北阿古霜帝国民族誌 人食いと鳥かごのザデュイラル

雨藤フラシ

はじめに《アコハミシ》ⰡⰟⰊⰜⰀⰏⰃⰔ

序文(ガラテヤ語訳書初版版)

 幼いころの私は、〝角〟がない祖父が不思議だった。

 彼が頭から付け角を外すと大騒ぎして、笑われたのも良い思い出だ。祖父は角を持たない異食種コリサンガスだった。古い言い方をすれば〝人族〟である。


 私は本書『北阿ほくあ古霜こそう帝国ていこく民族誌みんぞくし』の企画者、編者代表のレイア。

 魔族と人族の混血だ。

 かつての魔族は食人種インカノックスとして、人族は異食種コリサンガスとして、ゆっくりと歩み寄っている。私は双方の血を引く者として、その足をもう少し早められればと考えた。


 魔族や食人鬼という言葉が、差別用語に指定されて三十年。

 私が亡き祖父の生国・ガラテヤに、古霜帝国〝ザデュイラル〟からの食人種留学生として訪れたのが、二十年前。

 そこで過ごした間に投げつけられた罵倒と、不愉快な出来事は数え切れない。

 私もよほど〝食用猿め!〟と言い返したかったものだが、神と祖先の血肉に誓って、そのような言葉は一度も発しなかった。内心については自由だが。


 私が口にできる人肉は、年間およそ1400ジヴィ弱(※八キログラム半)だが、たったそれだけの量でも、一口でも、同族を食べる人間を彼らは恐れ、軽蔑する。

 ザデュイラル国内においても、異食種コリサンガスを祖父に持つ私の角は小さく、短く、頼りない。そのことをよくからかわれたもした。まったく、どちらも度しがたい。


 祖父イオ・ハンニバッラ(※ザドゥヤ語発音)文化人類学名誉教授が遺した手記の公開に踏み切ったのは、魔族と人族、捕食性ほしょくせい人類と雑食性ざっしょくせい人類、食人種インカノックス異食種コリサンガスは、ともに同じ人類、同じ人間であると互いの人種に広く訴えるためだ。


 彼は純粋な異食種コリサンガス出身の学者ながら、自らの意志でもって食人種インカノックス国家圏=ザデュイラルに足を踏み入れた。さらに、食人社会について異邦人の視点から大量の記録を残した稀有な存在である。


 手記には当時のザデュイラルの人々、その生き生きとした生活ぶり、魔族というものに対する異食種コリサンガスの反応、イオが異文化交流で受けた衝撃などが記されている。


 多くの差別的表現が登場するが、これは書かれた年代の世相や背景を多大に反映したものであり、この時代の異食種コリサンガスにとっても、一部は食人種インカノックスにとっても、常識的なものであったため、ほぼそのままの状態で公開する決断を下した。


 もちろんいくつかの脚色、誇張、祖父の勘違いなども多分に含まれるだろうが、歴史資料や存命中の関係者証言から、可能な限り事実関係を確認している。その作業には五年を費やしたが、満足いく仕上がりとなった。


 本書はザドゥヤ語の他、食人種インカノックス国家圏向けにクルト、キラサム、ベラーガマ、シャナーの四言語、異食種コリサンガス国家圏向けにガラテヤ、東瀛とうえい普國ふこくの三言語、合わせて七つの言葉に翻訳された。


 各翻訳家の努力はもちろんのこと、本書を異食種コリサンガス国家群での出版にこぎつけてくれた関係者各位のご助力には大変感謝している。この場を借りて、謝辞としたい。


 そしてソフィアス・カンニバラ(※ガラテヤ語発音)に、特別な感謝を。彼はイオの兄・カーンの孫で、遺言に従って祖父の遺灰を送って以来の縁だ。


※※


1357年9号月19日 レイア・ハンニバッラ Rheia Sardna Kasja Canniballa.


※※


参考画像

1267年6号月 夏至祭礼中のザデュイラル首都ギレウシェ

帝国貴族・マルソイン家別邸にて撮影された記念写真


 写真中央、眼帯の少年はアンデルバリ伯爵(当時は子爵)カズスムク。十七歳。

 その左隣、眼鏡の少女が後の伯爵夫人ソムスキッラ。十八歳。

 右隣、長い髪の少年がトルバシド侯爵家四男タミーラク。十七歳。

 そして短い金髪と眼鏡の青年が、当時二十二歳だったイオである。

 他、アンデルバリ伯爵家の親族九名――


※※


 この写真は本書の出版後、オプサロ大学附属図書館に収蔵された。

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