内出血を起こし、腫れをさらに大きくする。

 口内は拳と自分の歯に挟まれ裂傷し、口の中を赤く染める。

 殴られ、転がるように地面に倒れ伏す暁を見ていた姫乃の猿轡が音を立てて千切れる。

 あまりに強く噛みしめられたため、猿轡にしていた布の方が耐えられなかったのだ。


「おっおい! こいつ!!」


 その様子を見て手下の一人が驚き、慌てて新しい猿轡をつけようとする。

 しかし、姫乃の今にも拘束を引き千切って殺しにかかってきそうな形相を見て、思わず腰を抜かす。

 姫乃は口に残った猿轡の残布を吐き出す。


「安心しろ……新しい猿轡それはもう要らない。魔王は必ず耐え抜いて見せる。必ずな」


 姫乃の言葉に反応するかのように、暁がゆっくりと立ち上がろうとする。

 その姿を見て、髪を振り乱し猛人が叫ぶ。


「何なんだお前は! いくら殴っても殴っても殴っても立ち上がってきやがって!! そのくせ本当に反撃もしやがらねぇ!! 一体お前は何がしたいんだよ!!」


 口の端から垂れる血を拭いながら立ち上がった暁は辛うじて開く左目で猛人を見る。

 その目は、自分を散々殴り倒した猛人に対してもまるで慈しむかのような目をしていた。

 猛人はその視線を振り払うかのように再び力を込めた拳を、暁に向かって振り下ろす。

 今度は暁はその拳を額で受け止めた。

 暁の額から一筋、血が流れる。

 暁は微動だにせず、猛人に変わらぬ視線を向けながら、静かに微笑んだ。


「……最初に言っただろ……『姫ちゃんを取り戻す』、『僕は僕の臣民を傷つけない』って。僕は『魔王』としての責務を果たしているだけさ」


 暁の言葉に、猛人は驚いたように目を見開いたかと思うと、舌打ちをして拳を下す。

 デモニア化を解くと、脱ぎ捨てた上着を拾い上げ、暁に背を向ける。


「……ゲームは終わりだ。紅神は返してやるからとっとと失せろ」


「……まだあと五分と二十三秒あるけど?」


「お前の勝ちだってんだよ! さっさと姫乃賞品連れて帰れ!!」


 乱暴な猛人の物言いに、最初はキョトンとしていた暁も、背を向ける猛人の真意を汲み、笑顔を浮かべる。

 こちらの勝ちを認めたということは、自分のことを『魔王』と認めたことに他ならない。

 プライドの高い猛人が大勢の手下の前で自ら折れるということは余程の葛藤があっただろう。

 しかし、約束を違えることはしない。

 それが『牛沢猛人』という男だからだ。

 手下を連れながらその場を去ろうとする猛人を見送りながら、暁は姫乃のもとに向かう。


「姫ちゃんお待たせ。さ、帰ろぶふぅっ!!」


 寄って来た暁の腹に姫乃は頭突きを入れる。

 体の自由が利かない姫乃の今出来る唯一の攻撃方法だった。

 姫乃はそのまま体ごと暁を押し倒す。

 暁の腹に顔を押し付けながら、姫乃は何も言わない。

 押し倒された暁は困ったかのように頭を掻いた。


「あの~……姫乃さん? もしかしなくても怒ってる?」


 姫乃は返事の代わりにもう一度暁の腹に頭突きをする。

 暁は小さく「うっ」っと呻くと、体を起こしながら姫乃の顔を上げさせた。

 口をつぐんで泣きそうな目をしてこちらを睨んでくる姫乃を見て、暁は溜息をついた。


「お前はいつも何でこんな無茶ばかりするんだ……!」


「えーっと……ごめんなさい」


「『ごめんなさい』じゃない! そんなボロボロになって……! 心配するこっちの身にも……」


 無事(?)助け出したかと思ったらその助け出した本人から早速説教をされそうになっていた暁はふと、背後からただならぬ気配を察知する。

 気配の正体を確かめようと振り向いた次の瞬間、暁の左肩から鮮血が飛び散る。


「つっ!!」


「暁!!」


 暁が痛みのする左肩を見ると、そこには左肩を貫く黒く鋭い刃が赤い血を滴らせていた。


「少しは期待したが……所詮はまだ粋がるだけのガキか……まあ、計画は予定通り進めさせてもらうか」


 黒い刃は暁の左肩から抜かれると、収縮しながらその持ち主のもとに戻っていく。

 黒い刃の持ち主は冷徹な視線を暁と姫乃に向けた。

 その場を立ち去ろうとしていた猛人達もその剣呑な雰囲気に気づき、暁たちの方を見て驚愕した。


「何やってんだ! 佐久間!!」


 黒い刃となった右腕を鈍く光らせ、冷ややかな目をして立つグループの№2に向かって、猛人は思わず叫んでいた。

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