ⅩⅡ スパロウ・ポミグラニット 中編

     19


『スノウスリープ』――〈雪眠り〉の名を持つ、蛾の一種だ。

 体長はおとなのヒューマンの親指の先から第一関節ほどで、触角、胴、はねに至るまで翡翠ひすい色を帯びた白色をしている。

 名の由来であり、その最たる特徴は、生態にある。

 スノウスリープは決して氷雪が解け切ることのない極寒の地で産卵をし、氷雪に産みつけられた卵はものの数日でさなぎにまで変態する。そして約百年もの間、氷雪の中で眠り続けるのである。

 蛹を包む氷は滅多なことでは融けることがない。約百年に一度訪れる温暖期にのみ融解し、それと同時にスノウスリープは一斉に目覚め、羽化するのである。

 ここまでではただ珍しい生態の蛾だ。問題となるのはこのあと。

 スノウスリープの蛹は百年もの長きに亘る眠りを実現するため、その体内に多量の睡眠物質を保有している。

 成体となり不要となったその物質は体表から体外に排出される。

 羽化したての成虫はこの物質が厚い霜のように全身を覆っているためもっふもふの姿をしているが、活動している内にがれ落ちていく。

 固まった状態で落ちる物質は季節外れの雪のようであるが、スノウスリープ以外の生物に対して、それは強烈な睡眠薬となる。

 吸い込むなどして物質を体内に取り込んだものは瞬く間に眠りへと誘われ、幾日、幾週間、どころか年単位で眠り続け、下手をすれば百年近くも眠り続けてしまう。

 いや、実際には百年も眠り続けることはそうない。何故なら、通常、百年も待たずして死んでしまうからだ。適切な処置でも受けられたら話は別だが、飲めず食えずで日差しに焼かれようと雨に打たれようと目覚めることができないのだ。一体何日もつだろう。

 仮に救助され、適切な処置――延命処置を受けられたとしよう。長命種族なら百年後に目覚めても余命があるかもしれない。しかしヒューマンであるアサギやシャオ、バードのスパロウといった、そもそも寿命が百年もない種族ではどちらにせよ目覚めることなく終わってしまう。

 さらにスノウスリープの恐ろしいところは、羽化した極寒冷地からえさの豊富な温暖地まで、一団となって大移動することだ。

 セントラルの東、ラサラス大陸の最北端にそびえる永久凍土の雪山から南下し、西のデネボラ大陸を横断。海を越え処女宮しょじょきゅうは〈花の都〉へと至る長行路。

 処女宮へ辿り着くまでの道に物質は等しく降り注ぎ、風に運ばれ周辺にまで影響を及ぼす。

 その被害の大きさは推して知るべしところ。

 しかし、ラサラス大陸、デネボラ大陸を合わせた十字じゅうじ宮はとても広大だ。

 その中では全長十二キロメートルのセントラルなど、てのひらありよりも小さなもの。

 スノウスリープの例年の行路からはずっと南にあり、被害があったとしても極僅かなものである――はずだった……。

「それがなんらかの理由で行路がずれて、セントラルの上空を通っちゃってるってこと?」

「状況から考えて、そういうことだと思う……」

 スノウスリープについて、スパロウがアサギとシャオに説明していた。

「だとしたら大変じゃない。対処法はないのかな?」

「通常、被害の予想範囲では予防薬の接種が行われているはずだよ。予防薬を接種せず被害に遭ってしまった場合にも治療薬があったはず。だけど……セントラルは大した被害が想定されていないだろうから、薬の準備がどれだけあるか……」

 とても今起こっている被害を収拾できるほどの量があるとは思えない。三は揃って苦い顔をする。

 と、アサギが、

「――とりあえず本館に行ってみよう。なにか説明があるかも」


 本館の玄関ホールには大勢の徒が集まっていた。とりあえず本館へ――というのは共通認識らしい。

 集まっている徒はみな、隔壁が展開される前から敷地内にいた者ばかりのようだ。

 お蔭で眠らずに済んでいるものの、突然のことで混乱しているらしい。対応に追われるガーディの姿が見て取れた。

 聞こえてきた文言によると、現状、住民や学生は進展があるまで待機しているしかないようだ。

 三徒もホールの端で待機する。

「ねぇ、スパロウ。スパロウはなんでスノウスリープに詳しいの? 動物が好きなのは知ってるけど、虫も好きだったの?」

「虫は師匠が研究してるから少し知ってるって程度だよ。スノウスリープに詳しいのは……――ふたりとも、僕の師匠がずっと遠征に出てるのは知ってるよね?」

「うん。まだ一度も会ったことないよね」

「元々フィールドワークに出ることが多い徒なんだけど、今回の一番の目的はスノウスリープの羽化から産卵までを観察・追跡することなんだ……」

「それって……」

「おまえの師匠、虫にやられてんじゃねぇか?」

 研究をしているとはいえスパロウの師はガーディだ。追跡しているスノウスリープの行路にずれが生じセントラルに接近したとあれば、ガーディに報告を入れないわけがない。そもそもスノウスリープの観察・追跡はプライベートなものでなく、そういった対応をするための業務内のものだろう。

 しかし、報告が上がっていれば現在のような事態にはなっていないはずだ。

 つまりスパロウの師匠が報告をできない状況にある――スノウスリープの出す睡眠物質に抗い切れず、どこかで眠ってしまっていると考えるのが妥当だろう。

「――そうなんだよ」

「師匠!!?」

「「師匠……!??」」

 新手の声に振り向くと、そこにいたのはなんとスパロウの師匠――ミスティルテインであった。

 くすんだ翡翠色の、何十年も切ったことがなさそうなボサボサ髪。垂れ気味の長く尖った耳に、背には虫のような透き通った翅。アンニュイな顔を見れば若いが、全体的にくたびれた印象の女性である。

「えっ、そうなんだって、師匠、スノウスリープの睡眠物質で眠ってたってことですよね!? なんで起きてるんですか!?」

「やあ、スパロウ。元気そうだね」

「今そういうのはいいですから!」

「眠ったって言っても少しの間なんだ。予防薬を飲んでいたことに加えて、もともと毒には他者ひとより耐性があるからね。自然と目は覚めたんだが――。起きたらスノウスリープの姿が全く見当たらなくてね。大して眠っちゃいないはずなのに予定の行路を追っても一向に追いつかず、行路が変わったと思い当たってやっと追いついたときには、この有様だったというわけさ」

 ミスティルテインは両手を上げて肩をすくめた。やれやれといった風ですらなく、間抜けなほどに淡々とした調子である。

「なにこんなときまで落ち着いてるんですか! マスターのところに行って、今後の対応を相談しないと……!」

「それなんだがね、おまえにどうにかしてもらおうと思ってるんだ」

「僕に……?」

 どういうことだろうと、ふたりの会話を黙って聴いているアサギとシャオは顔を見合わせる。

 スパロウの目を見据え、ミスティルテインが言う。

「おまえのヘケルを使うんだ」

 スパロウのヘケル……。

 ヘケルであることは知っていたが、なんのヘケルであるかは知らないことに気づく。

 アサギもシャオも尋ねることがなかったのもあるが、約一年付き合って、スパロウがヘケルを使っているところを見たことがなかったのだ。

 普通、ヘケルを制御できない例外さんでもない限り、自然と使っているものなのだが……。

「……確かに、性質を考えれば薬と同じ効能のものを生み出せるかもしれませんけど……」

「あの――」アサギが声を上げた。「どういうことか教えてもらっても?」

「えっとね、スノウスリープの対応に使われる薬は予防薬、治療薬のどちらも抗体を作るようなものじゃなくて、睡眠物質を中和するものなんだ。酸性のものにアルカリ性のものを混ぜて、中性にするみたいに。だから予防も治療も関係なく使うと……」

「何年も眠り続けてしまう物質の反対だから……」

「何年も眠れなくなる薬か」

「そういうこと」

「単体だとやべぇな」

「うん。そうなると薬というよりでしょう? 僕のヘケルはその、そういうものだから、薬の代わりにできないかって話なんだ」

「ん? スパロウのヘケルって……」

「えっと……」

 スパロウが少し言いよどむと、ミスティルテインが代わって答える。

「こいつのヘケルは「粉末」――加えて毒性のあるものだ」

 毒――その単語によってアサギの中で様々なものが繋がりだす。

 他部署と比べてやけに広い部署室。

 外に出なくても十分な食料と設備。

 部署室に併設されている住居。

 それらが示唆しさするのは、室内で過ごす時間の長さ。食料や物資の供給があれば、究極外に出なくとも生活ができる。

 そこに、ミスティルテインの“毒には他者ひとより耐性がある”という先の発言に、スパロウのヘケルが毒性のあるものという事実を加えると、【ムスカ】がどのような部署であるのかが見えてくる。

「【ムスカ】って毒系のヘケルの部署……!?」

「う、うん。正確には有毒・有害物質のヘケルだけど」

 ヘリオスの時代からしばらく、今で言うヘケルを危険視し、忌避きひする者は多かった。

 現在ではその時代を生きた者たちの努力の甲斐かいあって、常日頃ヘケルに対し恐怖心をくすぶらせている者はいないと言っていい。

 しかし「有毒・有害」となると話は別だ。ヘケル云々うんぬんの前に物質そのものが危険なのだから。

 いわばドクロマークのラベルが貼られた存在。同じヘケルが集うガーディの中であっても、彼らはれ物的扱いなのである。

「……もしかして、部署室で他の部署員に会ったことがないのって偶然じゃなくて……」

「来客のときはみんな接触を避けるようにしてるから」

 スパロウは苦笑した。

 つまりスパロウ以外の部署員は、アサギやシャオが【ムスカ】の部署室にいる間、私室に閉じ籠るか、外に出たまま帰らないようにしていたのだ。

(めちゃくちゃ気を使わせていた……!)

「僕ら、すんごい入り浸ってたけど、ご迷惑だったんじゃ……」

 アサギが恐々訊くと、スパロウは朗らかに答える。

「大丈夫だよ。ドラゴンたちのお世話のときは分かった上で部外の徒に募集を掛けたんだし。それから遊びに来てくれたときだってお茶する程度で、長居はしてないから」

「そ、れならよかった……」

 アサギはほっと胸を撫で下ろす。

「じゃあ……スパロウが僕らに隠してたのって、ヘケルのこと……?」

「ううん。ヘケルのことは隠しているつもりじゃなかったよ」スパロウは両手を振って否定した。「【ムスカ】が有毒・有害物質のヘケルが集められてる部署なのは、ガーディでは周知の事実だし」

「そうなの!?」

 アサギのみならず、シャオも目を丸くした。交友関係が狭い弊害へいがいである。

「はっ、そんなことより今はスノウスリープだよ!」と、スパロウはミスティルテインに向き直る。

(今の話題ってスパロウ的に“そんなこと”なんだ……?!)

「師匠、やっぱり他の策を考えてみませんか? 僕、もう長いことまともにヘケルを使っていませんし……」

「おまえならできると思うけどね」

「どうしてそんなこと言えるんですか。修業をつけなかったのは師匠でしょう」

 スパロウにしては珍しく苛立いらだちがにじんでいた。

 それに対し、ミスティルテインは落ち着き払った様子で、

「必要ないと思ってね」

 続けてこう言った。

「わたしの元に来るずっと前から、おまえはヘケルとして生きてきただろう?」

「…………」


 スパロウは鳥籠の外――隔壁の最高部に立った。

 両の手を前に差し出すと、その手から、体から、真っ白な蝶が生まれ出でた。

 次々と生まれ出る蝶は、セントラル中へ、周辺地域へと飛んで行く。鮮やかな青空の中を舞う真っ白な蝶は、日の光を受けてほのかに発光しているかのようだった。

 行くべきところに行き着いた蝶はその身を本来の「粉末」へと変え、幻のように散っていく。

 粉末の蝶を浴びた者たちが次々に目を覚ます。

 永遠かと思われた眠りの時は、数十分から数時間も経たない内に終わりを迎えた。

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