【書籍化記念SS】カルマの塔 七王国戦記
富士田けやき/DRAGON NOVELS
無敵のカール十人隊、白き英雄の回想
奴隷の少年は盗んだりんごを抱き逃げ続けていた。
後ろからは折檻するための棒を振り回し、怒号をあげて追いかけてくる大きな大人。捕まったら骨が折れるまで叩かれる。骨が折れたら僅かな稼ぎすら得られない。そもそも骨ぐらいで許してくれるとも限らないのだ。
最悪、死ぬ。殺される。
そんな光景を少年は飽きるほど見てきた。捕まったら自分も同じになる。貧民街の一角に打ち棄てられた哀れな死骸たちと同じように。だから逃げる。そうなる可能性を嫌というほど理解しながら、それでも盗む。
飢えを満たすために。
「待てクソガキ!」
自分たちが盗むことで彼ら大人は痛手を負う。それも少年たちは理解していた。彼らとて決して裕福ではない。自分たちほどではないが毎日必死に生きている。それでも盗む。
自分たちが生きるために。
「はっ、はっ、はっ」
毎日何かから逃げ続けてきた。棒、鞭、拳、飢えも渇きも、そう。身近な隣人である死の恐怖から逃げ続けるだけの生き方。何とか食いつなぎ、何の希望も見出せない明日を迎える。その無為なる繰り返しこそ自分たちの全て。
あの頃、少年は無力であった。
「ねえさんに、食べさせるんだ! はやく、治って、また、毎日を!」
辛い記憶ばかり。
大人の姿が迫ってくる。少年は俊敏ではあったが大人のストライド、その大きさには勝てなかった。一歩でこちらの二歩、三歩を縮めてくる。今日はいつもより人混みが少ない。いつもなら仕掛けないシチュエーション。相手の方が速い。
追いつかれるのは時間の問題。少年の脳裏に捕まった知り合いの光景が浮かぶ。
本当に辛い記憶ばかりであった。
「うぉっ!?」
それでも何故だろう。
「え?」
後ろを振り向くと、大柄な少年の足に引っ掛かって転ぶ大人の姿があった。
大柄な少年は振り返ることもなく小さく手を振る。
「アル、こっち」
褐色の少女が手招く。猥雑な路地、少年たちならともかくゴミまみれのここを大人が走るのは骨が折れるだろう。必死に逃げていて少年は気づけなかった。見逃していた。
それを、少年が足を引っかけ時間を稼ぎ、少女が声をかけてくれたから――
「ありがとう!」
其処に活路が生まれた。
たまたまだが今日を生き延びることが出来た。
「今日は駄目な日」
「わかってる。でもねえさんが――」
これは弱かった日の記憶。何か抗する術もなく、ただ生きるためにもがき続けた遠い過去。それでも何故だろうか、こんな過去であっても今よりもどこか温かかった気がするのだ。辛く苦しい苦難の生活。生きるために多くを奪い、奪われ、そんな日々ですらどこか懐かしい。
もう二度とあの頃には戻れない。やり直すことは、決して出来ない。
○
ウィリアム・リウィウスは走りながら物思いにふけっていた。普段あまり過去に思いを馳せることなどないが、逃げるというシチュエーションが既視感として記憶を呼び起こしたのだろう。実戦中に随分余裕なことだと自嘲するウィリアム。
「二十、三十ほどか?」
ウィリアムを追うのは、彼が所属する国家アルカディア王国と交戦中のとある小国の兵士たちであった。国境線での争い。国力の差は比較にもならないが、七王国と呼ばれるオストベルグ、ネーデルクス、この両国と接している場所がきな臭い以上、このような小国に割ける戦力は同じ七王国であるアルカディアには限られていた。
限られた戦力。上層部としてはさして興味もなく、拮抗してくれるだけで充分。表立っては言えないが、むしろ勝って余計な火種を増やしたくないというのが本音であろう。
(難儀な状況だ。だが、そんな意まで汲んでいたら、いつまでたっても出世できん)
男は嗤っていた。状況を正確に理解した上で、あえて火種を揺さぶり火を熾す。これはそのための仕掛けなのだ。限られた戦力で局所的勝利を収めるための策、その一端。
(さあ、ついてこい。俺の首は、此処にあるぞ!)
ウィリアム・リウィウスという男は昨今、別の名で呼ばれ始めていた。男の特徴である白亜の髪、そして仮面を身に着けていることから『白仮面』、と。
無敵のカール十人隊、そのエースとして小さくとも勝利を重ね続けた。その結果、彼は少しずつ戦場において知られる存在に成りつつあったのだ。まだまだこの戦乱の大陸、ローレンシアにおいては小さき名であるが、確実に、少しずつ、その名は広まりをみせる。
「白仮面が孤立しているぞ!」
「追え! 追って殺せば名が上がる!」
彼の首には価値が生まれていた。一兵卒にとっては、戦場で名をあげんと夢見る者にとっては、孤立したその首は金銀財宝よりも煌いて見えることだろう。
一人突出し、孤立。逃げる背に追いつけば、その首を断てば――
「もう少しだ!」
「追え、追え!」
ウィリアムは彼らの耳に届くように言の葉を紡ぐ。
「くそ、油断した。こんなところで、俺が、死ぬわけには」
それは彼らの耳朶を甘く打つ。『白仮面』の苦境、そこに名を持たぬ彼らが追い込んでいるという甘美なる蜜の如し状況。戦場においてネームド、名前を与えられる存在というのは稀有なのだ。彼の首を取れば『白仮面』殺しとしていずれは自分も、そう考えるだけで彼らは内心涎を垂らす。
じゅるり、と甘い考えが脳をとろかせる。
森の中を、木々の間を、ウィリアムとそれを追う者たちが駆け抜ける。
差は、もうほとんどない。クビが追う側の手に届くのは時間の問題。
その上で――
「あっ――」
ウィリアムの逃げ道が消える。
この時代、舗装など当然なされていない天然の地形。森の中など凸凹だらけ、山間でなくとも踏破できないポイントはそこかしこに存在する。
「行き、止まりィ」
木々の根が形成した天然の壁。人が越えるには少し高い。
「…………」
彼を追っていた兵士たちは舌なめずりをしてゆっくりと間合いを詰める。もはや急ぐ必要すらなくなった。こうなってしまえば敵は『白仮面』ではなく味方なのだ。誰が彼の首を取るか、その勝負。急ぎ先陣を切るのも手であるが、絶体絶命の窮地であっても彼は名を持つ者。最初の一人は死ぬ可能性もある。
だから迂闊には飛び込めない。
それでもじわじわと全体が距離を詰めてくる。
「く、くく」
どこからともなく漏れた声。
「くっはっはっはっはっはっはっは!」
その笑い声は窮地にあった『白仮面』ウィリアム・リウィウスから発せられていた。
「何が可笑しい!?」
「何もかもだ弱いくせに欲深い、愚者ども」
仮面の男は背を向けたまま立ち尽くすばかり。しかし、その声に窮地の、追い詰められている色は無かった。余裕と自信、その声からは絶対的なナニカが溢れ出る。
「やれ」
短く、白き男は命じる。
その瞬間、木々の間から、マントを草木で覆い隠し隠れていた兵士たちが一斉に石を投げつける。こぶし大のそれは重装備でない兵士たちにとって十分な殺傷力を内包し衝突する。絶叫が戦場に木霊した。立場が一瞬で入れ替わる。
狩る者から、狩られる者へと。
「く、くそ、嵌めやがった!」
「うろたえるな! 敵はそれほど多くない! 多勢にて『白仮面』を討つぞ!」
部隊の隊長、おそらくは敵方の十人隊長なのだろう。その声で狂奔する集団の一部がやるべきことを取り戻した。追い詰めている『白仮面』を討って後退。体勢を立て直して残りの精々十人程度の敵を撃滅する。
「ウィリアム!」
潮目の変化にウィリアムが所属する部隊の隊長、カール・フォン・テイラーが声を出す。
「全員、そのままだ」
「大丈夫?」
「何の問題もない」
ウィリアムはカールの心配をよそに嗤う。
かつての自分、まだアルと名乗っていた頃であれば追いつかれた時点で死んでいただろう。何も成すことなく、路傍に打ち棄てられた彼らと同じように。
だが、今は違う。
大事な、この世で一番愛していたモノを奪われてから幾年か。力を蓄え、知識を身に着け、名を変え、姿を変え、復讐のためにここまで来た。
まだまだ道半ば、こんなところはただの通過点。
男は吼える。
「我が名はウィリアム・リウィウス! 勝利こそが我が道だ!」
奪った剣を引き抜き、奪った名を騙り、名を捨てた男は君臨する。
「いざッ!」
最初の衝突で、最も勢いのある『集団で一番強い者』を断つ。それで群れは揺らぐ。その揺れを利用して次の強者を討ち取り、もう一人を討ち取る中、敵の剣を奪い投擲する。真っ直ぐと伸びた美しい水平の軌道、吸い込まれるように彼らの指揮官、その首を貫いた。
瞬く間に四人を仕留め、敵の足が止まる。
「うっひょーさすがウィリアムさんっす」
「無駄口叩かず石投げなよ」
じっくりと囲み、槍で包めば如何にウィリアムとて死は免れなかっただろう。倍、三倍近い戦力差。普通にぶつかっては勝てない。そもそもこういった仕掛けでもしないと彼らは戦いに乗ってこなかっただろう。無敵のカール十人隊、その名もまた『白仮面』と共に広がりつつあったから。
油断、焦り、死への恐怖。それらが彼らを縛る。
「くっ、撤退だ! 退け、退け!」
その判断は傍目にも遅過ぎた。
「逃がすな!」
ウィリアムの一言で石から槍へ持ち替え、逃げ出そうとする兵士たちを上から突く十人隊の隊員たち。僅かな傾斜でさえ上であるというのは有利をもたらす。いわんや行き止まりを形成する壁ならば、その上からの攻撃は理不尽で抗しがたいものとなるだろう。
「一人も、だ! ここで全滅させるぞッ!」
ウィリアムもまた逃げ出そうと背を向けた兵士たちを切り刻む。完全無欠の勝利、そのために誰も生かさない。全て奪い尽くすのだ。そのためにここまで面倒な策を用意した。彼らに勝つだけならもっと容易い手はあった。損耗を気にしないならば選択肢は無数にある。それでも最善は、これなのだ。この場の勝利と、この先の勝利を得るために。
「くっ、一人抜け出された!」
「貸せ!」
隊員の槍を奪い取り、ウィリアムはそれを投げる。綺麗な放物線を描いて、それは包囲を抜けた兵士の頭蓋を貫いた。倒れ伏す最後の抵抗者。
「こ、降参する。何でもするから、だから、殺さないでくれ」
残ったのは戦意を失った数名のみ。それ以外は投石と槍、ウィリアムの剣によって全員死んでいた。
「ウィリアム、彼らもこう言っているんだし」
「駄目です、カール様。我々は十人隊、彼ら数名でさえ油断していれば寝首をかかれてしまう。拘束し、後方に捕虜として連れ帰る時間的猶予もございません」
「でも」
「これが戦場です。私たちは戦うと決めた。違いますか?」
「……違わない」
上官であるカールの意見を潰し、ウィリアムは彼らの前に立つ。
「そういうことだ」
「貴様らには、血も涙もないの――」
「戦場では不純物だ」
末期の言葉すら紡がせることなく、残り数名も斬殺する。
そうして完勝した戦場を見回すウィリアム。
「敵影はないな。全員、こいつらの装備を剥ぎ取れ。その後、この場一帯に火をつけて奴らの拠点に入り込むぞ。敵拠点に侵入後、敵指揮官に報告する体で接近、首を取る」
「げぇ、血まみれっすよ、これ」
「リアリティが出るだろ? あとでバレないように顔に煤をつけるぞ」
「いつもながら泥臭いなあ」
「まだ俺たちには格好つけて勝つ力はない。今は、下積みの時代だ」
ウィリアムは彼らに向かって笑った。
此処よりカール十人隊は敵兵に扮して敵拠点に侵入。森に火をつけたことで敵方に偵察を強い、ただでさえ小さな拠点から人数を削り、思惑通りこの拠点を預かる指揮官を討ち取った。損耗なく、敵方には大打撃を与え彼らは後退する。
これは彼ら無敵のカール十人隊が積み重ねた勝利の一ページでしかない。
そして、『白仮面』、後に『白騎士』と呼ばれる英雄ウィリアム・リウィウスにとっては積み重ねし勝利の物語、英雄譚の序章にしか過ぎなかった。
まだ世界はこの地に胎動する白き星を知らない。
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