北阿古霜帝国民族誌 人食いと鳥かごのザデュイラル
雨藤フラシ
はじめに《アコハミシ》ⰡⰟⰊⰜⰀⰏⰃⰔ
序文(ガラテヤ語訳書初版版)
幼いころの私は、〝角〟がない祖父が不思議だった。
彼が頭から付け角を外すと大騒ぎして、笑われたのも良い思い出だ。祖父は角を持たない
私は本書『
魔族と人族の混血だ。
かつての魔族は
魔族や食人鬼という言葉が、差別用語に指定されて三十年。
私が亡き祖父の生国・ガラテヤに、古霜帝国〝ザデュイラル〟からの食人種留学生として訪れたのが、二十年前。
そこで過ごした間に投げつけられた罵倒と、不愉快な出来事は数え切れない。
私もよほど〝食用猿め!〟と言い返したかったものだが、神と祖先の血肉に誓って、そのような言葉は一度も発しなかった。内心については自由だが。
私が口にできる人肉は、年間およそ1400ジヴィ弱(※八キログラム半)だが、たったそれだけの量でも、一口でも、同族を食べる人間を彼らは恐れ、軽蔑する。
ザデュイラル国内においても、
祖父イオ・ハンニバッラ(※ザドゥヤ語発音)文化人類学名誉教授が遺した手記の公開に踏み切ったのは、魔族と人族、
彼は純粋な
手記には当時のザデュイラルの人々、その生き生きとした生活ぶり、魔族というものに対する
多くの差別的表現が登場するが、これは書かれた年代の世相や背景を多大に反映したものであり、この時代の
もちろんいくつかの脚色、誇張、祖父の勘違いなども多分に含まれるだろうが、歴史資料や存命中の関係者証言から、可能な限り事実関係を確認している。その作業には五年を費やしたが、満足いく仕上がりとなった。
本書はザドゥヤ語の他、
各翻訳家の努力はもちろんのこと、本書を
そしてソフィアス・カンニバラ(※ガラテヤ語発音)に、特別な感謝を。彼はイオの兄・カーンの孫で、遺言に従って祖父の遺灰を送って以来の縁だ。
※※
1357年9号月19日 レイア・ハンニバッラ Rheia Sardna Kasja Canniballa.
※※
参考画像
1267年6号月 夏至祭礼中のザデュイラル首都ギレウシェ
帝国貴族・マルソイン家別邸にて撮影された記念写真
写真中央、眼帯の少年はアンデルバリ伯爵(当時は子爵)カズスムク。十七歳。
その左隣、眼鏡の少女が後の伯爵夫人ソムスキッラ。十八歳。
右隣、長い髪の少年がトルバシド侯爵家四男タミーラク。十七歳。
そして短い金髪と眼鏡の青年が、当時二十二歳だったイオである。
他、アンデルバリ伯爵家の親族九名――
※※
この写真は本書の出版後、オプサロ大学附属図書館に収蔵された。
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