第42話-「篤を……止めなきゃ」④
「――やめてっ!!」
大男に最後の蹴りをかまそうとした時、突如後ろから聞こえた叫びに篤は振り向いた。
「な、なんで……なにやってんだよ、おまえ」
優月が戻ってきた。しかも一人で。てっきりもう駅に着いている頃だろうと思っていたのに、なぜか後ろで顔を俯けて息を乱している。
そして優月が顔を上げた時……篤は完全に正気に戻った。
優月の瞳は溢れる涙と恐怖の色で歪んでいる。しかもそれは、不良に襲われたからではない。自分に対する恐れの色であると篤はすぐに悟った。
そして、脳裏をあの日の光景がめぐる。
みんなの前で交わした、もう暴力は振らないという約束。あの時、優月は篤のために必死に訴えかけてくれた。篤は変わったのだと、かっこいいのだと言ってくれた。
しかし、今この状況を見て、同じことが言えるのか。
そんなはずはない。優月の瞳は自分への恐怖の色で悲痛に歪に潤んでいる。
やめろ。俺をそんな目で見ないでくれ……。篤は無意識に心で訴えていた。
他の奴にどんな目で見られようが構わなかった。だがその時、優月に向けられた瞳に、篤は心臓が抉り取られるような感覚に堕ちる。
自分は変わってきていると思ってた。良くなってきていると思ってた。優月だってそう思っているものだと……でもそれは違う。俺はなにも変わってなんかいないじゃないか。
そうだ。ずっとあのままなんだ。惨めで狂っていて、恐れられる早乙女篤のままなんだ。
それに、
『喧嘩ばっかりの人だったら、さすがにあたしだって彼氏になんかしないわよ』
優月は今の俺を見て、いったいどう思っているのだろう。やっぱり……。
一瞬、篤の思考は完全に持っていかれる。
だがそれはリングの上では致命的なミスなのだ。
「――篤っ!!」
優月が口を抑えるのと同時に鈍器のようなものが脇腹にぶち当り、痛みに身体が捩れる。
篤を殴ったものは路端に転がっていた一升瓶だったらしくその場で大きな音を立てて砕け割れた。
大男の薄ら笑いが聞こえる。
「この野郎……」
怒りに振り向くが、痛みで体はすぐに動かず、篤は横にいた脳筋男に思い切りアッパーを食らって、割れた一升瓶の上に崩れる。貫かれてこそいないが、背中には尖った痛みが駆け抜け、地面をついた手には破片が容赦なく刺さった。
「くそ……これくらいで調子のんな――ガハッ」
ダメ押しの蹴りを腹に食らい、篤は呼吸を詰まらせる。
「散々やってくれやがって、ざまぁねえな。でも安心しろよ。テメーの彼女は俺達がしっかり可愛がってやるから」
「そんなことさせるわけねえ――ッ!」
さらに重い一撃が下腹部に落ち、篤の意識は眩む。
それ見て、もう無理だろうと笑った男たちが意気揚々と優月に向かっていく。
篤の霞む視界の中で、優月は一歩ずつ退き下がり、怯え、震えていた。
「(ふざけんな。やめろ。俺の……俺の……)」
優月の黒くてしなやかな髪に男の手が触れた。
「(俺の……大切なものを奪うやつは……何がなんでも……)」
歯を喰いしばって、足腰に無理やり力を流しこむ。
「ぶっ殺す……」
ざりっと、ガラスが擦れる音がして男たちが振り向くとそこには篤がファイティングポーズで立っていた。
「おいおいマジかよ……。いいぜ。とりあえずこいつを完全にやっちまうか」
「やめて! あたしはどうなってもいいから篤は――」
「はい、彼女ちゃんは静かに見ててねー」
優月はその場で羽交い絞めにされて、今にも崩れ落ちそうな顔で篤に向く。
その優月の視線と重なった篤は虚ろな目で、よろけた一歩を踏み出した。
しかし、篤はわかっていた。確かに先程の痛みでふらつきはするが、体が動かないわけじゃない。それにこんなことは今までだって幾度もあった。だから心配もない。
――やれる。
大男の拳が飛んできた。篤はそれを弱っているとは言えないスピードで躱し、重心を傾けると、そいつの顎めがけて超速のストレートを放とうとする。
決まりだ。これならさすがに立てないだろう。
篤は優月に軽く笑った。もう大丈夫だ、という意味を込めて。
大男もあまりの篤の速度に目を瞑る。
あとは全員殴り飛ばして、優月をいっこくも早く取り返――
「……んな!?」
――篤は目を見張った。
そう。誤算はまだ続いていたのだ。
篤から放たれた右ストレートはそいつの顔からわずか数ミリ前で止まっていた。
止められたのではない。止まっていたのだ。
優月も驚いて固まっている。
「おい、テメー。なめやがって」
大男の膝蹴りが篤の懐に入る。
篤は痛みで一歩退いたが、すぐに切り替えて、左フックを撃った。
だが、拳はまたそいつの脇腹直前で止まる。
「なんでだ。どうして……」
「おい、調子に乗るのもいい加減にしろよ」
相手のパンチが思い切り左頬を撃ち抜いていく。
そこからは本当に一方的だった。
篤の拳は何度撃っても直前で止まり、そのせいでできた隙に何発も蹴りや殴りを食らう。四方八方から攻撃を食うのに対して、こちらは攻撃しても当らない。いや、当らないわけではない。全て良い所に撃ちこまれているのだが、全てが寸止めになっている。
わけがわからないまま、篤は痛みの中でどんどん頭から思考が消えていくのを感じた。
避けられるわけでもないのに、撃っても撃っても届かない。それに身体はもう限界が来てる。いつでも崩れ落ちそうだ。
「くそっ、こいつマジしぶてぇ……」
スキンヘッドの男が篤の髪を吊し上げるように引っ張って、膝蹴りをかます。
鈍痛が全身を麻痺させるが、篤は倒れるわけにはいかなかった。
なぜならもし自分が倒れたら優月がどうなるかわからない。自分が立ってさえいれば優月にはまだ手を出さないはずだ。
だが、成す術はなかった。
口は血の味で溢れ、視界は霞み、音もほとんど聞こえない。
ただ殴られるまま。蹴られるままにその場でふらついている。
届かない拳は次第に本数が減り、腕はすでにだらんと下がってる。
しかし篤は倒れない。
「やめてよ! あんた達、やめなさいよ……。お願い、やめて、誰か……助けて。これじゃあ……篤が死んじゃう……」
声にならない声で泣き叫ぶ優月の悲鳴だけが篤の頭に鮮明に響いた。
くそ……。なんなんだよ、これ……。
痛みだけではない何かが腸からぶり返してくる。
どうしてだよ。なんでだよ。俺はまた……なにも……。
嫌だ……失うのは嫌だ。
その時だった。男達の罵倒と優月の泣き叫ぶ声の間から二つ、新しい声が聞こえた。
「オレの親友に――」
「優月お嬢様に――」
そして見えた。人が二人駆けてくる。
一人は長身でベージュ色の髪をした美男子。今の形相は完全に当時の姿だ。
もう一人は童顔のナース。その見た目からは考えられないほどの覇気を纏っている。
「「――手を出すなぁぁぁ!!」」
そこで篤の視界は落ちた。
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