148枚目 「虚言のダイアログ」


 昼食と診察を終え、鼠顔と黄土色のコートという普段通りの装いに身を包んだハーミットがポフを出ると、一人でテラスにいる女性と目が合った。


 シルバーアッシュの髪を降ろしオットマンに足を預けるその姿は、薄目で見るとがらが悪い。イシクブール町長、スカリィの服装は赤灰色のパンツドレスだった。


 スカリィは針鼠に会釈して庭の方を流し見る。視線を追いかけてみれば、どうやらラエルがスカルペッロ家の使用人と一緒になって魔術を学んでいるようだった。


 今日は土系統魔術の練習をしているらしい。庭の土が少し掘り起こされている。


「ごきげんようハーミットさま。この状況下で訓練を優先する様子に呆れてしまいましたか?」


 ごめんなさいね。私のわがままなんです――スカリィはそう言って手を合わせ、可愛らしく言う。青い目は全く笑っていなかった。


「構いませんが……あの、レーテさんはご一緒ではないんですか?」

「ええ。私が一人で行動するのは珍しいですか?」

「……一人でいらっしゃる所をお見掛けしないので。てっきり常に一緒に居るものだと」

「あらあら。奥歯に何か挟まったような言い方をしますね。はっきりと監視していたとおっしゃったらよろしいのに」


 少年はその言葉を聞いて頬をひきつらせた。


 襟を立てて前を閉じているので表情は隠れている筈だが、相手は人を相手にする商売人である。挙動を読み取るなど造作もない。


「立っているのは疲れるでしょう。どうぞおかけになって」

「……いえ、私は」

「もし漏えいを気にしていらっしゃるのなら、防音魔術を使用なされても構いませんよ?」


 小麦の肌にオレンジ味の強いリップが歪む。針鼠はコートの内側で唾を飲んだ。

 午前中にグリッタとしたやり取りについても、既に情報が届いているらしかった。


 それでもその場から動こうとしない針鼠に、スカリィは大げさに手を差し伸べる。


 誰から見ても彼女が促していると分かるように――


(「拒否権などお前にはない」……か)


「――失礼しました。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 ハーミットは頭を下げ、すごすごと席に着いた。


 魔導王国の四天王と、イシクブールの町長。


 管理する側とされる側、という何とも交流を深め辛い立場にいる二人が他者を同席させずに言葉を交わすのは、これが初めてのことだったりする。


 スカリィは白い蔦柄で編み上げられた薄手の手袋をしていた。

 白く塗られた爪が、頭上に広げられた日除けの影をなぞって揃う。


「私、貴方とお話してみたかったんです」

「そうなんですか?」

「ええ。終戦の後、魔導王国四天王の欠員を埋めた傑物が、どのようなお方なのか――叶うなら、と」

「……光栄です。このような見た目で驚かれましたか?」


 茶番だと分かっていても形式は守らねばならない。針鼠は鼠頭を揺らし、愛くるしい獣人を演じてみた。


 茶会で顔の下半分を晒している以上、彼が獣人もどきであることは周知の事実である。

 スカリィは口元を隠した。笑っているようだ。


「いいえ。獣人の方とは交流がありますし、身長が私より低い男性なんて町にも沢山いらっしゃいますから気にしていません。まるで子どものような姿でなければ、ですが」

「ははは」

「笑うのがお上手ですね」

「そうですか? そう見えているなら良かった。実は、笑うことが苦手なんです」

「ふふ、そうですね。声音がそう受け取られれば、聞いた人の心はほぐれるものですから」

「……」


 一瞬「口元を晒していただろうか」と、革手袋の指が鎖骨に伸びそうになる。


 彼女の指摘は的を得ていた。


「ハーミットさまは、どういう経緯で四天王になられたのですか?」

「……スカウトですね。試験や研修のようなものはなく、ある日突然『そうなれ』と王様に指名されたことがきっかけです」

「そこに貴方の意思は?」

「いえいえ。王様の指名を断った時点で……私が生きる場所は無くなるも同然でしたから」


 人は、嘘を見抜くことができる生き物である。

 多くの他者と関わる程に、僅かな表情の変化や仕草、声音の中に潜む違和感を学習する。


 そうした経験を積んだ人間が人を騙す方法と言えば――重要な点を省いた上で真実を脚色なく、時には詰まりがちに、そしてやや流暢に話すことだ。


「貴方、産まれは第二大陸?」

「どうでしょう……物心ついた頃には城壁の内側でしたから。親の顔も知りませんし、浮島で育ったようなものです」

「――本当に? 貴方は不死鳥を信仰していないようにみえますが」

「信じるものは人それぞれですよ、スカリィさん。私にとっての絶対は、かの王様一人です」


 簡単に見破れる嘘を提示する針鼠。肩を竦め、わざとらしく小首を傾げてみせた。


 魔鏡素材マジックミラーの双眸は、影にあっても健在である。内側を透かし通すことなく黒い眼を演出する、それこそ意志の無い瞳だ。


 あまり表情が顔に出る方ではない町長も、この切りかえしには苦笑を返した。


「……今の言葉だけは、本意でないと分かりました」


 スカリィは目の前の針鼠がどのようなつもりで話しているのか、恐らく気づいているだろう。勘づいているだろう。けれど。


「ははは、流石は商家の跡継ぎですね。人の心の機敏に敏感だ――今のは軽いジョークのつもりでした。王様は四番か五番目ぐらいでしょうか?」


 真実を話されているという現実は、容易に覆せるものではない。

 違和感が、積み重なるだけだ。


「……なんてまどろっこしい」


 煮え切らない少年の態度にしびれを切らしたのか、スカリィは悔し気に唇の端を噛んだ。


「魔法具を使いなさい。今朝西地区で防音魔術を展開したことは分かっているんです」

「スカリィさんがお望みであるなら使用しますが。長時間は無理ですよ」

「構いません。私が貴方にする質問は次で最後ですから」


 ハーミットはコートの内側から角の取れた四角い箱のようなものを取り出すと、魔石を乗せる。


 スカリィは「どうしてこの男は懐からいくらするかも分からない魔石を取り出してあろうことか燃料として使おうとしているのだろうか」といった商売人の目つきになったが、少年は構うことなく魔法具を起動させた。


 スカリィは、魔力を吸い取られて価値が下がっていく魔石を横目に、絞り出すような声で問い掛けた。


「――貴方は、勇者ではありませんか」


 その言葉は、案の定というか。予想通りのものだった。

 ハーミット・ヘッジホッグは、即答する。


「まさか! 私が勇者だなんて、そんなことはありえないですよ。あのは既に、死んでいるんですから」


 魔法具の上にのせた魔石が価値を失って机に転がり落ちた。

 本当に十数秒分の燃料だった。十数秒分の燃料にしかならない魔石を、選んだらしい。


 針鼠の回答に、町長は顔を歪めた。

 「貴方には笑顔が似合いますよ」と皮肉ともとれる世辞を飛ばし。ハーミットは立ち上がる。


 もう、この席に座る資格はない。


「……スカリィさん。まずは、目先のトラブルを片づけてしまいましょう。蚤の市が無事に終わらない限りは――こちらとしても仕事が十分にできませんから」

「……そうですね。私としたことが、優先順位を間違えていたようです。ラエルさんには悪いですが、今日はこの辺りで切り上げてもらって。当日に向けた作戦会議をしましょうか」

「はい。確かラエルに指導してくださっている使用人さんはネオンさん、といいましたね。彼も交えた方がいいでしょうか?」

「そうしましょう。彼はスカルペッロ家の使用人を束ねる働き者ですから、私たちには考えも及ばない妙案を出してくださるかもしれません」


 淡々と、事務手続きのような会話を一言、二言交わして。

 何事もなかったように針鼠はスカリィに礼をして、黒髪の少女が居る方へ踵を返した。







 二人は東市場バザール火災に関する聴取を受け、その後は怒涛の一日だった。


 蚤の市当日の衛兵の配置、賊が現れた際の避難誘導経路など、決めることは山のようにあった。魔導王国の情勢調査もできず、馬車の通行記録をあらう時間もなく夜になる。


 一連の話し合いに参加していたグリッタとペンタスをそれぞれ送り届けて針鼠が町長宅に戻ると、山積みになった資料を手に目元を抑えるレーテの姿があった。


 赤茶の髪はカンテラの灯りに照らされ、魔族の血の色を感じさせる。


 彼は庭で剪定ばさみを手にうろついている時とさほど変わらない、サスペンダー付きのズボンにシャツというラフな格好だ。周囲にラエルやスカリィの姿は見受けられない。


「あぁ、妻は寝室に置いてきたんだよ。あのままだと駄々をこねて朝まで仕事をしようとするからね。ラエルくんはノワールくんと一緒にポータブルハウスへ戻っているはずだ」

「……ありがとうございます」

「いやいや。今回ばかりは君たちが居てくれて大助かりだよ」


 レーテはそう口では言いながらも、町の地図を手に、困り顔を作った。


 イシクブールは首都であるサンドクォーツクに比べると小さいが、それでも浮島の平面積の二倍はある町だ。全体をカバーするとなると、人手が足りないというのが今日の話し合いの結論だった。


 レーテに対面するように席についたハーミットは、町の構造や抜け道などを頭に叩き込む為に資料の一つを手に取る。

 ガイドブックはおろか魔導王国に提出されていない情報や抜け道の活用法が記されたそれを目に入れて、鼠顔の下で眉間の皺を深くした。


 世が世なら墓までもっていかねばならないような重要機密ばかりだ。

 それを魔導王国の役人に公開せざるを得なくなったレーテやスカリィの心境は計り知れない。


 針鼠は資料を手にしていない左手を握り込む。

 痺れと震えで上手くいかないが、それでも感情を発散する一助にはなるようだった。


「大丈夫かい、ハーミットくん。顔色が良くないように思うが」

「……すみません。色々と思うところがありまして」

「スカリィが何か言ったのかい?」

「いえ。確かにスカリィさんとは昼にお話させていただきましたが。……お恥ずかしい話、私に何ができるだろうと自問自答していただけです」


 レーテは針鼠の言葉に手を止めて、顎に指を添える。「ふむ」と声が零れた。


「ハーミットくん。書類とにらみ合う役は私に任せて貰って、昨日お願いした件を今夜中に頼めたりするかい」

「東市場バザールで捕縛した賊を説得する件ですか?」

「ああそうだ。本来なら昼の内に会ってもらうつもりでいたんだが」

「……分かりました。使用する部屋の指定などはありますか? スカリィさんに聞かれたくなければ、私がポフに持ち帰るという手もありますが」


 資料の内容を頭に叩き込んで、脳内地図をアップデートしながらハーミットが言葉を返すと、目の前のサスペンダーが肩からずれ落ちる音がした。


「だ、大丈夫なのかい? ノワールくんはともかく、ラエルくんがいるだろう?」

「仕事がきっかけで嫌われたなら、構わないとは思ってます」

「そ、それなら駄目だ、人からの信頼は大切にしなさい――彼女の手綱を握らねばならない立場に君がいるのだとしても。それは、君を信頼しているラエルくんに対する裏切りに等しい。それだけはしてはいけないことだ」


 レーテは真剣な顔つきで言い、硝子玉を見据えた。


(ラエルが感情欠損ハートロスであることを明かしてから様子が変わったとは思っていたが、距離感を計りかねていただけか……)


 ハーミットは平行思考を振り払い、鼠顔を傾けた。


「……それは、伴侶などを探す際に使用するテクニックの一つでは?」

「よく分かったね。あんなに良い子を自分から手放すなんて勿体な――違うぞ!? 何を言わせているんだハーミットくん!?」

「ははは。すみません、つい」


(固くなった空気を解すのは、道化の役目だと思っただけだ)


 ハーミットは手元の資料を机に戻し、自身の所持品を思い出す。

 果実や携帯保存食……他にも色々あったはずだ。人と交渉するにあたって必要なものはあらかた揃っていた。


 夜な夜なの仕事に、ラエルやノワールは渋い顔をしそうだと思いながら腰を上げる。


「では、関所の方に話を通してきますね。行ってきます」

「ん? いやいや。この屋敷から出る必要はないよハーミットくん。実のところ、準備は万端だったりするのさ」


 振り向いた鼠頭の前にレーテは木箱を一つ差し出す。中身は説明されずとも理解できた。


「……使用人には寮があるからね。この屋敷には、余っている部屋が沢山あるんだ」


 その先は言われずとも暗黙の了解だ。

 針鼠は渡された箱と魔族の商売人とを見比べ、肩を竦めた。




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