おにのは

 深幽境しんゆうきょうは、夏の盛りを迎えていた。

 地下深くにある幽鬼の国であるため、目に鮮やかな夏の花や太陽の高度、日照時間の変化などで夏を感じることはできない。

 しかし、温度の変化はそれなりにあるし、何より早夏が旬を迎える季節である。

 地上では夏より一足早く実をつけることから早夏の名を与えられたとされるその実は、深幽境では早くも夏が来たと知らせるように実を付ける。

 今年もたわわに実った早夏をもぐのは、ノジーたちの仕事だ。彼らは独自の当番制を用いてあちこち忙しなく行き来しては、着実にこなしていく。

 数人のノジーが収穫し終えた早夏の籠を手に離れていった。彼らの本日の仕事はこれで終わりだ。代わりに同等数のノジーが収穫の輪に加わりに来る。

 地上組、地下組と分かれたノジーたちは、それぞれ早速仕事に取り掛かる。地上組となったノジーたちの手には太い蔦のような……緑色のタコの触手を先端に取り付けた丸太が握られている。

「……あれが釣る手つるて の正体か」

 専用の横穴に入っていく地上組は、まだ穴が開いていない天井に向かって釣る手を突き立てる。

 ぐりぐりと回転させながら地上目指して自らも土を潜って行き、ある程度のところまでくると、巧みに釣る手を操作して地上の早夏をもいで持って帰ってくる。横穴の広さと場所は、マコーレーの果樹園とほぼ同じだ。

 太陽に弱いノジーが、日のあるうちに地上に出なくてもいいようにと何百年も昔に考えられた手法である。

 地上へ行っていたノジーが帰って来ると、すぐさまその穴に下から蓋をする。しばらくするとそこには大量の藁が詰まっており、それは深幽境の大切な資源となる。

 地下と地上、互いに存在も知らずにいた間柄でも、そこにはある種の共生があった。

「なんにも知らなかったけど、上手いことできていたんだなあ」

 隣に立つローラムがしみじみと呟く。

 毎年見慣れていたはずの光景が、途端にガラリと別の何かと入れ替わったような気がした。

「人には知られないようにしていましたから。正体不明で謎に包まれた怖いものでいたほうが、見くびられずにちゃんと分けてもらえますから」

 自慢げに言えば、ローラムがムッと眉根を寄せた。

「でも泥棒」

「ち、違う! 違います! マコーレーの当主だけは知ってます! ちゃんとした契約です! 盗めというならもっと大がかりに! 大胆に! 根こそぎ奪ってきてやります!」

「ちょっと! それだとエルトン様が貧困になっちゃうじゃないか! 断固許さない!」

「……わ、わかりました。やりません。ごめんなさい」

 極刑にでも処された気分で、ユハは謝った。

 つい熱が入ってしまったユハもユハだが、ローラムも瞬時に反論してくる辺り、まだ地上に未練があるのだろう。

 地上の町に魔物が溢れ、半壊状態にまで陥れた先日の一件から、早くも二か月。

 人の町は復興の兆しを見せ始めている。

 後に『死杭鳥しくいどり』の名をつけられた奇跡の鳥は早くも伝説並みに口から口へと広まり、その鳥が現れたのだからこの町は特別な期待をされているのだと、その存在は激励のための手段となった。扇動するのはシャノンだ。彼女はエルトンと新たな条件で契約を結び、協力関係を続けて町の復興に尽力している。

 領主モージズはよほど悪運が強いらしく、ベッドから起き上がれはしないが存命中だ。年も年なので、後継者の件は再び持ち上がる問題だが、しばらくは平行線のままだろう。

 反対に運がないのはサヴィアンで、しばらく身を潜めていようとしていたところをリリュシューに裏切られシャノンに突き出されたらしい。

 シャノンは未だサヴィアンの処遇を決めかねているらしいが、数日前、暇ができたらまた顔を出してほしいというメッセージと共に、ノジーの宝である『鬼の羽おにのは 』が見つかったと知らせが届いた。持ってきたのはノジーである。ローラムは得心していたようだったが、ユハはさっぱりわからず首を傾げていると、「サヴィアンの靴のヒールはいつも同じ高さと模様だったんだよ」と謎を深められてしまった。

 シャノンの手紙と共に届いた小さな箱をノジーに渡したローラムが、翌日、実に納得いかないという不貞腐れた顔で首から小さな銀の笛を下げているのを見たときに、『鬼の羽』の正体は明らかとなった。

「その笛が『鬼の羽』ですか」

「そうだけど! 自分たちの宝に穴を開けて鎖を通すとか、本当に信じられない! 自分たちで持っていろって何度も言ったのに!」

 口では文句を言いながら、ローラムは満更でもないように銀の笛を指で撫でている。

 特に凝った装飾などないが、細身で短い笛は、銀でできていた。

 その笛の名である『鬼の羽』は、鬼の歯の音――ノジーたちの会話の手段が元になっているのではないか、とローラムは言う。その歯の隙間から出す彼らにしか聞き取れない音と同じ仕組みで音を出す笛は、試しに吹いてもらったところユハには酷い雑音にしか聞こえなかった。が、楽しそうであったりうっとりと聞き入っていたりする表情のノジーたちがすぐに部屋にわらわらと集まって来たので、彼らには確かに美しい調べとして聞こえているようだった。

 想像も出来ないほど、楽しい日々だ。

 ユハはローラムが深幽境へ来てくれるとは思っていなかった。

 一度は断られたのだ。はっきりと。

 何がきっかけかは教えてはもらえないが、ローラムが親分と名乗ったことから深王としての役目は引き受けてもらえるだろうとは思っていた。けれど彼は今までの人生の大半を地上で人として過ごしてきたし、そこでの暮らしもある。時々顔を見せてもらえればそれで良しとしようと、どこか寂しく感じながらも半ば諦めていた。

 彼を引き留める者もいたのも、確かなのだ。

 ローラムはあの日、屋根の上に倒れこんでからしばらく、夜空を眺めていた。

 シャノンに追い立てられ人々が立ち去った後、エルトンもごろりと横になり、二人でぽつりぽつりと話をしていた。

 それは幼い頃の思い出だったり、最近の出来事であったり、思いついたことを取り留めもなく口にしているだけだった。二人ともがそんな感じで、屋根の上から降りてこない。

 ユハは待つのをやめ、人の姿に戻ると、逃げるようにその場を後にした。

 あの二人の間には、割って入れないほど濃い時間がある。長らく積み上げた信頼も。どちらもユハにはないものだ。

 だが、ローラムはエルトンの手を断った。彼の元で今まで通りに暮らしていく道もあったが、それを失くしてもいいと思ってくれた。

 あのときローラムは地上での生活を捨てたからこそ、エルトン相手に悪の親玉のふりをして決闘を演じて見せたのだ。

 これから、ユハにも作れるだろうか。エルトンとローラムとの間にあったような、他人が嫉妬するほどの関係を。朱璽鬼しゅじき深王しんおうといったつがいの関係以上の何かを。

 せめて、深幽境に来てよかったと、思ってもらえるように。

「……なんでずっとこっち見てるの?」

 山と積まれた早夏の籠の間に立ったローラムが、怪訝な顔をする。

「え、えっと、元気になって良かったねえと思ってですね」

 そうは言っても、二人が歩き回れるようになったのは、つい最近のことだ。

 ユハもローラムも完治した傷は細かい擦り傷や切り傷くらいのもので、酷いものはまだ傷が深い。

 特に酷いのはローラムの頬だ。

 毎日ガーゼを取り換えているものの、なかなか傷が塞がらない。未だにちょっとしたことですぐに傷口が開いてしまう。油断のならない傷は、アララギの怨念でもこもっているかのようだ。

 ぼろぼろのローラムに手を伸ばす。早く良くなればいいのに。失った目はもう戻らないが、ほかの傷くらいは。

 祈りや願いを込めて伸ばしたユハの手は、ローラムにあっさりと叩き落とされた。

「やめろ痛い」

 まだ触れてもいないけど。

 得も言われぬ顔でユハはぐぬぬとローラムを見つめる。ローラムは取り合わず、ノジーたちの輪に入り、収穫の手伝いを始めてしまった。

 休憩もなく、四時間。

 さすがに腕を上げっぱなしなので、体が痛い。

 ばたりと倒れるように寝転がり、ユハはぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。

 ノジーたちと収穫量の確認をしているローラムはさすがだ。慣れていると言ってはいたが、ここまで差があろうとは。

 ――少し、体力をつけたほうがいいかもしれない。

 ユハはローラムに呼ばれ、顔だけ持ち上げ、そちらを見た。

「何ですか」

「今日採れた分で、向こう五日分くらいはありそうだよ。そろそろ頃合いじゃない?」

「そうですね」

 向こう五日分。

 それは、白い早夏のみで計算したものであり、歴代の朱璽鬼の平均値である。

 ローラムがそれらを全て赤くして、ようやく準備が整うのだ。

 誤魔化しながらも細々と続いてきた深幽境の礎を整え、先王アララギが次なる者に譲位する。

 ローラムが公に深王となるための、儀式の準備が整えられる。


 

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