第20話:退転



 ◆◇◆◇◆◇



「な、なぜって……月の盾は血族から人々を守るのが本分ではないか!? 貴君は何を考えているのだ!?」

「私の考えは単純ですよ、殿下。助ける価値があるか、そうではないかです」


 アシュベルドはリアレの方を見る。その瞳のあまりの冷酷さに、リアレは背筋に寒いものが走り抜けた。この男は、人間をまるで食用の家畜のように選別しているのか。


「今私が欲しいのは、私の命令に従い、血族どもに対して反撃の爪牙となり得る者。つまり、実戦経験を積んだ私の部下たちです」


 アシュベルドの視線を追って、リアレは周囲に目を配る。月の盾の職員たちは今も持ち場につき、あるものは見張りを続行し、あるものはルーンを刻み、あるものは今後の作戦を話し合っている。手持ちぶさたな者は皆無だ。


「な、ならば、貴君の国の要人たちは無価値だというのか?」


 祝賀会の時に言ったアシュベルドの言葉をリアレは覚えている。彼の望むものは「公正」だった。その言葉には、理想を求める気高さがあった。なのに、今のアシュベルドはそれとはかけ離れている。あの時の言葉は嘘だったのか? リアレのその質問には、すがるような響きが含まれていた。


「ああ、あれですか。あれはまあ、単なる必要な犠牲という奴です。そういう意味では、彼らもまた私の役に立ってくれました」


 しかし、リアレのわずかな期待は、続くアシュベルドの言葉によって粉微塵に砕かれることとなる。彼の言葉には、連邦の要人たちに対する配慮や憐れみなど、欠片もなかったのだ。


「血族と化した侍女たちが、右往左往する彼らに気を取られてせっせと増殖に励んでくれたおかげで、私の貴重な戦力はほとんど減ることがなかった。実に素晴らしい」


 一人一人の人間を、ただのチェスの駒のようにしか考えていないその発言。人倫も人命も人権も、彼にとってはただの無意味な雑音でしかないのか。


「き、貴君は何を言っている……?」

「何よりも殿下、彼らの犠牲によってあなたをお守りすることができたのです。これは重要ですよ。帝国貴族の方々も、殿下の盾となって血族から殿下をお守りできたのなら、貴族の本懐ではないですか。彼らもきっと喜んでいますよ。ははははは、まさにノーブレス・オブリージュの鑑と言っておきましょう。実に素晴らしい。感動させていただきました」


 リアレには、目の前で冷え切った笑い声を響かせるアシュベルド・ヴィーゲンローデという存在が、同じ血の通った人間にはとても思えなかった。この男は、必要とあらば味方でも平然と切り捨て、目標の達成のためならばどれほどの犠牲を払おうとも、それを笑って受け入れるのだ。人の上に立つものとして、これほど恐ろしい人種はいない。


「さて、私は少し席を外させていただきます」


 絶句するリアレを尻目に、アシュベルドは優雅に一礼してからきびすを返そうとする。


「どこに行くつもりだ?」


 口にしてから、リアレは自分の口調がきついものになっていることに気づく。


「少々この服装では動きづらいため、着替えるだけですよ。やはり、狩りにはそれ相応の装束がありますからね」


 帝国王女の詰問に、怖じる様子もなくアシュベルドはそう答える。


「祢鈴、貴公も着替えるといい。その格好では動きにくいだろう?」

「はい。ではお言葉に甘えて」


 それまで一度も会話に加わらなかった腹心の祢鈴も、彼に続いてその場を後にする。残されたのはリアレだけだった。正真正銘、手持ちぶさたになってしまったリアレだけが。





 礼拝堂を後にした私は、アシュベルドと共に彼に割り当てられた部屋に直行した。部屋に入った彼は、まずドアを閉め、脇目もふらずに部屋の四隅に刻まれた施術を確認する。防音の効果を持たせた彼特製のルーンだ。さらに他の防犯用のルーンにも目をやり、この部屋が完全に彼と私の二人きりであることを徹底して確認する。そして――――


「はああああぁぁぁぁ……………!」


 それはそれは長いため息だった。まるで、ウシかゾウかクジラのため息だ。いや、私はその三種のため息など聞いたことがないので、比喩なのだが。彼は恐ろしく長いため息を絞り出すと、同時に部屋の壁に手を当ててがっくりと肩を落とす。凄まじい量の負のオーラが全身から立ちのぼっているのがよく分かる。


「ああ、ああああぁぁぁ…………!」


 アシュベルドが呻きながら身もだえする。額をゴンゴンと何度となく部屋の壁に当てている。


「うがあああああぁぁぁ…………!」


 ああ、これは少々まずいことになった。このままだと彼は人外の慟哭を喉から絞り出しつつ、壁を頭突きで割りかねない。そろそろ、気を逸らす必要がありそうだ。


「いやはや、さすがは徹底した合理主義者。本来守るべき要人さえ、勝利のための道具にして使い潰すとは。まさに冷血、まさに無情、まさに非道。殿下もかなり怖がっていたように見えたが?」


 私は今の彼に対する周囲の反応を予想してみる。何と恐ろしい人物だろう。まさに獰猛なる黄金の鷹。彼にとって万人は、すべからく盤上の駒でしかないのだ。



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