第27話 被災地を訪ねて…
東日本大震災から8年半―。9月最後の週末、宮城県女川町を訪ねました。震災後、3ヶ月に一度は東北の被災地を訪ねていまして、広海の兄・渚に案内してもらうことも度々ですが今回はスケジュールが合わずに一人旅。個人的には漁業と原子力発電所の町という印象が強い町でした。微力ながら「お金を落とすこと第一」の訪問です。お金を出すだけなら寄付で十分ですが、それでは地元を理解することにはなりませんし、復興の経過を実感することもできません。仙台から快速と普通列車を乗り継いで約2時間。午前10時前、ウッディ感を前面に出して新しくなったJR女川駅に到着。駅を出て真っすぐ女川港へ続く道沿いの観光施設「シーパルピア女川」は、大勢の家族連れの行列を、昔懐かしい焼き魚特有の匂いと白い煙が包み込んでいました。その正体は、「
旅の目的は石巻市沖の太平洋上に浮かぶ金華山きんかざんでしたので、サンマが品切れにならないことを願いつつ、後ろ髪を引かれる想いで片道35分の船旅に。船を予約した段階で天気予報は雨。一週前も台風の影響で観光船自体が欠航になっていましたので一抹の不安がありましたが、日曜日は眩しいくらいの太陽が迎えてくれました。出航から間もなく、右手後方の太平洋越しに女川原発が見え、複雑な気持ちがよぎりましたが、それはそれ、これはこれ。気持ちを切り替えて“金貨山”ならぬ金華山へ。
多くの観光客の目的は
しかし、不思議なものです。社務所で促されるままに祈祷を申し込んだのですが、以下は恥ずかしながら不慣れな私が申し込み用紙を記入する際の問答です。
私:「個人の祈祷料はおいくら…?」
社務所の担当:「五千円で」
(五千円と書き込みながら、20近く並んだ祈祷内容を選ぶ段で)
私:「願い事は、いくつでもいいんですか?」
社務所の担当:「まあ、二つぐらいですかね」
私「はい」
と苦笑い。つい欲深さがのぞいてしまいました。
結局、担当者の言われるままに申込書に書き込んで、何の迷いもなく祈祷料と御朱印帳の代金を支払いました。渡された白装束(上着のみ)を羽織り、祈祷していただいて玉串を捧げると、お神酒と名前の入ったお札を頂戴して境内へー。
すると、なんてことでしょう。祈祷前にはいなかった“神の使い”の金華山名物の鹿が4匹も姿を現したのです(なぜか「ビフォー&アフター」風)。
しかも、1匹は本殿に続く随神門前の階段に上り、途中で立ち止まったのです。
以上は、多くの祈祷申込者がいる中で、私の目の前で偶然起きた予想外の出来事。言いたかったのは、人は本当に神にすがる時はあまりにも無防備だということです。社務所でのやりとりは振り返ってみると、あまりに考える余地なく事が運び、まるで何かの「宗教」みたいでした。いやいや、実際、古来から伝わる「宗教法人」ですからね…。もちろん、長い歴史と由緒ある神社ですので疑いも後悔もありませんし、3年続けて訪れるつもりですが…。
言いたかったのは、お寺の「お布施」に当たる神社の「初穂料」。元々は、文字通り農漁業者が初物の収穫物を奉納していたもので。つまりは“祈願者の気持ち”“善意”なので、明確な金額はないはずなのですが、最近ブームの「御朱印」も初穂料は概ね300円。見開きで2ページを使う大判の場合は500円が事実上「定価」になっています。御朱印の希望者が迷わないようにとの親切な「設定」と思いますが、お守り同様、非課税の「商品」と化しているのが現状です。なので、奉納者はブームで「御朱印」を“買い求める”のではなく、神社仏閣との付き合い方について、しっかり理解することが大切ですし、このブームはそれを学ぶ絶好の機会ということです。
あっ、収穫祭のサンマにも帰港後、無事ありつくことが出来ました。それにしても20メートル以上はありそうな特設の“炭焼きコンロ”の前で朝から煙まみれで焼き続けた実行委員会の方々は、身体中に焼きサンマの匂いと脂(あぶら)が染み込んだでしょうね。
金色に輝く専用の御朱印帳は、お札と並べて店のカウンターの奥に立て掛けてありますが、「ゼミ生」たちには「何事にも疑い深いあのマスターが?」「やっぱカネの誘惑には勝てないんだよ」とか好き勝手言われそうです。
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