第40話-「篤を……止めなきゃ」②

「――おわっ!」


 優月がはしゃいだ反動でよろけると、すぐにドスっ、と衝撃音がする。


 篤も急なことに驚いて音のする方に目を向けると、優月の腕はちょうど通りかかっていた男の脇腹に見事に収まっていた。位置的には篤が得意とする左フックの高さだ。そこに今、優月の肘がクリティカルに撃ちこまれている。


「あっ、あっ、ごめんなさい! 大丈夫で――」


 すかさず謝る優月だが、


「おい、てめぇ! どこ見てんだゴルァ!!」


 振り返るのと同時に放たれたそいつの怒号に怯えて一歩退く。

 無理もない。そいつは篤が見上げるほどの大柄で筋肉質に太めで耳にはピアスが何個もセッティングされている。しかも顎髭を生やし、髪は剃り込み入りの金髪。唯一同年代だと推測できる他校の制服も雑に着崩されていて、胸ポケットからはメンソール煙草のパッケージが飛び出ていた。


 言うまでもない。いかにも、ってくらい不良だ。

 外見が同じカテゴリーだとしても、篤とは全く違う部類のその大男は顎を引き、威圧的に優月に一歩近づく。


「あ、あの、ぶつかっちゃって……ごめんなさい」

「あー? ごめんなさいで済むと思ってるの、おねーちゃん? やばいわー。肋骨にヒビ入った気がするわー。これ病院もんだわー」

「いや、そんなことはないと思うんで――」

「それはてめえの決めることじゃねえよな? なあ?」

「え、いや、まあ……そうかもしれませんけど……」

「あぁ?」


 優月は俯き気味に前で手を組み、ひくっと肩を揺らすと篤に向く。

 篤はため息をつくと、やれやれという表情で優月の前に出た。


 そして、まあ、面倒臭いなと思った。

 いかにも因縁付けてくるタイプなのだ。汚らしくガムを嚙み、ヤニ臭い息を眼前に現れた篤に容赦なく浴びせる。


「あぁ、なんだテメー? もしかして彼氏くん? うはぁ、愛しのハニーを守ってあげよう的な? じゃあとりあえず治療費くらいもらおっかなー。とりあえず五万円ほど」


 そしてもう一つ厄介なことに、こういう奴は大抵、


「――なになにー? 喧嘩っすか? 仲間に入れてくださいよー!」

「――おっ! 可愛い子発見!」


 群れる。

 奴の後ろからどんどん同類の連中がやってくる。


 尻辺りでベルトを止め、だぼだぼのズボンに手を突っ込んで向かってくる茶髪。

 なぜか唇にピアスをして、真夏でもないのにサングラスをしているスキンヘッド。

 細見のホスト風情のやつにいたっては、なぜか髪色が先端だけグラデーションがかっていて、一番後ろから来る冬でもタンクトップのやつはどうみたって脳筋馬鹿だ。


 見た目から馬鹿が滲み出てるおまえたちみたいな奴等ほどきちんと学校に行ってほしいもんだ。と篤は思うが、まあ自分だって人のことを言えた口ではない。

 それにそんな連中だから、この時間、こんな所で油を売っているのだろう。


 そして篤と優月はあっという間に五人の男に囲まれた。お互いの状況もだいたい把握できている。


「おいおい、この兄ちゃんめっちゃガンたれてんだけど。自分がどういう立場にいるかわかってる?」


 優月は篤の背中に掴まり、男たちの一言一言に過剰に反応して震える。

 仕方ない。こういう場面に出くわしたことなどないのだろう。


 篤はとりあえずそいつの意気がった言葉を無視し、周囲を見渡して再びため息をついた。

 篤自身ならこういう場面に何度も出くわしたことがある。むしろ自分から入って行ったくらいだから、どうにでもなる。


 しかし今、篤の背中には優月がいる。

 篤は無意識だが、ここからどうやって優月を逃がそうか考えていた。


 こういう時こそ冷静に周りをよく見て動け。

 自分に暗示かけ、一度瞬きをすると……ゆっくり開く。


 まずこいつらがただで逃がしてくれることは絶対にない。それに他にこの道を通る人の気配もないから、気付いて誰かが助けを呼ぶこともない。


 前方には大男、スキンヘッド、腰パンの三人。後ろにはホストと脳筋の二人。

そしてこの通りから最短で出るなら後ろに走って、すぐ駅構内に飛び込むことだ。駅まで行けば人目も多いから優月は大丈夫……。


「ちょっと、彼氏くーん。なに無視っちゃってくれてるのかなー?」


 大男が正面に顔を持ってきた。蔑み、小馬鹿にしたような目で篤を見下す。

 それでも篤は冷静に自分を保てていた。これは昔とは違う。ボクシングというものに出会ったが故に身に付いた篤の新しい強さだった。


 だが一つ。篤にはそのまま過去から持ってきてしまったものがあった。それは――

 篤は相変わらず汚い息と言葉を吐き続ける大男にむかって、一言放つ。


「おい、臭ぇ。とりあえず口閉じろ」

「あ? 今テメーなんつったよ?」

「よく聞け。口を閉じろっつったんだ。あともう謝ったんだから勘弁しろよ。おまえ、それだけ肉付けといて骨にヒビ入るわけねえだろ」


 ――天性の負けず嫌いだ。

 屈服する気なんて毛頭ない。媚びるつもりは欠片もない。ボクシングを始めて自分から喧嘩はふっかけなくなったが、売られた喧嘩に背中を向けるつもりはなかった。


「んだと……。おい、こいつシメよーぜ」


 大男の眉間に青筋が立ち、他の連中も二人を逃がさないと言わんばかりに詰め寄る。


「……あ、篤? 正気なの……?」


 優月が震える声で尋ねるのも束の間。篤は一度振り向くと簡潔に言った。


「今から三秒経ったら後ろに走って、すぐ駅に入れ」

「えっ……?」


 その瞬間、頭の中でゴングが鳴る。


 一秒。まずスキンヘッドの右拳が篤にとび、それを瞬時に弾いて、ボディーに重い一発を入れる。


 二秒。そいつがよろけるのと同時に半転し、一歩踏み込んで優月の首筋越しにホストの顔面に右ストレートを放つ。すぐ耳元に突風が掠めた優月は目を見張って固まった。


 そして三秒。そのまま脳筋にタックルして後ろの道が開いた。


「走れ!!」


 篤が優月に言い放つ。それに優月は一瞬戸惑ったが、篤の猛獣のような双眸そうぼうに肩を跳ね上げて走った。


 ――よし、これでいい。

 篤は優月を追おうとする腰パン野郎の股間に蹴りをかまして笑った。

 局部を抑えて悶えるそいつを足でめいっぱい踏みつけ、篤は……わらったのだ。


 久々の感覚だった。

 唖然として固まる大男の間抜け面を拝みながら篤は口角を吊り上げると一歩踏み出し、手首を鳴らす。血が滾るとはこういうことを言うのだろうか。指先から足先まで、びりびりとした感覚が全身を駆け巡る。バッグを放り投げて、Yシャツのボタンを第三まで外す。


 そして聞こえた。


「あ……、あ……、こいつ。思い出した。早乙女篤だ。柳中の鬼童だ」

「嘘だろ……。あの早乙女かよ……」


 そうだ。この感じだ。懐かしい。

 俺に怯える、その目だ。最高に気持ちが良い。


 優月を逃がした今、篤に懸念はなかった。だから、残る概念はあと一つ。


「――全員、殴り殺す」


 相対する大男も篤の名にひるんだようだったが、数で勝っていることには変わりない。余裕の笑みで拳を構える。


 ここからが本番だ。二ラウンド目のゴングが鳴る。

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