第130話 オーカ

「どこから話せばいいのやら……」


 ヤクロウは口を開いた先から逡巡していた。

 静かな客間に深い溜め息だけがこぼれていく。

 言葉の通り何を始めに話せばいいのか、なかなか話が進まない。

 

ハルヲは黙ってその様子を見つめていた。

 焦るわけでもなく、煽るわけでもなく。

 口を開くのを静かに待ったが、言い淀むヤクロウにハルヲは質問をぶつけてみた。


「それじゃあ、まず何で、アンタがどうして? なんで? バレなかったのか教えてよ。意外とそれが一番の謎よ」


 ハルヲの言葉にヤクロウは何度もうなずく。

 【キルロメディシナ】がバレて、家がバレないなんて、そこまで広くない裏通りでありえない。

 どうやって相手の追跡をかわしたのかを知りたい、そしてそこにヤクロウの何かが隠れているとハルヲは考えた。


「そうだな、なんでバレなかったか? それはみんながオレをかばってくれた。そして隠したかった。そんなところだな」

「うーん? なんで隠してかばうの? 手引きしているから? して貰ったから?」


 恩を感じているから? って事? 

 手引きして貰った? から? だとしても⋯⋯。


「まぁ、オレが言うのもなんだけど、そういう面はあるだろうな。オーカに家族や恋人を残していて裏通りに呼びたいってのが大きいんじゃねえかな? オレが戻ったらツテがなくなっちまうからな」

「なるほどね、それはわかるわ。理屈としては通るわね」


 ハルヲの言葉にヤクロウが少し安堵しているように映った。

 住人が隠したい理由はわかったが、ヤクロウの素性は見えてこない。

 漠然とモヤっとした何かが心を覆う。

 ハルヲは腕を組み逡巡する、晴れない心の原因を究明したい。


「でも、なんであなたが、あれだけの人数の手引きなんて出来るの? ひとりでどうにかなるレベルとは思えない。手伝う人がいるとしたらあなたがオーカに戻っても、その人が変わりに手引きすればいいから、あなたじゃないといけないって理由が見えてこないわ」


 ヤクロウは表情を変えない、淡々とハルヲの言葉を聞いている。

 その姿が逆に何かを隠しているようにハルヲの目には映った。

 そこまで隠し通したい何か……、それをヤクロウの口から聞かなくては。

 ヤクロウはハルヲを一瞥すると重そうに口を開いた。


「オレはオーカで地位の高いヤツらのすぐそばにいた。だからオレもある程度の地位と影響力を持っていた。そいつを今でも利用して裏通りに移住させている。それがカラクリだ。裏通りではオレはまだ『地位の高い人』って認識なのさ。だからみんなが必死に隠し、守ってくれる。蓋開けちまえば、なんてことない話だ」



 エレナがびっくりして、ヤクロウを見つめている。そんな事は微塵も感じさせなかったのか。

 一国のお偉いさんね。隠したいなにかはまだありそう。それを聞くべきかどうか、ヤクロウの一言一言にしっかりと思考を巡らす。青い瞳がヤクロウをジッと見据える。

 地位を捨ててまで裏通りに来たのはなぜ?

 富が集中していると言っていた。ヤクロウが高い地位にいたのなら、間違いなく富を所有する側だったはずだ。

 それを捨てさせるほどの何かがあった? 何かが起こった? そんな所か。

 そして命を狙われている緊迫感がない。

 オーカにはヤクロウが必要ってところ、それを自分自身が理解している。そう考えれば辻褄は合う。


「オーカに取ってあなたは必要な人材。だから戻って来て欲しい、そんな感じかしらね。でもなんで、裕福な生活を捨てまで裏通りに移ったの?」


 ヤクロウは苦笑いを浮かべながらため息をつく、言葉の端から読み取られて行く様に渋い顔を見せた。

 ここまで鋭いとは、ちっこい見た目に騙されている感じだな。


「全くもって鋭い。あんたの言う通りだ、あいつらにはオレが必要だ。なんで必要か今は聞かないでくれ。オーカ時代の権限ってのを最大限使って、移住をすすめている。オーカにもまだ力を貸してくれるヤツがいるからな、移住事態は難しくはない。それにヤツらに取って国民が多少減った所で何も感じない、出るならどうぞ、ってなもんだ。自分達の富が減らなきゃそれでいいのさ」

「言えない何か。そこにあなたが必要って事ね、まあ今はそれが何かは言及しないでおくわ、取り調べじゃないしね。ただ必要になったらしゃべって貰うわよ」

「ああ、助かるよ」

 

 追求されなかったことへの安堵が手に取るように伝わってくる。

 よほど言いづらい事か……まあ、言及しないと言った手前ここまでだ。

 となると次はなんで移住者が多いのか? そこら辺か。


「話題変えるわね、なんでわざわざお世辞にも裕福とは言えない土地に移住する人があとを絶たないのか知りたいところよね」

「そうだよな」


 ヤクロウは苦笑いを浮かべる。その落ち着き払った態度から問われる事はわかっていたようだ。


「オーカのイメージは裕福で裕福なのは一部だって話しはしたよな。富の集中、まあ諸手を上げて賛成ってわけではないが、他の国でも大なり小なりあるわな。オーカはその中でも極端だ、地位の高いヤツらとその周辺が独占していると言ってもいい。ただハルが言ったみたく国自体にも金があるから、富の集中から逸れた所で、並かそれ以上の生活をするのにさほど苦労はしない」

「それだとなおさら移住する意味なんてないんじゃない?」


 ヤクロウが寂しい瞳を向ける。まるで何かを諦めたか、悲しいことでも思い出したかのように悲しくも優しい目をハルヲに向けた。


「そうだ、そういう暮らしを出来ているヤツは移住なんかしない。そういう生活がしたくても出来ないヤツらが移住するんだよ。どう頑張っても、足掻いても、そこには辿り着けない一定数の人間が存在するんだ」


 頑張っても、足掻いても……、やりようがないって事って? 本人ではどうにもならないって事? 諦めるしかないって事?


「なぜそう言い切れるの? しかも一定数ってどういう事?」

「なあ、もし自分がその立場だったらどうする? ここではないどこかに行きたくならないか?」

「そうね、国を出て行けばいい」

「だろう。だから出る、それだけの話だ」


 ヤクロウの笑みが寂しい、なぜそんな寂しい顔をするのだろう。

 時折何かを思い出しては、辛そうな表情もしていた。

 そうなると聞かないわけにはいかない。


「一定数の人達はどうして自力で脱出しないの? 出て行けば良いだけじゃない?」


 ヤクロウはジッと青い瞳を見つめる。

 悲しい目。

 寂しい目。

 重く閉ざされていた唇が開く、少しの諦めと少しの期待と少しの不安、それと申し訳ないという懺悔の心。


「一定数の人間には自由がない、自由だけじゃない、何もない。動きたくても動けない。絶望もなければ希望もない。何も知らない、知るすべもない」


 困惑するハルヲの思考、どういう事? 何もない? 知らない? 絶望も希望も?


「それ、なんとなくわかります。何もなくただ生きているだけ。希望を知らないから、絶望も知らない、何も知らない、それは知るすべも知らないということなんですよね」


 ポツリと呟くかのようにエレナが口を開いた。


「す、すいません」


 二人の視線に気がついた、エレナが頭を必死に下げる。

 ハルヲが優しく微笑み、肩を小突く、エレナが照れてはにかんだ笑みで返した。

 ヤクロウはその様子を少し驚いた様子を見せ黙って見つめる。


「お嬢は昔そんな生活を送っていたのか?」

「いえ、ついこの間までそんな感じでした。私はハルさん達と出会えてとてもラッキーだったんです」

「私は何もしてないわよ、あいつよ、あいつ。ホントに後先考えず行動するのよね。でもまあ、エレナと出会えたのは私達もラッキーよ」


 照れて俯くエレナに微笑む。

 ヤクロウもその姿に何かが溶けていく、心の片隅に少しばかりあった疑心が消えていくのがわかった。


「そうか。お嬢はツイていたのか。⋯⋯なあ、オーカの移住者ってヒューマンが多いと思わなかったか?」


 ハルヲとエレナが裏通りの様子を頭に浮かべた。確かにヒューマンが多いって思った記憶がある、二人は揃ってヤクロウにうなずく。


「だろう。オーカではヒューマンっていう種族はただの働く生き物としか扱われない」

「?? それって? どういうこと?」


 みんな働くでしょう? 金持ちは働かないって事? 肉体労働とかはしないだろうけど? 言い方から、なんかイヤな感じを受ける。

 怪訝な表情で見つめると、ヤクロウも真剣な眼差しを返した。


「オーカではヒューマンっていうだけで奴隷扱いだ」

「ちょっと、それどういうこと!? だって奴隷は御法度でしょう?? え?! なんでそんな事、え?!」


 狼狽し困惑する。ありえない、この世界でそんな事がまかり通るなんて。

 そんなことありえない。

 ヤクロウは困惑の色を濃くするハルヲに、冷静な目を向けている。

 ハルヲの青い瞳が静かな怒りをたたえていく。


「でも、なんでヒューマンってだけでそんな扱いを受けるの? おかしくない?!」


 静かに怒りをたたえたまま、静かに口を開く。

 抑揚を抑えた静かな口調。

 重い言葉。


「なんで? それは偉いヤツらが、くだらない妄想にとりつかれているのさ。バカげた話だ。妄想については聞くな、今の段階ではあんたらは知らない方がいい」

「でも! でも! 近隣の国やそれこそ中央セントラルがそれを知ったら黙ってないんじゃないの?!」


 ヤクロウが冷えれば冷えるほどハルヲが熱くなる。

 他人ひとの事でこんなに熱くなるなんてあいつと変わらないじゃないか。

 ヤクロウはそう思うと少し愉快になる、託して良かったのかもと。


「近隣も中央セントラルもダメだ。近隣は資源を安く流す事で、綺麗な所しか見られないようにしている。中央セントラルはそもそも政治まつりごとには不介入だ。だからオレが地位を使って、一定数のヤツらに知るって事を教えた、絶望を教えた、ちょっとだけ希望を教えた。そして彼らは選択肢があることを知った。それだけのことだ」


 ハルヲは怒りの火を灯す、許せない。

 でも、国相手では何も出来ないもどかしさ。

 ただ、やはり今回もあいつのいきあたりばったりの行動が吉と出た。とりあえずこの人は守る、なんとしても。

 やるべき事がわかりスッキリした。

 良し。


「しかし、あなたもあいつと一緒でお節介なのね」

「そうか? ハル、あんたこそあいつと同じにおいがするぞ」


 ハルヲが顔を大げさにしかめる、巻き込まれているだけだ。


「止めてよ! 自分から首突っ込むマネはしないから、一緒にしないで」

「そうか? でも、そういうの嫌いじゃない」


 ヤクロウが初めて笑顔を見せた。

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