第75話 灰色
砂埃が揺らめく影を映し出す。
影は微動だにせず、佇んでいる。
まるで何かの彫刻のようだ。現実離れした手足の長いシルエットがそう感じさせるのか。
腕を下に下ろし、肩幅まで足を開くと真っ直ぐ前を見据え仁王立ちしている。
視線だけを動かしているのか?
舞い上がる砂埃で、こちらから確認する事は出来ない。
左右から攻めているのに、焦る様子が微塵もない。
落ち着き払ったその素振りが不気味さを煽る。
マッシュの言っていた通り、長い耳のシルエットが砂埃に紛れていても視認出来た。
そう言われれば確かに信じてしまう、そんなシルエットをしている。
ゴブリンを両断しながら、キルロはシルエットに視線を向けていた。
キルロはゴブリンやコボルトを無視して、一直線にそのシルエットへと駆け出した。
追いすがるものを振り払い、ひたすら一直線に疾走する。
シルエットが首をぐるりとひと回りすると、準備万端とばかりにキルロの方に顔を向けた。
刹那、信じられない速さで飛び出す。砂埃の中、シルエットはグングンと距離を詰めてくる。頭を下げ、神速の足を見せる。
その速さにキルロは目を見張るも、立ち止まり向かってくるそれに対峙した。
ドン。
キルロは剣を地面に突き刺すと、両手を力なく下げた。
砂埃の中から現れる耳の長い男。速さを維持したまま手にはめている刃先をキルロへと向けていく。
群がるゴブリンが、コボルトが、キルロに爪を立て、そして猛スピードで男の刃先が迫る。
それでもキルロは仁王立ちのまま、その速さに対峙した。
あのバカ!
ハルヲはキルロの仁王立ちを見つめ、無謀な行動を心の中でなじる。
壁となるモンスター共を切り刻み、キルロまでの道を作ろうと必死に剣を振り続けた。
首を跳ねたゴブリンやコボルトが積み重なって行く。一向に開けない道に焦りも一緒に積み重ねていった。
届かない。
焦りだけが、急速に積み重なる。
跳ねるようにキルロに近づく神速の影に、心臓が爆発しそうなほど高鳴りを見せた。
目を見開き、剣を振るう手が止まっていく。
その様に叫びにもならない吐息を、漏らす事しか出来なかった。
シュッ!
風を切る音と共に男が脇をすり抜けるとキルロの頬から血が滲む。
ゴブリンとコボルトは相変わらず爪を立て抉る、剥き出しの腕や腿からも血が滲んだ。
「チッ」
耳の長い男は舌打ちして後ろに跳ね、キルロと再び対峙した。
この状況にどう対処すればいいのか困惑しているようにも映る。
くるくるとカールのかかった栗毛が目元を隠し、表情は把握出来ないがこの状況は予想していなかったと雰囲気から察する事が出来た。
体中がチリチリと痛むが、そんなものはたいした事ではない。
見れば見る程だな。
街ではまずお目に掛かれない亜人である事には間違いない。
「なあ、オレ達はアンタと話しをしたいだけなんだ。ダメかい?」
キルロは抑揚を抑えるも冷たい感じにはならないように、ゆっくりと語りかけた。
チラリと覗く目元から、男の困惑が見て取れる。
「アンタは無抵抗のオレを刺さなかった。ただただ野蛮なヤツらとは違うよな。話しをするだけなら構わないだろう。話しを聞く耳があるんだろう? 話しをして、その後またどうするかお互いに考える。どうだ?」
キルロはさらに一歩突き刺した剣から後ろへと下がり、攻撃の意志がない事を見せた。
本心を包み隠さず伝える。
大丈夫コイツには伝わる。
ジッと男の目を見つめ、語りかけた。
背中越しに誰か近づいてきた、手の平だけ軽く差しだし待てと指示する。
逡巡する男にキルロは続ける。
「オレはキルロって言うんだ。他のヤツらはオレのパーティーメンバーだ。アンタを傷つけるつもりは微塵もないよ」
軽く肩をすくめ、言葉を投げ掛ける。
男は世話しなく視線を左右に動かし、思考の沼にはまらないように情報を精査している。
コキ
と男は歯を擦り合わせ、歯ぎしりのような音を鳴らすとモンスター達の動きが止まった。
他のメンバー達も突然のことに戸惑い、辺りを見回し困惑する。とりあえず、手を止めて武器を下ろし、キルロの元へと集まった。
「お前達は犬の仲間カ?」
モンスターの動きは止まったが、男はキルロに向けて刃先を構え直し鋭い視線を送る。
犬? なんの話しだ?
今度はキルロが困惑する。
「犬? って誰だ? 知り合いはいるが、仲間っていうようなヤツはいないが……」
「カズナ、それではわからないわヨ」
男の背後から女が出てきた。
男と同じイントネーションに長い耳、まん丸いクリっとした目で可愛らしい顔立ちだ。
肩甲骨の辺りまである長く黒い髪が、風に揺れる。
「私はマナル、こっちはカズナ。迷惑かけてゴメンナサイ、ただこうするしか思い浮かばなくテ⋯⋯」
マナルは頭を下げ長い耳を下へと垂らした。
キルロは大きく息を吐きだす。
ようやく話しが出来そうだ。
「そうだなあ、マナル、カズナ。まずは何で果樹の森を村から奪った? 謝るくらいなんだから、そうしなきゃならない理由があるんだろう?」
マナルはカズナに視線を送ると“チッ”と舌打ちしてカズナは俯いた。
「来て下さイ」
マナルはキルロ達を案内する。
壁の上から壁の向こうへと繋がっているゆるやかな坂道が中腹に作られていた。
壁の向こう側へと下りると、すぐ脇に人が通れる程の小さな穴が掘られており、壁を通り抜け果樹の森へと足を踏み入れた。
「どういうことだ?」
キルロがその光景に目を見開く、他の面子も同じ反応を見せる。
何千本と立ち並ぶ大きな果樹の木々が、色とりどりのたわわな実を実らせていた。
その木の根元に座り込むたくさんの人が見える。
木々に近づくと、目の前には老若男女問わず100名程の耳の長い亜人が、疲れた様子でこちらを一斉に見やった。
力の無い視線が痛い。
難民?
なぜ?
疑問が次々と湧き起こってくる。
「これはどういう事?」
ハルヲは信じられない光景を目の前に、疑問を投げる。
疲れた果て座り込む大人達を見渡しながら、心臓をギュッと掴まれたイヤな感覚が襲う。
ここには希望がない。
見た事ない種族とか、そんな事はどうでもいいほど、ここは濁っている。
この空気が辛い。
マナルはそんなハルヲの様子を気遣い、肩にそっと手を置いた。
「イヤなものを見せてしまったらゴメンナサイ、ただこれが今の私達の現実なのでス」
マナル言葉を受け、ハルヲは肩に添えられた手に自分の手を重ねる。
マッシュも流石に困惑の色を見せていた。マッシュだけではなく、ユラでさえ眉間に皺を寄せ、このやるせない現実と対峙している。
「マナル、カズナ。話して貰ってもいいかな?」
キルロは二人を見つめながら、この受け入れ難い現実についての説明を求めた。
カズナはチラッと住民の方を見やりキルロに視線を向ける。
「俺達の村が襲われタ、灰色の犬ダ。ヤツらに住民の三分の一、大人子供関係なく
「私達は目立たないように、今まで過ごしていましタ。人に見つからないように、小さな村を作りひっそりと暮らしていたのでス。でも一人の
カズナの言葉にマナルが続けたが、マナルは話しているうちに襲われた時の事を思い出し、声も体も振るえ出す。
ハルヲは添えた手に力を込めマナルの手をギュッと握った。
「仕方なく村を捨てましタ。この人数では、そう遠くには行けませン。取り急ぎ食べ物と安全を確保出来るこちらに避難しましタ。だけど⋯⋯こうなる事は時間の問題だと分かってはいましタ。ただどうすればいいのカ……」
マナルはそういうと俯き言葉を失った。
果樹の森の占拠はいただけないが、この二人の言葉は嘘を言っているようには見えない。
切羽詰まって、追い込まれているのは間違いなかった。
「なあなあ、団長よ、可哀想だぞ。なんとかしてやろうや」
「そうだな。果樹の森の確保がクエストだ。この人達の行き場を作れれば、クエスト完了だもんな」
ユラの言葉に後押しされ、キルロは頷く。
さて、どうしたものか。疲れ果てた人々を見つめ逡巡した。
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