月の魔法/5

 紙の山からまた出てきた別の専門書を、貴増参は手元へ持ってきた。


「僕は考古学を通して、世の中に貢献してるんです」

「よく言や、そうなんだろうけどよ。ハニワさんと一緒に寝るのはどうかと思うぜ」


 特殊な性癖みたいなものが出てきた。研究に没頭していて、いつの間にか居眠り。そして、起きると隣に発掘品があるという話である。


「土器です。そう言うわけですから、僕の価値観と合う助手を探し続けます」

「オレの話スルーしやがって……」


 何度言っても、同じ繰り返しで、頑として引かない、この考古学者の友人は。明引呼は長くなった葉巻の灰を床へトントンと無造作に落とした。


「てめえで探せよ」


 埃臭い空間で、火と紙が化学反応を起こすこともなく、焦げ跡も作らず消えていった。 


「僕のまわりにはなぜか人が集まらないので、プライベートも充実してる君に頼んでます」

「仕事ばっかやってっから充実しねえんだろ。少しは離れろや」


 それっきり、会話は途切れた。優しさの満ちあふれた茶色の瞳が本から上げられることなく、葉巻の吸い殻が何本も床に転がってゆく。


「…………」

「…………」

「…………」


 何が起きているのわかった、明引呼はソファーから勢いをつけて起き上がり、


「研究にかまけて、オレがいることまで忘れやがって」


 足跡がいくつもついた紙の上に、先の尖った革靴を平然と乗せ、


「少しは女に目え向けろや。でもってよ、時間管理してもらえよ」

「…………」


 しかし、本から茶色の瞳が上げられることはない。明引呼は膝の上に両肘を落として、藤色の短髪をガシガシとかき上げた。


「また別世界にワープしやがって」

「…………」 


 それでも、考古学者はページをめくるだけで、口を動かすことはない。明引呼はソファーからジーパンの腰を上げて、シガーケースをポケットに突っ込む。


「じゃあな。またくるぜ」

「…………」


 カチャカチャと金属を触れ合わせながら、足音が遠ざかっても、貴増参のカーキ色のくせ毛は微動だにせず。明引呼は破壊したドアのところで一旦振り返った。 


「終電乗り遅れんなよ」

「…………」 


 白い幕の前でしばらく待っていたが、いつも通り無反応だった。明引呼は布地をさっと払い、黄色い声を従えながら元きた道を戻っていった。


 陽が西へと次第に傾き、貴増参が気づくと、友人の姿はどこにもなかった。だが、それはいつものことで、自分が本を読んでいる間に帰ってしまうのである。


 本はとりあえず閉じて、ピンクのシャツの腕をまくり、発掘品を並べた大きなテーブルへと歩いてゆく。


 白い手袋を手にはめて、砂埃をハケで丁寧に取り除いては、バラバラの破片を修復する作業が続いていった。


 手元を照らすライトがいつの間にかついていた。しかし、それをつけたことさえ、記憶にはない。いや、ついていることすら、当たり前になっている。


 ルーペであちこち眺めていたが、やがて、貴増参はあごに手を当てた。


「……確かこの部分は、あの本の三十六ページに載ってました」 


 記憶から必要なものを取り出す。適当にしまわれているような、教授室の本の群れ。しかし、この部屋の主にはきちんと整理されていた。


 他のことは人にあきれられるほど忘れてしまうのに、研究のことに関してはいつもこうなのだった。


 貴増参はゆっくりと立ち上がり、歩き出そうとして、 


「暗くて本棚へ行けない……」


 開けたままのレースのカーテンへと振り返り、カーキ色のくせ毛は薄闇の中で横へ少しかたむいた。 


「いつの間に夜になったんでしょう?」


 陽が暮れたことも気づかず、研究にまた没頭してしまっていたのだった。かろうじて、光の届く書斎机へと歩いてゆく。


 引き出しに置いたままの上着とネクタイも待ちくたびれて、眠っているように大学校内は静まり返っていた。


「今、何時なんでしょう?」 


 はずした腕時計を、さっきというか、昼間に読み返していた資料の山に埋めてしまった、それを手を当てて探し出す。


 持ち帰ってきた出土品に目を奪われ、よそ見をしながらはずした時計。どこに置いたのかも、下手をすると机の上に乗っているのかも定かではない。


 それでも運よく、右斜め前で紙の歪みができ上がった。適当にどけて、腕時計を救出すると、 


 ――二時八分。


 いくら都会でも、終電はもうとっくにない。明引呼があんなに忠告していったのに、まったく届いていなかった。


 腕時計をつけるつもりもなく、いやそんな生活能力などなく、貴増参はせっかく探した出した、それを机の上に無造作に置いた。


丑三うしみつ時……」


 おどろおどろしく、ドロドロという太鼓の音がして、背後に青白い人影が立ったような気がした。

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