第7話 強いかどうかより、公爵家が怖い
彼も心配そうな顔をしていた。
フリースラントから一部始終を聞くと、トマシンは黙ってしまった。
「なんで黙っているの? 僕はどうしたらいいかわからなくなってしまったよ」
「フリースラント様は、ノイマン先生に怒っていらっしゃらないのですか?」
「怒る? いや、全然。なぜ、怒らなきゃいけない? 怒られているのは僕の方だよ。どうも、先生は試合を控えていたらしくて……」
トマシンは、年の割には丸っこい、子供のような顔に真剣な表情を浮かべて慎重に言った。
「先生の方が怖がっていると思います」
「え? ぼく、そんなに強いかな?」
フリースラントはちょっといい気になりかけた。チャンピオンに一打食らわせたのは、確かに快挙かも知れない。
「いえ、違います」
「違うの?」
「ええと、フリースラント様は、驚くべき強さです。みんなあきれ返ったと思います。だって、まだ14歳でしょう。でも、先生方が困っているのは、ヴォルダ公家の御曹司に思い切り打ち込んでけがをさせたことです。チャンピオンの方が強いに決まっているのに」
「……あー、そうだねー」
「ですから、フリースラント様が、そのことに怒って、父上の公爵様に訴えたりしたら、ノイマン先生は試合どころではなくなります」
「どうなるの?」
フリースラントは心配になった。
「先生は試合に出られなくなるの?」
「それはフリースラント様次第です。もし、これがバジエ辺境伯のご子息だったら……」
「ギュレーター?」
「そうです。絶対に父上に訴えるでしょう」
「なんて?」
「自分にケガをさせた教師など首にしてしまえ、とか」
「そりゃまた、過激だね」
「処刑してしまえとか」
「……まさか」
「バジエ家へ引き渡しを要求されるかもしれません。どちらにしても、試合どころではなくなるでしょう」
フリースラントは考え込んだ。
「それは、ノイマン先生がバカなんじゃないだろうか。確かに大貴族の御曹司に本気を出すのは危険だ」
「ノイマン先生は、正規の先生ではありません。剣術のスペシャリストとしてここで教えている方です。週に数回来られているだけなので、フリースラント様の顔を知らなかった可能性があります。もし、知っていたら、ヴォルダ家のご子息に向かって、どうしてくれるんだ、なんて言わなかったと思います」
「みんながみんな、手加減するんだな……それで」
フリースラントは、グルダを思い起こした。やっぱり手抜きだ。でも、手抜きじゃなくて、命が惜しかっただけか……
その時、遠慮がちにフリースラントの部屋をノックする音がした。
フリースラントと、雑用のトマシンはびっくりした。
「どなたですか?」
トマシンが静かにドアを開けると、ノイマン先生その人が現れた。後ろには、何回か会ったことのある学校のフリースラント担当の先生が付いてきていた。厳しい顔をしていた。
「フリースラント様はいらっしゃいますか?」
「何の用事ですか?」
フリースラントは聞いた。
「あやまりに……申し訳ございません。ヴォルダ公爵家の御曹司とは全く存じませんでした」
ノイマン先生は、鉛色の顔色をしていた。目が泳いでいた。
後ろの先生も語を継いだ。
「フリースラント様のけがの具合はいかがでしょう。剣術の稽古に事故はつきものと言え、今回は少々ハード過ぎました……」
フリースラントは肩のあざを思い出した。
「いや。たいしたことはない」
彼らは、そんなことはないだろうとしつこく聞いてきた。
「もう、治っている。」
面倒くさいので、フリースラントは服を脱いで見せた。
二人の大人は、少年の肩をつくづく観察した。確かに肩には紫色のあざがあったが、大した大きさでもないし、治りかけているようだった。
ノイマン先生と付き添いの先生は、顔を見合わせた。
「ノイマン先生は、あばらを折ってしまったのですが……」
フリースラントとトマシンは、目を丸くした。
トマシンは現場にいなかったので、どんな試合か知らなかった。チャンピオンに一矢報いたことは聞いていたが、そんなすごい一撃だったとは夢にも知らなかった。
ふたりの先生は平身低頭、お詫びの言葉を繰り返し、そしてフリースラントのけがが軽すぎることに驚き……しかし、それについては、かなり嬉しかったらしい……帰って行った。
「トマシン」
「はい」
「ここに在学している大貴族のリストが欲しい」
「なにをされますので?」
「知らないで、大貴族のご子弟に授業でけがをさせてしまったり、余計な喧嘩をすると、父上に迷惑がかかるかもしれない」
「ええとですね? 国中の貴族の中で最も順位が高いのは、ヴォルダ公爵家です」
「バジエ辺境伯は?」
「領地と財産は、ヴォルダ公爵家より多いかもしれませんが、王宮での政治力はヴォルダ家の方がはるかに上でしょう」
「王家の人間はどうだ?」
「学校に入ったりしません」
しばらくフリースラントは黙っていた。
「それで、ギュレーターは威張っていたのか」
「そうですね。それもあります。でも、ギュレーター様は、武芸にたいそう秀でておられます。成績も悪くはありません。学校と言う場では、それも大事ではないでしょうか」
いや、自分の方が全然優れているぞ?とフリースラントは内心、訂正したくなったが、余計なことは言わないことにして、次の卒業認定試験の日を聞いた。
「卒業認定試験と言う名前ではありませんが、半年に1回、試験があります。必要な全教科に受かれば、本科卒業の資格がもらえます。正式に高等科に入学できます」
「それはいつだ?」
「あと4か月先です」
トマシンによると、基本の国語と数学のほか、教会学を含む数教科で一定以上の成績を治めればいいらしい。
フリースラントは、学校に行って、悟ったことがあった。
それは、彼は勉強ができるが、問題はそっちではなかったということだった。
なるほど、各教科に顔を出してみたら、しっかり家庭教師が仕込んでくれていたおかげで、ほぼすべての科目で合格点を取ることくらい簡単だということがわかった。
だが、武芸の授業に出た時、彼はとんでもなかった。
彼が本当に得意とするのは、武芸だった。
はるかかなたの的でも、彼の矢は届いた。
森を切り開いて作られた、専用の射撃場は彼の独壇場になった。
こういった科目は、うまい下手がテストなどするまでもなく一目でわかる。
教師も彼に全く敵わなかった。
剣術について言えば、ノイマン先生がこんこんと彼に言い聞かせた。
「グルダ先生に教わっていただって? 彼は私の先輩だ。サボるような人じゃない。君は、恐ろしく力がある。技量についてはかなりのものだ。先生は君を教えるのに苦労されただろう。力をセーブしなさい。そうすれば、もっといろいろな技が覚えられる。そんなバカ力で撃ち込まれたら、技量を教える余地がなくなる」
とは言え、彼は付け加えた。
「いざ、戦闘になれば、技量がどうのこうのって話は、問題にならない。勝てばいいだけだ。技術だの、技量だのは、力がない者にとっては重要だが、君にとっては不要かもしれない。それでも技術をマスターしておけば、力はないがうまい動きで君に襲い掛かってくる人間を、簡単に封じることができると思う」
フリースラントは思った。
そんなことより、ヴォルダ公爵家の名を出せば、誰もが平身低頭おとなしく這いつくばる。
もし、王の名を出せば、彼が王族だったら、もっと話は簡単だろう。
教師すら敵わない弓の技量と、剣の技術。
黒髪、黒い瞳が印象的な少年は、それだけで孤独なオーラを身にまとった。
彼は最強の戦士になれるはずだった。
4か月後、問題のテストが行われたとき、フリースラントは成績優秀者の筆頭に名前が載った。
「やっぱりな……」
他の生徒はため息をついた。
が、しかし、フリースラントは、それを得意に思うどころではなかった。
彼は本科の授業にはテスト範囲を聞きに行く時以外は行かなかった。代わりに、少し離れた高等科の授業が行われている小さな教会付属の施設へ通っていた。高等科の授業は、難しかった。
「なんで、高等科に入りたいだなんて言っちまったんだろう……」
関数の教科書を読みながら、彼はため息をついた。
「これ、必要なんだろうか」
横でトマシンや、高等科で一緒になった生徒が声を押し殺して笑っていた。
「フリー、君には全く不必要だよ」
ここでは、彼はフリーと呼ばれていた。
「そうだよ。大体、君は大公爵家の御曹司だろう」
「次男だから、領地と爵位は兄が継ぐことになる」
「それでも、十分裕福だ。それに父上の引きで、宮廷に出仕できるし、何か役職を手に入れることもできるだろう。それだけ男前で、優秀なら、もしかしたら、どこかの跡取り娘の婿に選ばれるかもしれない」
若い修行僧たちが教師だった。
貧乏貴族の子供もいたが、多くが各区の教会が見出した平民の秀才たちだった。学費を教会が出して、高等科に進むのだ。
「適性のある者は貴族の家の家令になれる。うまくいくと、かなり稼げる。勉学に優れた者は教師になることもある。あるいは僧籍に入り、勉強を重ねる者もいる。貴族の身分を持っていれば、大貴族の家に入りやすい。ヴォルダ家とか」
(俺んちか……)
全国の秀才と一緒の勉強では、フリースラントも全く平凡な生徒のうちの一人にすぎなかった。
「でも、いいんだ。教会学とか、楽しいよ」
フリースラントは負け惜しみを言った。
いや、しかし、教会学は本当に面白かった。なかでも詩節部分は、韻を踏んだ美しい文章で、予言や大昔の言い伝えが書き記されていた。
暗闇の王アーデンは、異種の人間で、恐るべき力を持っていた。彼らは闇の勢力で、人間と戦う存在だった。
だが、一方で、暗闇の一族の美しい娘と人間の男の悲恋も載っていて、それは声に出して読むと、リズム感のある美しい叙事詩だった。
試験後、彼らは休暇に入り、フリースラントは自分の城に戻った。
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