第32話 恋心1

 カレンに預けられた、ライラの腕に抱かれるカトリーヌの頬は赤く腫れていた。


 ブライトウィンを含むこの地方を治める領主、ゲール侯爵の馬鹿息子、アランに力いっぱいの平手打ちを受けたためだ。


 そのアランがカフェ『Rルージュ&Nノワール』で暴れた目的であったカレンはというと、店にこれ以上迷惑を掛けないようにと、奴を連れて出ていってしまった。


 ライラはカレンの並々ならない魔法の才覚をよく知っているし、あの馬鹿息子に何かされそうになっても十分対象出来るだろうと考えていた。


だが……。


「チッ」


 何か嫌な予感がしている。それがアランの異常性に因るものなのか、それとも想定外の何か悪い事が起きるのではという不安に因るものなのか、この時のライラには理解出来なかった。ただ、漠然とした不安が彼女の直感を刺激していたのだった。


 暫くして、カトリーヌが落ち着きを取り戻し自分で立ち上がる。そして手当てのために、ロイドが控え室へと彼女を連れていくのを見届けてから、ライラはカレンを探しに行くとウェイトレス達に告げて店を出て行く。


 そう遠くには行っていないだろうと、店の周辺を探したが二人は見つからない。

 既に店に戻ったのではないかと考えていると、突然の爆発音が空気を揺らした。


 そして彼女は少し離れた場所から黒い煙が上がっているのを目撃した。

 

(こんな街中で魔法?

 もしかしてカレンが……?!)


 ライラは嫌な胸騒ぎがどんどん大きくなるのを感じながら、黒煙が上がっている方向に向かって走り出した。




 ライラの父親は田舎街で道場を営む武術の達人。彼女は幼い頃から、そんな父に武術を叩き込まれ、厳しく育てられた。父は息子を欲していたが、母が自分の命と引き換えに残したのは女のライラ、ただ一人であった。


 父にとっては妥協だったのだろう。女のライラに武術だけでなく、男の所作を教え込み、息子として扱った。


 おかげで周りの子供達からは『男女』と揶揄やゆされ、友達と呼べる子はほとんどいなかったのを、彼女は今も覚えている。


 そんな環境の中で、ライラもずっと自分は男だと言い聞かせて父の理想に近付こうとしたのだが、身体が成長するにつれ自然と女であることを自覚していかざるを得なかった。


 そんなライラを見て父は、更に厳しく彼女を躾けようとする。


 しかし気持ちも身体も女であるにも関わらず、男の様に生きるなど生物のことわりに反する事なのだ。そもそも上手くいく筈がない。


 女として完成されつつあるライラを見て、やがて彼女の父も諦めたようにそれを理解したのかもしれない。


 ある時彼はカレンに解魔の儀式を受けさせ、加護が宿っていることを確認すると、彼女をブライトウィンへ魔法技学園に無理やり入学させた。


 これはライラにとって、父に道場の跡継ぎとして相応しくないと言われたも同然である。


 この時、生まれてからずっと演じてきた、男としての彼女の役目は終りを迎えた。




 入学式の後で、一人の女子生徒が男子生徒に絡まれていた。友達が今まで居なかったライラは人付き合いが得意ではない。普通ならそんな小さな揉め事

も、無視しただろう。


 しかし、女子生徒カレン=マクスウェルを一目見た瞬間、気付けば身体が勝手に動き、その男子生徒の腕を捻り上げていた。


 礼を言うカレンと目が合う。その瞳に吸い込まれてしまいそうな感覚。自分の心臓の鼓動が全身に伝わるほど大きく、そして速くなるのをライラは感じていた。


 『ー目惚れ』


 恋愛経験皆無の自分でもはっきりと分かった。

        

(アタシは女だ。女を好きになるなんてあり得ない!)


 突然生まれた感情と、自分の中の女が葛藤する。

しかし、その感情を受け入れない事は、女を否定し男だと偽ることよりも、遥かに難しい事なのだと自然と理解できた。


 それほどに恋心というのは激烈な衝撃を伴う感情だった。


 人付き合いが苦手な筈のライラが、彼女を前にすると沢山の言葉が口を衝いて出てくる。


 すぐに二人は仲良くなり、ライラは意図的に彼女と時間を共有しようとし、カレンもまた実際にそれを心地よく感じてくれているのを知っている。



 二人の幸せな日常を突然あんなクズに壊されては堪らない、そんな事を考えながらライラはカレンの元へと急ぐのだった。

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