第92話 奇襲と好機
ちょっと遠いか。
真っ直ぐに伸びて来る緑色の光を一瞥し、キルロは思う。
それでも当たれば少なくないダメージは与えられる。
行け!
「お前らの考える事なんざぁお見通しだよ、ぶぁ~か。ケケケ」
ただれたエルフが俯き、口角を上げると手から緑色の太い光を放った。
こちらへと放つ緑色の太い光が、ケルベロスの首と首の間を抜け、ネインの光とぶつかり合い、激しい光りをあげる。
相殺する光は溶けていき、目の前から消失した。
その光景にキルロは目を見張り、行動が停止してしまう。
生臭い臭い。我に返ったときには、人喰いの首がいつの間にか眼前へと迫っていた。
キルロは必死に地面に這いつくばるように転げ、避ける。その姿を腹抱えて笑っている男の姿が、遠くで見て取れた。
野郎! いくら怒りが増そうともヤツまで届かない。そのもどかしさが、さらに苛立ちを募らせた。
「ハイハイ、ごくろうさま」
ケルベロスの懐に飛び込もうと右に展開していたフェインの目の前で下衆な笑みを見せた。
長ナイフをクルクルと回し、余裕の笑顔をフェインへ向ける。
フェインはその様を一瞥すると、間髪入れずに女の顔面めがけ拳を振った。
女は首を引きスウェイすると、その態勢のままナイフを斬り上げる。フェインも同じように体を反らせ刃をかわす。
この人早くてトリッキーです。ケルベロスの懐に早く飛び込みたいのに邪魔ですね。
一度距離をとり仕切り直す。
女は舌なめずりすると、目を見開きフェインの懐へと低い姿勢で飛び込む。
低い姿勢から、またしてもナイフを斬り上げてきた。
それはさっき見ましたよ。
フェインが体を引くと女の口角が上がる。
上に向かっていた刃が突然前へと軌道が変わりフェインへ真っ直ぐ向かってきた。
しまった!
フェイン引いた体を無理やり捻り、半身で避けるが無理な態勢では完全に避けきる事は出来ず、相手の刃が肩先を抉る。
肩の肉にチリっと刃が通っていく感覚。出血しているのが、触らずとも分かった。
「あらぁ~、浅かったか。イケたと思ったのに」
女は楽しそうに言い放つ。
さっきまでの敵とは明らかに違います。この人は強いです。
ダラっと構える女に隙が感じられない。
フェインは飛び込めずにジリジリと下がる事しか出来なかった。
悟られないように、そっと息を吐き出すと全身の強張りも吐き出す。フェインは全身をバネとして、地を蹴って行った。
低い態勢で女へと飛び込む。待ち構えていた女がナイフを突いてくる。
フェインは女のナイフを左手で弾くと、右の拳をこめかみに向けて体重を乗せた。
女は顔を引いて避けようとするも、ナイフを突きにいった勢いは止められない。
前のめりとなった中途半端な態勢は、フェインの拳を避けきれず、鼻先を掠めた拳が鼻から何かが折れた音を鳴らした。
女は曲がった鼻を手で押さえる。だが、ボタボタと流れ落ちる血は止められない。
「てんめぇ!!」
鼻から血を流しながら、怒りの形相で闇雲にナイフを振ってくる。
フェインは落ち着きを持って、それを裁いていく。顔や腕、腿と掠めていく刃に血が滲む。
速いですね。
掠める刃に気圧される事なく、フェインは相手の動きをしっかりと見て観察する。
キレが落ちた?
女の動きが緩慢になっているようにフェインは感じた。鼻が潰れてうまく呼吸出来ないのか。
「こんのぉ!」
女が吠えナイフを大きく振りかぶった。
フェインは大振りとなったナイフを見逃さない。
上段から振り下ろされるナイフを、フェインは後ろに跳ね避けていく。
地面を叩くナイフ。女は態勢を崩し、前のめりになった。
フェインは渾身の力を込め、女の胃袋へ前蹴りを喰らわす。
低い呻きと共に前屈みのまま、動きが止まる。
その瞬間を狙い、がら空きとなった後頭部目掛け右の拳を力の限り振り下ろす。
体重の乗ったその一撃は鈍い破砕音を鳴らし、女は白目を向いて地面へとめり込んでいく。
単細胞な人で良かったです。
ケルベロスの方へと向き直すとキルロが地面を転がっている。
大きく息を吐き出すと、フェインは血を滲ませながら、ケルベロスへと疾走した。
ケルベロスが邪魔してアイツらには届かない、ケルベロスを倒そうとするとアイツらが邪魔をする。
最初の一撃以降ダメージを与えられていない。
キルロは地面に転がりながらケルベロスを睨んだ。
気が付くとまた左右の首に白い煙が収束されている様が見られた。
また来るのか、襲いかかる人喰いの首を避けながら、この状況をどう打破すべきか考えるが、襲いかかる牙に集中して考えがまとまらない。
クソ! 襲いかかる頭へ闇雲に剣を振るう。
切っ先が目元を掠めたがなんの素振りも見せない。
見てない? 見えていない?
しかし、なんでヤツらは回り込んで攻撃を仕掛けてこないんだ?
遠距離からチマチマ攻撃を放つだけなんて鬱陶しいだけで、致命的な一撃には早々ならない。
攻撃の仕方がまわりくどい。
ケルベロスをテイムしているなら、ケロべロスを伴って、火力でゴリ押しすればいいだけの話だ。
何か煮え切らない。現にケルベロスの懐に潜り近い所にいるにもかかわらず、ヤツらからの攻撃はあのエルフの詠唱だけ。だが、その詠唱もなくなった。さっきの一発で魔力尽きたのか?
後ろに控えるヤツらの攻撃は相変わらずケルベロスを通り越して、ハルヲとネインに向けて矢を降らすだけ。
!!
牙が襲い掛かる。
大きく口を開け喰らわんと、キルロに向け太い首が何度となく振られていく。
気が抜けないことには変わりなしか。
左右の首が大きくもたげられた。
「下がれ!」
キルロは前へ進み、再び懐へと避難する。
ハルヲとネインは矢を避けながら下がっていく。
またしても一帯が、真っ白い煙に覆われた。
キルロからは回りの様子が見て取れない。
避けるのもしんどいな、返しの一撃を喰らわしたい所だが、そうそう許してはくれない。
他のヤツの為にもこの場所は死守だ。
煙が落ち着いてくると、ネインを盾にしてハルヲが間髪入れずに矢を放った。
敵の矢をかいくぐりながら、ケルベロスへ向けて闇雲に打ち放つ。
力のない矢は、ケルベロスの表皮に跳ね返されるだけだった。
《イグニス》
突然の詠唱に男達は目を剥いた。
ユラの奇襲に、男達は反射的に後ろに跳ねる。
炎は男達の前をすり抜け、宙へと消えていく。
避けちまいやがったか。
ユラは心の中で舌打ちをする。
ケルベロスの懐へ潜ろうと左へ展開していたのだが、立ち込める白い煙に紛れて、ユラは後方に控える敵へと一気に突っ込んだ。
奇襲失敗しちまったな。
ユラはすぐに茂みの奥へと身を隠して行く。
「あのクソチビか! ちょこまかとうぜぇ!」
そらぁこっちのセリフだ。ただれたエルフの言葉に苛立つ。
「狩るぞ」
「ええー、逃げたんだから、ほっとけばいいじゃん」
「あいつはしつけぇんだよ、今度こそ仕留めてやる」
ただれたエルフが吠えると隣に並んだ
「横着すんな! 行け!」
ただれたエルフに言われ
ユラの杖を持つ手に力が入る。
ユラの横で茂みが揺れた。
それを横目で一瞥すると、ユラは立ち上がり、
「ほれほれ、逃げなくていいのか? やっちまうぞ」
あれ?
剣を振り下ろすのと同時に自分の視界が下へと落ちて行く。不思議に思う間もなく
転がる首と、首を失い自分の血の海に沈む
その横には、長ナイフを握るマッシュが佇んでいた。
「すまん、マッシュ。ミスった」
「まぁ、仕方ないさ」
マッシュとユラは短い言葉だけ交わすと、また左右へ別れ茂みの影へ消えていく。
「アローニがやられたぞ!」
ユラとマッシュの奇襲に敵がいきり立つ。矢を放つのを止め、一斉に剣を構えると二人の影を探し始めた。
矢が止まった。
ハルヲは好機と見てケルベロスへ駆けだす。
100Miもない、行ける。
炎も氷も、次まではまだ少しタイムラグがあるはず。
ハルヲは剣を握り、中の右の首。司令塔と予測と見た首へと一直線に駆けて行く。
人喰いの首はキルロが相手している。こっちに目は向かないはず。今がチャンス。
素早い動きで一気に距離を詰める。垂れ下がった頭へ、ハルヲは体重を乗せた剣を振りかざす。
「がはっ!」
唐突な右からの衝撃にハルヲが吹き飛ぶ。右端の首が口から白い煙を漏らしながら、地面を転がるハルヲを見下ろしていた。
岩とぶつかり合ったような衝撃に、意識が一瞬飛んだ。
しくじった。焦ってしまった。
後悔と共に激しい痛みが襲い、口の中を鉄の味が満たしていく。
炎や氷を吐くだけと、高をくくってしまった。
地面に叩きつけられたハルヲの体は、崖の方へと転がっていく。
力の入らない体に巨大な足が、踏みつぶそうと迫る。
ハルヲは迫る巨大な足の恐怖に体がすくんでしまった。
!!
衝撃が襲う。ハルヲは横に飛ばされる。
キルロがハルヲを突き飛ばしていた。
巨大な足は地響きを鳴らし、地面を踏みしめる。
ハルヲは痛む体に、思うように動けがとれない。痛む右腕を抑えながら、力の入らない体でフラフラと崖淵で立ち上がった。
左の首が大きく振られる。
ケルベロスの巨大な頭が、再び絶望を運ぶ。
谷底が視界の端に写る。
逃げ場が!!
体に力が入らない。
心臓が破裂しそうなほど高まる。
キルロが飛び込んで来る姿が見えた。
キルロに抱き抱えられ、そのまま宙を舞う浮遊感を感じる。しばらくもせずに意識が途切れた。
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