第60話 みぎてのきもち

筆が走る。

気持ちがのって書いているときだ♪


筆が進む。

書くことに気持ちが引き摺られてゆく。




文字を記してゆくこと。


頭で考えているはずなのに、

手が勝手に物語を紡いでいるような、そんな錯覚を覚える時が……。

そんなときが不意に訪れる。



なんだろう?


手が勝手に動いて、物語が綴られて、お話が進んでゆく。

頭がお話を考えるよりも先に、手が動いてお話が書かれてゆく。


頭は打ち込まれた物語を、目で追って読んでいるだけなのではと、

そんなことを思っている瞬間が確かにある。


あのときの映像を伴った物語は……。


何?


あれは……?


右手の、

気持ち……?




右手に人格が在って、手が書きたいことを書いている。

右手の気持ちが形になっている。


それは妄想かもしれない。


けれども、


心が宿るのは、胸や頭と決まっているわけではない。


胸や頭だけに、心が宿ると決まっているわけでもない。




同居人。


もうひとつの人格。


頭の中に住んでいる、登場人物キャラのように、

何かが右手に住んでいる。



それでもいい。


それもまたいい♪



少なくとも、

右手はわたしの相棒パートナーだ。


それは間違いない。

だからまあ、それもいいと思う。


勝手に物語が出来あがるなら、楽でいい♪

それに、楽しい!



だから、


これからもよろしく!


右手あいぼう




―蛇足―


初めは寄生獣のミギーでした。

そこからのスタートです(^_^;)


一定量の知識を得て、

思索活動のために、

世の中と隔絶した場所に深く潜る。

それはどんな気持ちなのだろうと。



そしてだんだんにテーマが変わっていきます。

ゾーン。身体が勝手に動くというものに。


それからオカルトのようなテーマに(^ω^)


変わりつつ戻りつつ、こんな形に落ちつきました。




ちなみに、

なぜ右手かというと、

自分は今も、基本ガラケーで創作、執筆活動をしているからですね(^_^)


パソコンのキーボードなら、

両手の気持ちといったタイトルになったかもしれないです(^_^;)



無意識に行うこと、書くことというのは、

どちらにせよ、そういった経験、知識に根ざしているということです。


書いた言葉には理由がある。


自分しか判らないことかも知れなくても、

自分でも意識していなくても、

そこには幾ばくかの想いが含まれていたりしますね。


わかる人には判るし、感じとる。

文章とは、そういったものなのでしょうね(*´∀`)♪

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