第107話 一人夜

 窓から差し込む月の光が、ベッドで寝転んでいる自分の足元を淡く照らしていた。

 なんだか久しぶりに一人の静かな時間を過ごしている。

 足元に何時も感じる重さを感じない。

 いつも丸まって寝ているキノの姿がなく、なんだか少しばかり物足りなさを感じていた。

 落ち着いた夜。静か過ぎる夜。

 少しの寂しさとお穏やかな心持ちが、ベッドに投げ出した体を包む。

 ざわついたいくつもの夜がまるで嘘だったかのように静寂が包むと、今までの出来事を想起させていった。

 目を瞑ると、荒い映像が瞼の裏側に投影される。


「ふう」


 口元から自然と息が漏れていった。

 ヤクロウと話して、自分が鍛冶屋だった事を忘れそうなくらい強烈な出来事が続いている。 

 久しぶりに槌を握りたいな。

 無意識に右手に力が入りギュッと固く握り締めていた。

 ミドラスに帰ったら久々に炉に火を入れよう。

 火を入れた炉を思い出し、頭に描いていると頭の中に張っていた薄い膜が取れていき深い眠りへと落ちていった。



「悪いな、仕事中」


 翌日。心地良過ぎて寝過ぎた頭は重い。

 しかし、のんびりといつまでもしてはいられない。ヴァージとネスタにヤクロウとマナルの了承の件を伝えて、上手く連携を取って貰うようにお願いをした。

 それとは別に聞かなくてはいけない事もある。

 事務長室を軽くノックして、ネスタの元を訪れた。

 広いデスクの上には、今にも崩れそうなほどの書類が積まれ、忙しく手を動かしている姿が入口から見える。


「構いませんよ」


 そう言いながら手を止めるとキルロに着席を促した。すでに何を聞かれるか分かっているのか厳しい目付きでキルロを向かい入れた。


「皆の前では聞けないからな。何か新しい情報はあるか?」


 詳しく言葉に出さずともネスタは分かっている。前事務長シバトフの横領した金の流れとクックの行方を追って貰っていた。

 ネスタは軽く肩をすくめて見せ、めぼしい情報はない事を暗に告げたが、おもむろに引き出しを漁り、一枚の書類を渡した。


「金の行方はまだ掴めてないのです。申し訳ありません。ただ、ここから外、違う国へどうやら運んでいた様です。どこの国なのかは全く⋯⋯。ですので、誰に渡っていたのかも⋯⋯今のところは不明。クックの行方も同じく不明です」

「そうか、忙しいところ悪かったな」

「いえいえ。ただ、その書類に気になった報告があったのでまとめておきました。西方の国オーカが何の前触れもなく摂政を任命したのです。毛の色や顔に傷など、違う所もあるのですがクックに風貌が似ているのでは? という報告が上がったので、引き続き追わせています。出来過ぎた話なので可能性は低いと考えていますが、同一人物ではないという否定も出来ていません。否定出来るまでは追ってみるつもりです。それにオーカという国自体もクセのある国なので、注意が必要かもしれませんね」


 ネスタはキルロを真っ直ぐ見つめ、一気に話した。

 

 オーカ。

 

 国名は勿論知っているが具体的なイメージが沸かない。確か、それほど大きな国ではないはずだ。


「クセがあるって? 反勇者ドゥアルーカと繋がるような……」

「あ、いえいえ。そのような意味ではありません。小さい国で富が一局集中しているというか貧富の差が激しい国なのです。こちらの裏通りに流れて来ているほとんどの方が、オーカからなのです」

「なんだかイヤな感じの国だな」


 キルロはネスタの言葉を受け眉間に皺を寄せる。

 あの活気のある人達が、貧しさに耐えられずにオーカを逃げ出したって事か。

 接している分には悲壮感がなかったからな、背後にあるものまでは考えていなかった。



「ウチのお得意様にもオーカの方々がいらっしゃり、裏通りにもいらっしゃる。なんとも言えない後味の悪さがありますが、中央セントラルは、国の運営に口を挟む事が出来ないですからね。まぁ、なんともバランスの悪い国なのです」

「ウチの方はふんだくっておけ」

「理事長のご要望とあれば」


 ネスタはいい笑顔をキルロに向けた。きっと言わなくても、ふんだくる気まんまんだったんだろう。

 

「とりあえずこの件はマッシュに伝えておくよ。マッシュから必要なヤツらに回るだろうし。引き続き宜しく頼むよ」

「かしこまりました。引き続きあたらせましょう」

「それとヴァージに今回の裏通りの件で特別手当を出しといてよ。こんな事しか出来ないからさ、宜しく頼むよ、額はネスタにまかす」

「わかりました、手配いたしましょう」

「そんで同じ額をネスタ、あんたも受け取るんだ。これ理事長命令な」


 ニヤリとキルロは口角を上げ、言い淀むネスタに有無を言わせぬ圧力を掛ける。

 額を押さえればヴァージの額も下がる、やりづらいだろう。

 治療院名の些細なお返しだ。


「引き続き宜しく。まぁ、また来るよ」

「かしこまりました。道中おきをつけて」


 ネスタの少しばかり引きつる顔にいい笑顔を返し、ミドラスへと帰還した。





 久しぶりのミドラスは相変わらず騒々しい。

 立ち並ぶ商店を眺めながら人の波を押し分けて、ハルヲンテイムを目指す。

 人の波に揉まれるのも久々だ。

 ゆっくりと久々の喧騒を楽しむように進む。人の波が引いていくと、ハルヲンテイムの裏口へとたどり着く。

 ここも久しぶりだな、自然と笑みがこぼれる。


「おーい!」


 裏口から声を掛けると真剣な顔で駆け抜けるアウロの姿が見えた。

 キルロに気がつくと一礼だけして駆けて行く。


「ちょ、ちょっと。なんだ? なんかあったのか?」


 尋常ではない焦り具合にアウロの後を追いながら声を掛けた。

 アウロは駆けながらキルロへ顔を向けていく。


「フッカ(アックスピーク)の卵がかえりそうなんですよ!!」


 紅潮した顔がアウロの興奮具合を伝えていた。

それって凄くない?

 幻の鳥の雛が誕生!?

 素人でも分かるその一大事ぶり。キルロもアウロと一緒に駆けて行く。

 廊下を左に折れると広い中庭に出た、アウロが止まるよう静かに指示を出す。

 そこはまるで岩場を再現したかのように石や木が配置され、アックスピークの居住区が作られていた。

 広い空間の一角にはしっかりと巣穴が再現されており、一羽のアックスピークが脚をたたみ座っている。

 その様子をヘッグが側で佇み見守るように見つめ、さらに少し離れた所からハルヲとアウロが邪魔にならぬように見守っていた。

 静まり返るこの空間に緊張の糸がピンと張られ、息を飲む。


「よう! どうなんだ? 凄いよな? これ」


 小声でハルヲに声を掛けると、口を人差し指を当て横目で睨む。

 さすがにこっちもナーバスだな。

 キルロはハルヲ達の後ろに下がり、黙ってその様子を眺めていた。

 ジッと動かないアックスピークとハルヲ達、なのにジリジリとした緊張感がこの場を覆っている。

 唾を飲み込むのもなぜか気を使う。時間の流れが遅く感じた。

 座っていたフッカがふいに立ち上がりバサっとひとつ小さく羽ばたきを見せる。

 ハルヲ達の集中がもう一段階上がって行く。


 ピー


 小さなさえずりが耳に届いた、その瞬間無言でハルヲは拳を何度も突き上げアウロは両手を上げた。

(おー)

 キルロは声にならない声を上げ、音を出さず拍手を送った。


「やったな!」


 ハルヲの耳元で囁くと、ハルヲは何度となく頷く。


「エレナ達にも生まれた事を教えて上げてきて。仕事おしつけちゃっているんで」

「分かった」


 ハルヲと囁き合うとキルロはその場を静かに離れ、エレナ達を探しに向かった。

 ハーフ犬人シアンスロープのモモの姿が目に入り声を掛ける。


「おーい! モモ」

「あれれ? キルロさん。どうしたのですか」

「キノを迎えに来たんだけど、フッカの卵がかえったぞ!」

「おおおお! 凄い!!」


 モモが破顔し感嘆の声を上げた。


「みんなにも知らせてきますね。あ、そうだキノならエレナと一緒にそこを右に曲がった一角で世話にあたっていますよ」

「お、ありがとう」


 言われた通りに進むと、犬豚ポルコドッグなどの犬や猫達が放し飼いになっている大きな部屋で、二人が掃除をしていた。


「よお!」

「キルロさん!」

「元気そうだな。つか、またデカくなってないか?」


 急に大人びたエレナに目を見張った。エレナは照れた笑いを浮かべ身をよじる。

 

「お、そうだ! フッカの卵がかえったぞ」


 エレナも大きな瞳をさらに大きくし満面の笑みを浮かべた。


「ハルさん、凄いなー」


 まるで手の届かないものでも見つめるように天を仰いだ。

 ハルヲに対しての羨望の眼差しを向けているようにも見える。


「そんなにか?」

「もう! キルロさんはそういう所ダメなのですよ。ハルさんは凄いんですから」

「そうよ、キルロはダメダメよ」


 キノが追い打ちをかけてきた。キノの言い方もダメダメよ、ダメージ受けるから。

 しかし、エレナもすっかり逞しくなって、しっかり戦力になっているんだな。

 当たり前のように体を動かす姿に笑みがこぼれる。

 出会ったのが凄い前のように感じるが、ついこないだなんだよな。


「終わった! キノ、フッカの赤ちゃん見に行こう」


 エレナの問いかけに黙って頷く。


「ちょっと見に行ってきますね。キノ静かにしているのよ」

「あいあーい」


 扉から勢い良く出て行く二人を見送る。

 遅い午後の日差しが二人の影を少しだけ長くしていた。

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