幽鬼の王のつがい鳥

八川はづみ

プロローグ

 干からびた指先が、ぼとり、と落ちる。

 これでもう、残り三本だ。

 右手に親指と中指、左手には小指のみ。

 ほかの指はみな、落ちてしまった。

 揺り椅子に座らされた男は、自分の指がたった今失われたというのに、遠くの川に石が落ちたかのように無関心だ。

 足の指は十本全て揃っているが、足首の部分で綺麗に切り揃えられ、深みのある大皿に盛りつけられて、男の膝の上に載せられている。

「ああ、これはもうだめだ。これ以上長くは使えないだろう。新しいのが必要だ」

 長い柄の匙で男の干からびた手を掬い上げるように持ち上げるのは、今の深王しんおうだ。

「……新しいの?」

 深王が振り向く。風もないのにさらりと揺れる艶やかな上掛けは、深王の周りでそよ風が踊っているような錯覚を起こさせる。深王が口を開くたび、何かをするたびに、長く絹糸のような髪が軽やかに動くのも、そよ風のせいか。

「この男の血を継ぐ者が生きながらえているらしい。連れておいで」

「まだ大丈夫でしょう」

「あの花を見てもそう言えるのなら、もう一度言ってみればいい」

 深王が指さす先には、巨大な花木があった。天を衝くほど大きいので木として扱われているが、実際には巨大な球根植物だ。土の上に盛り上がった球根からいくつも上へと伸ばした茎は、その一本一本が太く、表面も幹のように固いため、教えられなければそれが球根だとも思わないだろう。

 下向きに垂れ下がっている茎のその先には、火のように色鮮やかな花が咲いているのが本来のあの花の姿だ。

 今や花は全て散り、空に浮かぶ雲かと見まがうほど高い位置で開いた葉は、まだらに茶色く変色している。

 日照不足ではない。

 あの特別な花は、この世界を支える柱だ。秩序であり、王の証だ。

 その花が、枯れかけている。

 深王に見つめられ、勇隼いさはやはぐっと言葉に詰まった。

 あの花が完全に枯れてしまえば、この世界は終わりだ。何もかもが土に埋もれ、無くなってしまう。

 ここに住まう幽鬼ゆうきも、帰ってくる場所も、何もかも。

「今はわたしが深王だ。口答えは許さない。やつを連れておいで、勇隼」

 丁寧に手入れをされた長い爪で、すらりとした指先で、額を弾かれる。

「……探してみる」

「おや、お前はもう知っていると思っていたんだけど。案外無能なのか」

 黙って背を向けた勇隼に、柄の長い匙が投げつけられる。

「勇隼」

 ぶつかった後頭部を撫で、勇隼は振り向いて匙を拾う。

「それじゃない」

 ふくれっ面で、深王が勇隼を呼ぶ。匙にかけた指を開き、勇隼はため息を零すと、深王へ近付いた。

 両腕を広げる深王は、とても美しい。

 陶器でできた人形のようだと賛辞の集まる深王は、真っ赤な唇で勇隼を呼ぶ。

 が、勇隼には鎖がざらざらと音を立てるようだ。従うしかない。名を呼ばれる度、勇隼は腹の底がずんと重苦しくなるのを感じた。

 深王が両腕を勇隼の首に回す。勇隼は深王の上掛けの長い裾を踏まないよう注意しながら、深王を抱き上げた。

「こちらへ来るしかなくなるように、仕向けてやるといい。気を付けて行っておいで、わたしの勇隼」

 抱え上げた深王は、驚くほど軽い。陶器の人形のほうがよっぽど重たいのではと思わせるほどだ。

 上掛けの裾を指先に引っ掛け、勇隼は深王を部屋へと送り届けた。

「……連れてきても、渡さない」

 勇隼は腹の底のずんとした重苦しさも一緒に吐き出すように、閉じた扉を睨みながら呟いた。

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