第210話 はじめましてお嬢さん

「それにしてもグレイン、さすがにヴェロニカさんに失礼だよ。僕とアウロラさんの魔法障壁は全部破られちゃってたし、あのままだったら危なかったと思うよ?」


 笑顔のまま、少しおどけた様子で語るトーラス。


「……それは本当か?」


「……本当かもね」


 笑顔を微塵も崩さずに答えるトーラスの様子にグレインは違和感を覚えたため、彼はなおも煽り続ける。


「『かも』ってなんだよ……。まさか天下の最凶邪悪暗黒ロリコン魔術師トーラスともあろう者が、子供の放ったたかだか一本の矢に手も足も出なかったと!?」


「待って待って!? 何か色々と聞き捨てならない称号ついてた気がするんだけど!?」


「気にするな、全部事実だよ」


「いや、激しく捻じ曲がってるよ!? ……まぁ、それはそれとして、ヴェロニカさんが矢を止めるのに失敗しても、いざとなったら僕たち全員の方を別の場所に転移しようと思ってたさ。狙撃なんて、矢かターゲットのどちらかが移動してしまえば成立しないからね」

 

「なんだ、やっぱ大丈夫なんじゃないか。さすがトーラスだな」


 トーラスはまぁね、と言って頭を掻く。


「そんな……どのみちエリオの狙撃は失敗してたって言うの?」


 ミュルサリーナの後ろに立っていたミーシャが、明らかに落胆した様子で項垂れる。


「おや……? 君は一体……?」


 そこでトーラスがミーシャに気付く。


「トーラスさぁん、そう、貴方に紹介したい子がいるのよぉ。ほらっ、ミーシャちゃんって言うのぉ。貴方の話をしたら、凄く憧れちゃったみたいでぇ」


 そしてミュルサリーナは背後のミーシャを前面に押し出し、隣にいたセシルを連れて病室から出ていく。


「ちょっ、なんですのミュルサリーナ、どうして病室から出る……ちょっと、トーラスさま……もががが……むーむー!」


 最初は抵抗していたセシルであったが、突然口が開かなくなり、手足の自由もきかなくなってそのままミュルサリーナに引きずられて病室から連れ出されて行った。


「あれは……呪いの力か……。すまん、セシル……」


 グレインは巻き込まれたくない一心で、引きずられていくセシルに向けて十字を切り、見なかったことにする。



「え……と……あの……」


 もじもじするミーシャの前に、トーラスが跪いて彼女の手を取る。


「はじめましてお嬢さん。僕はトーラス。昔は大きな商会を取り仕切ってたけど、今ではグレイン達と流浪の旅をする一介の闇魔術師さ」


「きゃっ……。わ、私は、ミーシャと言います。か、風魔法が得意な魔法使いです! トーラス……さん………………」


 何も言わずトーラスの瞳をただ見つめるミーシャ。

 誰の目から見ても、彼女が恋に落ちた瞬間であった。


「……? ところでミーシャちゃん、グレイン達と一緒にいて酷いことはされなかったかい?」


「はい……す、少しだけ……」


 泣きそうな顔で答えるミーシャ。


「「えっ」」


 身に覚えのないグレインとハルナは思わず声を上げる。


「そっか……それは辛かったね。君は服が血だらけだけど、どこか怪我をしているのかい? 痛むところはあるかな?」


 トーラスは淡々とミーシャに訊く。


「ううん。この血は関係ないの。だけど……心が……心が痛むの。トーラスさん、私の心を癒やして下さい」


「「うわぁ……」」


 グレインとハルナは二人の会話を聞いてドン引きしている。


「そうなんだ。それはさぞかし辛かったろうね」


 トーラスはそう言うと、ミーシャの身体をお姫様抱っこする。


「ひゃぁっ! と、トーラスさん……顔が、近すぎます……!」


「ミーシャ、君は少し横になって休んだ方がいいよ。今は僕にすべてを委ねてくれるかい?」


「はい……身も心も……委ねます」


 そしてトーラスは病室のベッドまでミーシャの身体を運び──下ろそうとするところで声が掛かる。


「トーラスさま……浮気ですわよ……浮気……浮気……浮気……」

「ちょっと変態! 何してんのよ! また新しい女の子捕まえて!! セシル、あれは浮気じゃないわ。もはや病気よ」


 セシルとナタリアが同時に病室に入ってきたのであった。

 よく見ればナタリアは、右手でミュルサリーナの首根っこを掴んで引きずっていた。


「ぅぅ……ちょっとあなた……どうして呪いが効かないのよぉ」


「あたしの心に呪いがつけ入る隙なんてないわよ!」


「そんなぁ、どうしてよぉ……」


 ミュルサリーナは呪いが効かなかった事がよほどショックなのか、ナタリアに何か説教されたのか、既に泣きそうな様子である。


「今あたしの心は、あの変態への怒りで満ち溢れているの! ……そこの変態に告ぐ! 今すぐその子を解放しなさい! それとあんた、またあの魔法使ってるわよね!? 治療院の共用トイレが一箇所だけ、いつまでも鍵がかかったままになってるって職員が困ってたわ!」


「僕はこの娘を休ませようとしただけで……。トイレの件も、今は緊急事態なんだから仕方ないじゃないか」


 トーラスはそう言って、ミーシャの身体をベッドに預ける。


「あー……トーラス、お前まだ腹下りの呪いが解けてなかったのか」


「当たり前だよ! 僕は興味津々で二人の入浴シーンを盗み聞きしてたんだ。そんな状況で呪言を聞かされてごらんよ。きっと僕の心の奥底に、深々と呪いが突き刺さった筈さ」


「重ね重ね最低だなお前」


 グレインは溜め息をつく。

 そこへ、未だに正座させられている少年から声が掛かる。


「なぁグレイン、俺たちはなんのためにここに連れてこられたんだよ?」


「ん? 何がだ、エリオ?」


「『今後の話がある』って連れてこられたのに、いつになってもその話が始まる気配がないだろ」


 ヴェロニカに脅され、ハルナに抱きついて泣いていたエリオであったが、いつの間にか泣き止んだようであった。


「あー……。いや、今まさに、これからジャストナウ話し始めるところだったんだぞ」


「…………絶対忘れてたよな……?」


「いやいや、そんなこと無いって! みんな助かったから、お前たちの目的が何であれ、多少どうでも良くなりつつはあるが、さぁ聞かせてくれ、お前たちの目的を」


「こんなにやる気の無い話の聞き方があるかよ!」


 エリオは非常に不満げに頬を膨らませながらも、狙撃に至った経緯を話し始めるのであった。

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