132枚目 「染屋とカフス売り」
真黒だった町はたちどころに白く塗り直され、真昼を告げる時報の鐘が鳴り終わる頃には住民がちらほら外に出てきた。遅めの朝食をとりながらその一部始終を見届けた商人グリッタもその内の一人だが、宿から出てきた彼の隣には巨大なリュックが一つ歩み寄っている。
「久しいなカフス売り! なんだ、蚤の市に参加しに来たのか?」
「そっちこそ、染屋とこの町で逢うとは思わなかったさ」
「ははは! こっちこそ嬉しいぞ!」
邪魔にならないだろう場所まで移動して、グリッタはその辺の花壇に腰を預けた。
巨大なリュックサックは振り向きざまに風を運んでくる。
彼は、
グリッタはカフス売りだが、染屋は名の通り染料を売りとしている家系の出だ。
蚤の市の開催まであと数日。イシクブールの関所には塗り直しの影響で通行を止められていた馬車が何台も列をなしていた。
「いやぁそれにしても凄かったなあ、塗り直し。あの規模をほぼ一瞬で――そも、弔いの儀式とは思えない鮮やかさだった!」
「あぁ。俺も始めて目にしたんだが、すさまじかったな」
「それなぁ! いやぁー、宿から出るなーって凄まじい剣幕で怒られるもんだからなんだろうとは思っていたんだが……あれは、面白半分で巻き込まれていい魔術じゃねぇわな!!」
青年の言葉に、グリッタは首肯する。
町に張られた結界に反響する形で伝えられる広域魔術。それを扱っているのが年端もいかない少年一人ということ。その事実自体に畏怖の念を抱くというものだ。
「肌も服も髪も目も、何かしも真っ白にされちゃあ生活に困るってもんだ! うんうん――っておい、あんたの髪真っ黒くなってっけど、なんだ、町が弔いをした日に髪だけ窓の外に出してた口か?」
「短髪なのに髪だけ窓の外に出すってどんな器用なんだ……。解色薬だよ、元々足してた色を抜いて戻しただけだ」
ぶっきらぼうに言うグリッタ。
「へぇ、そうかー。ついでに何か買うか?」と、重そうなリュックサックを降ろす染屋。
カフス売りは「腰に効く薬があるなら貰おうか」とぼやき、染屋は「染剤以外求めんなよな、薬なんてねぇよそんなの」と即座に返す。
どうやら染屋とグリッタは気負うことのない仲らしい。
染屋は軽口を叩きながら品物の位置を確認すると、蓋を閉じて別のポケットを漁り始める。
「しかし、流石に産まれつきラメラメしてるとは信じていなかったが、そうかそうか黒だったか! いいな!!」
「……そうか?」
「ああ!! 第三出身の人間で夜空色の髪は、今じゃあ珍しいぐらいだしなぁ」
そう「にしし」と笑う彼は、グリッタが額当てにしているようなスカーフを目元を隠すように巻きつけていた。目を塞いでいるのに色が分かるとは、一体どのような仕組みなのだろうか。グリッタは今までその裸眼を見たことが一度もなかったりする。
旅商人になる人間の多くは、その生い立ちに闇を抱えていることも多い。それは狩人や賊も同じだ。特に人を相手に商売を行う商人は、大抵の場合お互いを詮索することが無い。
(しかし、
「染屋にしちゃあ、洒落がきいた例えだなぁ――どっからの知識だ?」
「ん? 昔、
――ぴしり、と周囲の空気が軋む。
町の人も、宿屋の従業員も、道行く商人も、皆が一瞬、こちらに視線を向けた。
グリッタは苦笑しながら慌てて言い繕う。
これは不味い。このままでは町を出禁にされかねない。
「何を言ってるんだ。砂漠に人なんか住めるかって話だぞ」
「……はは! それもそうか! そも、人間は水が無ければ死んでしまうしなぁ!」
地面に降ろしていたリュックサックを背負い上げる商人。遠くの方で衛兵がこちらを見ている。染屋もその視線を感じたのか、ばつが悪そうに笑うと町の出口の方へ身を翻した。
「なぁ、カフス売り」
「なんだ、染屋」
「おれぁ今後、活動拠点を第二に移すつもりなんだが、あんたも一緒に行かねぇか? ……ここはやっぱし、自由にするにゃあ窮屈だ」
「…………」
グリッタはその言葉に目を丸くして、それから口を結んだ。
第三大陸クァリィ共和国は、魔導王国の配下国だ。
貿易国であると同時に多民族国家である以上、それなりの人権は保障されているとはいえ――何もかもが自由というわけではない。
シンビオージ湖の話ならともかく、白砂漠に人が住んでいた事実を語ってはいけない。
「勇者伝説」に関連する書籍の焚書もそうだが、これは終戦後に増やされたルールである。
そして、第三大陸の民が魔導王国の恩恵を受ける上で順守しなければならない法だ。
(戦後、なんでそんなことになったのか……理由までは、知らないが)
カフス売りは髪を掻き上げ、それから自虐の笑みを浮かべる。
そもそも彼はこの町でこなさねばならない「依頼」があるのだ。
染屋に共感はすれど、今すぐ第二大陸へ向かう判断を下すことはできなかった。
「――仕事が終わってねぇからなぁ。抱えてる依頼が片づいたら、また第二に戻ることにするよ」
「なんだぁ、ノリ悪ぃの! ……ま、あんたが後悔しないんなら、それがいいか」
「?」
「じゃあな! 健康には気を付けてくれよ盟友! また会おう!」
「あ、ああ。またな盟友」
大きく腕を振って、巨大なリュックサックが遠ざかっていく。
予想通り門兵に小言を言われているようだったが……先程の発言を注意されたとして、彼の心に響くことはないのだろう。
(……白砂漠か。最後に行ったのは、随分と前だな)
二度と足を運べないだろう故郷へと思いを馳せつつ、グリッタは自身の荷物から手紙の束を一つ取り出した。
年期が入ったものなのか、封筒には土埃や草の汁に汚れている箇所もある。その全てに、千切れていない封蝋がされていた。
グリッタはイシクブールの町を眺める。
観光客は白く染まった町の真新しさに感嘆し、住民は弔いの儀を終えたことへの安堵や行き場のない悲しみを顔に浮かべている。家の一部を色付ける為に、鮮やかな染色液をバケツに構える姿も見られた。
彼らの間を縫って真北の方角には、町一番の豪邸で元々は町長夫妻が住んでいた邸宅がある。
別邸とは違い絢爛な彫刻があしらわれたその家の壁に、堂々と掲げられた家紋。
石工の象徴である
今、カフス売りの手元にある銀の封蝋と同じデザインだ。
彼は請け負った仕事をする為に立ち上がった。表情は何処か険しい。
「……」
先程の誘いを蹴ったのだって、ただの手紙運びが理由ではない。
通常の依頼であれば、持て余した配達物は関所に駆けこんで衛兵に押し付ければいい。
しかしこの手紙に限っては、それができなかった。差出人の意向に背くことになるからだ。
カフス売りはリュックに手紙を仕舞って、先刻まで葬送者が立っていたバルコニーを見やる。
閉じられた窓の向こうで葬送者が何を思っていたのか――想像することは、できなかった。
えっちらおっちら第三大陸の丘陵を行く巨大な影。
染屋と呼ばれていた青年は、重い荷物をものともせず坂の上り下りを繰り返す。
その商人の小脇を、何か人らしき影が横切った。
「――ん?」
目隠しをした頭ごと振り返るも、そこに人影はない。
聞こえた足音は二人分、しかし気配は一つ掴むのでいっぱいいっぱいだった。
(片方は林の中を走っていったみたいだな? 競争でもしてるのか?)
気配が走り抜けていった先には、今しがた後にしたイシクブールがある。白く塗り直された町の外見は観光地に相応しく、きらきらと神々しい。
一拍遅れて香の匂いが鼻を掠めた。白木聖樹の芳香に、何か別の匂いが混ざったような独特の風味がする。言い方を変えれば薬のような――知っている香りだ。
(はて、この匂いは何処で嗅いだんだったか)
首を傾げながらも、商人は止めていた足を動かした。
イシクブールへは戻らない。東
歩きながら、染屋の青年は腕を組む。
(……どこだったけなぁ)
しばらく考えてみたものの、答えが出ることはなかった。
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