やけぐい
元々連れて行ってもらえないことはわかっていたんだけれど、とローラムは地面に突っ伏したまま、不貞腐れたように呟いた。
「そんなところに転がっていると、洗濯にきたおばさんに一緒に洗われるぞ」
ローラムと共にエルトンの口上練習に付き合っていたカシーは、彼の不機嫌な理由を知っているが、できるかぎり何気ない調子を装って声をかけた。
同僚ではあるものの、少年であるローラムよりは十二も年を取っている。エルトンとのほうが年齢差も身長さも少ないが、同時期にエルトンの元に厄介になったこともあり、ローラムとのほうが気心が知れている。エルトンの一行に加わらず留守番することを選んだのは、そういう理由もあった。
今日はまた、洗濯し甲斐のありそうないい天気だ。季節柄、最近は雨やぐずついた天気が多かったので、久々のスカッとした晴れ間に洗濯係たちは大張り切りである。あちこち走り回って洗濯物をかき集めている賑やかな声が、遠くから引っ切り無しに聞こえてくる。
「……別に、いいよ、それでも。そんなことになったって、エルトン様は連れてってなんてくれないんだから」
ローラムが転がっているのは、井戸のすぐ傍らだ。最初は井戸からほど近い場所にある少し盛り上がった草地にいたのが、不満にごろりと寝転んだ拍子にあれよあれよと井戸まで転がってしまったのだ。おかげで彼の衣服は砂や草まみれだが、それでもなお、彼は美しさを纏っていた。
――これは、連れて行きたくなくなる。
自分を美男子ではないと自負しているエルトンの気持ちが痛いくらいによくわかる。エルトンだって決して不細工というわけではないし、美男子の括りに入らないわけではないが、ローラムと比べるとどうしても見劣りしてしまう。それほどに、ローラムは異彩であり、別次元の美を持っていた。
「僕はそんなに見るに絶えないのかな。ねえ、カシー」
カシーは、さあ、とだけ呟いた。
どう答えたところで、ローラムの望む答えをやれるわけではない。彼の欲しがっているものはたった一つ、エルトンの専属の付き人となることだった。近侍や腹心なんて贅沢は言わない、せめてあちこち一緒に連れ回してくれる小間使いの一人でいい、とカシーは事あるごとに聞かされていた。
「せめてみんなと同じようにできたら、連れて行ってもらえたのかな」
ローラムは傍目にもはっきりとわかるほど、別の血が混ざっていた。それはカシーも同じだが、もうどのくらい薄まっているのかわからないほどの希薄さであるカシーと、半分も混ざりあっていないローラムとでは、比べようもない。エルトンが外出の度にローラムを置いていくのは何もそのことを気にしてのことではないし、実際はローラムを気遣ってのことなのだが、ローラムは自分が異質なものであるからだと思い込んでいた。
「こんな、焦げたような色」
ローラムは自分の髪を摘まみ、ため息を吐いた。
ほかに見たことのない色の髪は、屋敷の外では特によく目立つ。
屋敷の者はすでに見慣れてしまったため今では気安く声をかけ話もするが、当初は遠巻きに眺めているだけだった。目立たぬよう染めてみるも、薬液はさらに深みを持たせるだけで周りと同じようにはしてくれない。帽子を被って買い物に行くことはできても、礼儀として帽子を脱がなくてはならない他家への訪問はどうしたって気が引けるし、相手からも疎まれる。
カシーはローラムの足首を持ち、ごろりと彼を回転させた。
「何」
いきなり仰向けにされたローラムは目に飛び込んできた日差しに眩しそうに眉根を寄せた。
「美味い菓子を貰ったんだ。一息入れないか」
ローラムはぽかんとしていたが、カシーが顔を覗き込むと間抜けにも開けていた口を恥ずかしそうに閉じた。
「行ってやってもいいよ」
「何だと。そんな態度の奴には分けてやらないぞ」
「わわ。嫌だ、悪かったって」
慌てて飛び起きたローラムの必死な顔を見て、カシーはくすりと笑った。
分ける分けないの前に、元々二人で食べなさい、と貰った菓子だ。客へ出すほどの出来ではないがエルトンに出すのも憚られる、失敗作だと言われたその品は、ふんわりと焼き上げられたマドレーヌとビスケットだった。
マドレーヌの方は焼き型から外す際に形が崩れてしまっており、ビスケットは焼き過ぎて焦げがあるが、どちらも食べても何ら問題のない品だ。見た目が悪いと言うだけで省かれた品は、捨てるには惜しいということでカシーやローラムへと譲られる。甘い物に目がないローラムは特に、どんなものでも美味しいと絶賛しながら嬉しそうに平らげてくれるので、料理係達からは失敗作でなくともこっそり譲られることが多かった。
カシーは自室に戻ると菓子を詰め込んだ袋を引っ掴み、炊事場で紅茶を貰うと言って別れたローラムの元へ行った。ローラムは手際よく飲み物を二人分貰い、さらに洗濯へと駆り出された係の女たちがいないのをいいことに、ちゃっかりパンまで拝借していた。
二人は井戸からやや離れた日当たりのいい場所を探して歩いた。庭園にはよほどの用がない限り庭師ぐらいしか入れないが、芝地である裏庭は誰でも自由に出入りすることができる。裏庭の片隅には食用にもなる黄色い花が植えられており、二人はその花の傍らに腰を下ろした。互いに持ち寄ったものを分け合い、噛り付く。ローラムが手に入れてきたパンは、レーズンをたっぷりと練り込んだものだった。
「どやされないか」
口では心配しつつも、食べ盛りの身としては食べ出したら止まらない。もぐもぐと口を動かしながら聞けば、同じようにパンで口をいっぱいにしているローラムが悪戯っぽく笑った。
「代わりにあとで
早夏とは、この近辺でよく採れる夏蜜柑の一種だ。初夏よりも一足早く実をつけるので早夏と呼ばれている。小振りで酸味が強いが、皮が薄く、砂糖で煮込むとつやつやとした黄色いジャムになる。長かった冬が終わり、暖かな陽気と共に疲れと眠気がどっと押し寄せるこの季節には、あえてそのまま噛り付いて眠気覚ましとすることも多い果物だ。
「手伝う」
無類のジャム好きとしては、大量に収穫し、砂糖を控えてごろごろと実が残っているジャムにしたいところだ。シンプルなパンに溢れんばかりに盛り付け頬張るところを想像して、早くも喉がその味を欲しがった。
油断すると零れてしまいそうなよだれを警戒して口元に手をやり、ちらりとローラムを見れば、彼もまた、物欲しそうな顔をしていた。目が合うと、くすりと笑う。
「同じこと考えてる? 舌がもう、菓子の甘さじゃ満足できなくなっちゃった」
これはこれで美味いんだけど、とローラムは齧りかけのクッキーを口に押し込み、温くなってきた紅茶を一息に飲み干した。
「いっぱい採ってきて、ドライフルーツにもしてもらおう」
捨てる部分がほとんどない早夏は、実を煮ても干しても美味くなる。さらに皮だけを干すことで別種の干し物にし、茶葉と共に煮だすことで香りづけをすることもできるし、細かく刻んで小さな袋に入れたものを服の間に挟み込むと防虫剤にもなる。さらには水に散らして飲むことさえできた。
その早夏の栽培、管理を一手に引き受けているのが、農耕貴族とも揶揄されるエルトンの一家、マコーレー一族だ。
マコーレー家には武術には疎い者が多いが、土いじりに関しては喜々として黙々と取り組む傾向の者が多い。エルトンも早夏の手入れをしているときは妙に真剣で、声をかけても聞こえないほど熱中していることもよくあった。
ローラムと連れ立って炊事場に茶器を返しに行くと、先ほどとは打って変わってざわついていた。
何かあったのか。
ローラムが目だけでカシーの意図を悟り、近くにいた者に声をかけた。
「ねえ、お姐さん。どうしたんです? お皿でも割っちゃいました?」
うっかりさんですねぇ、とわざと間延びした言い方で尋ねる。ややふっくらとしている女性は振り返り、ローラムとカシーを見ると助かった、とでも言いたそうな顔になった。
面倒ごとを押し付けられる前兆だ。
「ちょうど良かった。ローラム、カシー。緊急事態なんだよ。領主様のところから使いが来て、今日の場所を変更すると言うんだ。行き違いになったり、待ちぼうけなんてさせてしまったら、今回の話はなくなってしまうかもしれないからさ、あんた達、ささっと駆けて行って、エルトン様にお知らせしておいで。歩きで出て行かれたからきっとすぐに追いつけるから」
電話ではなくわざわざ使いを寄越すからこうなるのにね、と聞く者が聞けば不敬ともとれる言葉を呟いた姐さんにローラムは曖昧に頷いた。今時婚約式をしようと言うのだから、古式ゆかしき慣習に則ったのだろう。
「でもそれ、僕たちよりも適任がいるでしょう。彼らはどうしたんですか」
「それがねえ、運悪く、ついさっき『
釣る手とは、突如として早夏園に現れるようになった魔物だ。地下から蔓を伸ばし、それを手のように操り食べごろの早夏を釣るように盗んでいってしまう。
逆に言えば収穫の頃合いの目安とも言えるが、この釣る手の性質の悪いところは、地面を穴だらけにし、その穴に落ちた者は二度と帰って来れぬほど深く抉っていくということだ。そのため釣る手が現れたあとには、年間を通して貯め込んでおいた藁や干し草をその穴に詰めなければならず、その処置には結構な人手がいる。ぼさぼさしていると瞬く間に次の釣る手が現れ、魔物の早夏狩りに巻き込まれないとも限らない。
そんな悪条件の中でわざわざこの地で栽培をしているのは、早夏が好む土壌であるからだ。よその土地よりも格段に上等で、実りがいい。魔物にいくらかくれてやっても収益の数字のほうが上回るのだ。釣る手のほうも今後の収穫量を気にしてか、人を巻き込まないようにしているきらいがあるので、こちらとしても釣る手の穴に落ちぬよう気を付ければいいだけのことであるのだが。
「それでも誰か残っているでしょう? その人に頼めば」
「だから残っているじゃないの、ここに」
「あらま」
通常なら有事のために何人かは残っているものだが、今日は生憎半数近くがエルトンにくっついて行ってしまったので、残して置ける人数もないのだった。
だからあんたたちに釣る手処理の声がかからなかったんだよ、と言われてしまっては、ぐうの音も出ない。勝手に休憩していたともなれば、罪悪感がちくちく刺さる。
ローラムは姐さんから手紙を受け取ると、カシーの腕を引っ張って炊事場を後にした。
「行くのか?」
腰のベルトに括り付けていた大きな布ですっぽりと頭を覆うローラムに声をかける。外水道に常時置かれている桶に溜められている水に自分の姿を映し、髪がすっかり隠れていることを確認したローラムは、うん、と頷いた。
「誰もいないんだってさ。僕たちこそが有事の人員」
「誰か呼び戻せばいいだけじゃないか。何もお前がわざわざ行かなくても」
「何馬鹿なこと言ってるの、このくらいのお使いくらいできるよ。歩いて行ったんだからすぐに追いつくだろうし。エルトン様の心配性がうつったんじゃないの」
鼻歌を歌いながらさっさと歩き出してしまうローラムの背を、カシーは慌てて追いかける。
一度決めたら頑固なローラムを追い越し、背に庇うようにする。急に鼻歌が途切れ、背中にどん、と強い衝撃が一つ。肩越しにそっと窺えば、頬を膨らませたローラムがカシーの頬を押しやり、無理やり前を向かされる。
背に、こそばゆさが走る。むずむずするがじっと我慢すると、それは文字を描いているようだった。
この意地っ張りは、と思う。
常ににこやかで嫌な顔一つしたことのない雰囲気で周りに合わせている彼は、同期であるカシーにだけ、こういう姿を見せる。意地っ張りで、実は食いしん坊で、ちゃっかりしていて、時々酷く悲しみ、実は怒りっぽくて、ちょっとずるいところも持ち合わせているやつ。
俗語で、しかも指文字で感謝を受け取ったカシーは、ローラムを背に再び足を動かす。
自分以外には気軽に、日々いくらでも感謝の言葉を振りまいているくせに。
ぽんぽんと振りまいている言葉に気持ちが少しも含まれていないわけではないと思うが、今背中に書かれた文字のほうが、気持ちが充溢している気がするから不思議だ。
「……何一人で笑ってるの。怖い」
「は? いやだってお前が」
「僕が何」
いつの間にか隣へやってきたローラムがぷくりと頬を膨らませる。わざとらしい。下手な照れ隠しか。
「……いや、何でもない」
「そうだそうだ。何でもないし、何もない。行こ」
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