158枚目 「会敵」


 伝書蝙蝠はイシクブールの墓地の裏手、林の向こうに陣取った数人の姿を目に捉える。


 普段は黒飴に例えられる黒は、今は獣らしい黄色の虹彩を露わにしていた。

 夜襲には向かないが、光あふれる日中なら関係ない。群れの中でも獲物を数えるのは得意な方だった。


 普通、浮島に住む伝書蝙蝠たちは島外への外出を許可されない。


 その中で唯一の例外が、ニュイ・ノワール――ノワールはかつて魔導王国の諜報部隊に所属し、勇者一行と会敵かいてきしたにも拘らず生き残った伝書蝙蝠だ。


 特化型の天才だった同僚たちは、瞬く間に戦争で散って行った。


 一匹目が殺された方法を聞いた時、ノワールは自身の能力を極めることを辞めた。

 極めるのではなく、全体的に底上げする方向へとシフトしたのだ。


 何事も生きのこれば勝ちである。この思考回路は、針鼠の考え方とも近かった。


 全てを凌駕する様な一番には適わなくていい――だが、一番に食らいつけるぐらいの二番でいなければ意味が無い。ノワールがハイスペック蝙蝠であるのは、大体そのような理由からである。


 力量差が明確な猛獣の喉を食い破るためには、知恵が必要だ。

 単純な話、考え無しの蝙蝠では人間に勝てはしないのだから。


 ノワールが生き残った理由は「特出した能力を持っていなかったから」なのだから。


 音もなく、目の上を瞼が行き来する。


(……五人。待機だけでこれだけいるです、思ったよりも面倒なことになってるです)


 視界に納めた人間たちは、男女入り混じったパーティーを形成している。

 狩人上がりも居るのか、潰された紋章つきの試供武器が腰に揺れていた。


(内側はイシクブール陣営で対応するとして……正門にはどれほどの規模で来るんです?)


 首を回したくなる気持ちを押さえ、考える。


 この場には使い魔契約を結んでいる司書の主人も、人並みに頭が回る針鼠も居ない。木の枝に留まっているのはノワール一匹だけだ。


 耳を澄ませる。獣の耳に届く足音を拾う。

 町の足音が騒音となって鼓膜を突き抜けるが、距離があろうと特徴的な足音は嫌でも分かる。


(蹄鉄の音……車輪……馬車、です。一台を広々使って六人……いえ、十人は詰まっているとして。台数的に旅団規模じゃないです……?)


 目を瞬かせる。口の中も少し乾いた。


 思えば、大陸を二つ越える間に勢力を増していたという盗賊団に人数で勝れるはずもなかった。

 今知覚しただけでも、イシクブール陣営として用意できた戦力の八倍ぐらいの構成員が相手にはある――が、それによって特に現状が変わるわけでもない。


(……あの蜥蜴の獣人が口を割ったおかげで、想定内の規模だったことだけが救いです)


 そう、想定内。


 蜥蜴の獣人の協力を得て相手方の構成員数を目算したのは、他でもないハーミット・ヘッジホッグである。彼はセンチュアリッジの比ではない大乱闘が起きた二年前の遠征で、千人規模の組織を潰し合わせたあげく、両方を壊滅させた実績を持つ切れ者だ。


 尤も当時は、全面闘争という大きな「的」が用意できたから上手くいったのだが。


(二年前とは状況も規模も違うとはいえ、人間が考えうる以上の行動を起こす確率は限りなく低い。自爆特攻に呪いのばら撒き、内部分裂に第三者の介入、どれもこれもこちらはとっくの昔に体験済みときました――さて。どう出るです、ハーミット)


 足輪につけた回線硝子ラインビードロに魔力を流し込む。

 経験と前例からあらゆる可能性を仮定し、現状の最適案を示す為に思考する。


 唯一の気がかりは、針鼠の体力がもつかどうかだった。


(増えた選択肢を気にする程、貴方は普通ではないと思うですが)


 回線ラインが繋がる。

 黄色の虹彩が「ぎゅ」と窄まった。







 門を越え、耳に届いた鐘の音は何故か一つ足りないような気がした。


 祭りに浮かれた司祭が回数を間違えたのだろうか。


 竜の背骨ドラゴン・コックスと呼ばれる真白の山脈を背に作られた石切りの町、イシクブール。町の入り口に残る気持ちばかりの砦を抜ければ、純白で染め上げられた町並みと街道を埋め尽くす天幕テントの海が出迎える。


 絢爛な陶器類、歴史を感じさせる絨毯。何を描いたのか分からない抽象画。時期ずれの服や生活用品。流行が過ぎた家具など、売り出されるものは多彩で、どの店を覗いても飽きはしないだろう。


 そんな町の中心にある巨大な骨竜の石像を横切って、花かごを持った栗髪の女の子が駆けて行く。足元を気にせず全力疾走したからか、あっという間にすっ転んだ。


 花かごが前方に吹っ飛び、通行人の足元に転がる。


 かごを拾った観光客を見上げ、商魂たくましく「あっ、ああっ、ありがとうございます! お、お花はいかがですか!?」と商品を売り込む彼女の両目からは大粒の涙がこぼれた。


 花かごと女の子を交互に見比べて、観光客は女の子と目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 身振り手振りをして、どうやらスカーロを代金分支払った。花かごから橙色の花を一輪ラッピングして、女の子はにこにことお花を手渡す。


「ありがとうございます!」

「君こそ、痛むところはないっすか?」

「は、はい。ちょっと擦りむいただけですから」


 女の子は涙目をこすりながらにっこりと笑顔を作った。気丈な子だ。


「それじゃあね、おにいちゃん。蚤の市を楽しんで!」

「あ、ああ。じゃあね」


 観光客は――男は手を振りながら見送って、自分の顔が緩んでいたことに気がついた。


 慌てて顔をぐにぐにとする。


 少なくとも彼個人の事情としては、笑えるような余裕はないというのに。


「しっかし、ただでさえ通過点として賑やかしいって言うのに……イシクブールで一体何が起きてるっていうんすかね……」


 買った花を胸元に差して踵を返し、男は蚤の市を無視して住宅街へと足を踏み入れる。

 向かう先は決まっていて、それほど時間をかけることなくこの町を通過する予定だった。


 季節にそぐわない長袖の上着、黒手袋の下は一切伺えない。青年はローブで顔を隠すようにして町長宅の方までやって来て――それから昏倒した。


「!?」


 受け身も取れず倒れ込んだ石畳に、ジワリと血が滲む。視界に入らない方向から影が差し、それが二つあることまでは理解できた。


 魔術か毒か、咄嗟には判断できない。


 そも、このような仕打ちをされる心当たりもない。この先を進んで妨害されるならともかく、町長に接触しようとしただけでこんな、全身の自由を奪われるような心当たりは!!


「疑わしきは捕まえるべしって」

「疑わしい奴は捕まえろってさ」

「ばべばぁ!? (だれがぁ!?)」


 聞こえて来た声は何とも子どもらしく、実際子どもなのだろう。

 「疑わしいだけで捕縛する」――それは、イシクブールに未曽有の危機が迫っている証拠だった。


(ああ、目的地が遠ざかる。一刻も早く里帰りしなきゃならないっていうのに!! あっ、待って。石畳の上を無理に引き摺らないで!! 痛い痛い痛いっ!!)


 言葉にならない呻きを漏らしながら引き摺られていった男はこの後、数日間魔法瓶に詰められることになるのだが――残念ながら、今回の騒動には何ら関係のない一般人である。


 名前は、エヴァンと言う。







「――そうですか。当初の予定通り『疑わしきは瓶詰め』方式で何人か賊っぽい人間を既に捕まえていると。協力者はウィズリィさんの子どもたちですか」

『ええそうです。運び込まれてきた方々は、全員熱中症扱いで対応しています。これなら問題ないでしょう』

「病人とそうじゃない人の区別はして下さいね?」

『ええ。運び込まれた方々は私たちがこの目で確認しているので――お疲れ様です二人共。あら、その方は……まあいいでしょう。瓶に詰めていてください』


 なんだか不安になる間の取り方だったが、回線ラインの向こうのイシクブール町長はそのまま短い挨拶をして通信を切ってしまった。


 第三大陸入国者に支給されるピンを懐に納め、針鼠は心労と胃痛入り混じる溜め息をついた。隣に立つグリッタもまた、顔を引き攣らせながら身体を解している。


「蝙蝠ちゃんからの連絡で、教会は早速鐘の数を減らしたみたいだな。観光客の足止めを買って出てくれた西市場からも馬車道を塞いだって連絡が来たぞ」

「町へ到達するまでの時間もそれほどなさそうだね。そろそろ城門を閉じるべきかもしれない」

「まっ……!! 待って……!! まだ閉めないでぇえええええ」

「?」


 馬車道の方へ目を向けてみれば、ふらふらと駆け寄ってくる観光客らしき人影が一つ。頭の所々にビーズを結んだグリーンアッシュの短髪が、汗で貼り付き乱れている。


 門に到達することなく膝をついた女性に、慌てたようすで駆け寄る針鼠。


「大丈夫ですか?」

「は、はいぃ。というか! というかぁ! 向こうの方から凄い馬の足音するんですけど!」

「……もしかして獣人さんですか?」

「え、えっと、ええっと、人族とのダブルですぅぅう」

「分かりました。貴女は運が良いですね、蚤の市楽しんできてください」

「はっ、あっははは、ははは。はいっ」


 針鼠はそのまま女性を衛兵に引き渡し、門を閉めるよう伝えた。

 木の門の外側、鉄門が音を立てて閉じられる。


 グリッタはその一部始終を訝し気な目で追い、戻って来た針鼠に苦言をこぼした。


「……本当に大丈夫なんだろうな……?」

「まあ、うん。駄目だったらその時はその時だよ」


 針鼠は、背にしていた鞄に腕を突っ込んだ。普段使っているポケットとは別の場所である。


 ずるりと引き抜かれたのは、長い柄が特徴的な両手剣だった。

 剣先は丸く、片刃。


 灰色の石をそのまま削り出したような色をした刀身に、グリッタは顔の引き攣りをもって答える。商人の彼もまた、腕に巻いた鞘から細身の長剣を引き抜いた。


 地響きと共に、馬が走った地面が抉れ飛んでいる。門前にある急こう配の坂は馬車を引きながらでは用意に昇れないと見て荷台から飛び降りた賊たちが、得物を構えて一斉に駆けあがって来る。


 引き渡しに応じなかった時点で、彼らとの交渉は決裂していた。


「己が欲の為に他者の尊厳を踏みにじる癖に、身内に危害が及べば手のひらを返して権利を主張する。なるほど、やっていることは実に人間らしいな。親近感が沸くよ」

「……もしやお前さん、その頭を外さずに闘りあおうとか思ってる?」

「もしやも何も。外したら上司に怒られるし」

「まじかよ」


 グリッタは右手、ハーミットは左手に剣を持ち――背中合わせに構えをとる。

 接敵までもう少し。


強化術式エンチャント、『石切刃ブロックカッター』」


 詠唱と共に、カフス売りの腕に刻まれた術式刻印が明滅する。

 少年の持つ剣も徐々に魔力を帯びる。刀身そのものに付与された魔術が息を吹き返す。


「王の威を借り受け、貫くは不殺――『強欲なるものグリーディ・カース』」


 ぶわ、と。石のような刀身に浮かび上がるのは白色の古代魔術文字。

 ハーミットは拡声器設定をした回線硝子ラインビードロに口をつけた。


「――降伏か交渉か、こちらには未だ会話の余地がある」


 怒声と叫びに紛れ、相手に届くか分からない言葉を。形式上紡ぐ。


「――それでも尚、私の前に立つのであれば。命に優先し、私は貴方たちの尊厳を侵害しよう」


 相手が視界に入って数秒、賊が投げつけた槍を避けて懐へ入る。


 そうして一番先頭を切って丘陵を駆けあがって来た賊の胴体を。ハーミット・ヘッジホッグは躊躇なく撫で切りにした。




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