122枚目 「バナとラクスの果実水」


 店内には木目調の壁紙。布で作られた白い花と蔦が生い茂る天井。

 扉のベルは新しい利用者の訪れと、去る利用者の存在を淡々と伝えている。

 壁に掛けられた時計の針は、十三時と半分を回っていた。


「いやー、すまんすまん。朝も見かけたんだが忙しくしてるみたいだったからなぁ。声をかけられなかったんだ」


 そう快活に笑うのは商人グリッタだ。決して若いとは言い切れない彼は、運ばれて来た甘味を笑顔で口に運んでいる。


「ははは」

「大丈夫? 目が死んでるわよ」

『です』

「ははは、元気元気」


 針鼠は言いながら机の上に突っ伏した。黄土色のコートが未だに血塗れたままなので、彼の上着は黒のタートルネック一枚だ。黒い布の上に巻かれたショルダーバッグまで寂し気に色を失っているように見える。


「普段の威勢のよさに比べると随分と静かだな」

『先程話をしていた相手が苦手な部類の人間だっただけです。つまりふて寝に近いというか、ふて寝以外の何物でもないです』

「……って、そこの蝙蝠は言ってるみたいだが?」


 商人は話を振る。視線の先に居たのは黒髪の少女ラエル。うねる黒髪を一つに纏め上げ、白黒のリリアンが揺れていた。


 彼女は昼食を摂る習慣がない代わりに飲み物を手にしていた。バナの実と大粒のラクスの実がふんだんに絞られた果実水だ。商人のおごりである。


 ラエルはグリッタの問いに思案して、当たり障りない範囲で返答する。


「当たらずとも遠からずね。個性の強さは知り合いの魔法具技師といい勝負だったわ」

「ほぉ。なんだ、ラールギロスの坊ちゃんとでも言い合ったのか?」

「ラールギロス?」


 聞いたことが無い言葉である。そんな水色の手袋を見かねた蝙蝠が、机の上に降り立った。

 猛禽の足を揃えて香箱座り――とは程遠いが、格好としては似たようなものだろう。


『ラールギロスというのは家名です。ここイシクブールの町長はスカルペッロ家が代々継いでいますが、その跡継ぎ候補の一人がラールギロス家の方と結婚したんです』

「ふぅん」

『興味なさそうです……』

「む。勉強はしたわよ! 難しくて憶えられなかっただけ。大体、歴史に出てくる人は皆、似たような名前ばっかりだから――」

『そんなこと言って、好きな魔術書の作者の名前は忘れないくせに。です』

「うぐ」


 ラエルはノワールの言葉にダメージを受けながら、先の疑問に思考を戻す。


「で、『ラールギロスの坊ちゃん』って誰なのよ」

「あぁ、まだ会ってねぇのか。かくいう俺もその坊ちゃんを探してる最中でな。昨日はその、弔いごとの最中だったから声をかけるタイミングを見失ってよぉ」

「……グリッタさん、貴方人に声をかけるタイミングを失い過ぎじゃあない? 最近悪いことでもした?」

「お兄さんそんなことしてないねー!! 肌は焼けてるかもしれんが潔白だぞ!?」

「潔白って。後ろめたいことが無い方が珍しいと思うけれど」

「そう言う嬢ちゃんは後ろめたいことでもあるのか?」

「あるわよ」


 断言しつつ、少女は紫の目を細める。


「今日は朝から支給品の鍋を一口いっこう、底に穴を開けて駄目にしちゃったし。昨日は朝一番の火おこしで手こずった――なんなら反省しない日がないぐらい」

「ふはっ」

「あっ。ずっと伏せてるそこ、今鼻で笑ったわね。こっちは至って真剣なのに!」

「……いやいや。微笑ましかっただけだよ」


 普段の口調に戻った針鼠はゆるゆると身体を起こし、歩いてきた店員を引き留めるとメニューの中からランチセットを注文した。どうやら奢られる気はあるようだ。


「鍋に穴を開けた。火おこしに手こずった。確かに鍋は買い足す必要があるし、火おこしは素早くできるにこしたことは無いけど。王様という大きな財布が控えている以上、失敗を重ねることに臆する理由はないさ」

「今さらっと一国の王を財布呼ばわりした?」

「紛れも無い事実だからね。魔導王国は納税もしくは納魔力さえしていれば、国民や関係者のバックアップを保証してくれる」

「そうは言ってもねぇ。『臆する』なんて、私には分からないから。用心するにこしたことはないじゃない」


 黒髪の少女は口を尖らせて飲み物を口に運ぶ。ラクスの実の甘酸っぱさと、バナの実の甘ったるさが口の中に広がった。目を閉じていた蝙蝠が口を開く。


『それで。肝心の「ラールギロスの坊ちゃん」の話は何処に行ったです』

「忘れていたわ」

「ラールギロスというと、スカルペッロの次女に婿入りした人の名前だよね。確かシンさん、だったかな」

「ん? ああそうだ。詳しいんだな」

「仕事で来るからには調べるよ。……で、その坊ちゃんって人がどうかしたのか?」


 グリッタは針鼠の言葉に目を丸くして、それから物憂げに目を逸らした。


「……ちぃと、手紙を預かっていてな。その坊ちゃんに見つからないように次女さんに渡してくれと頼まれちまった」

「郵便受けに入れるわけにはいかないのか?」

「あー、スカルペッロの家系の女性は死ぬまでに身体の何処かを壊すジンクスがあるみたいでなぁ――例にもれず次女さんも身体が弱いんだそうだ。一年中部屋で寝たきりだと聞いている」

「はぁ。でもそのことと、手紙を郵便受けに入れられない理由は一致しないわよ?」


 果実水を飲み干した少女の言葉に、肉を口に運んでいた商人の目が残念そうに笑う。


「考えてもみろよ。スカルペッロの次女さんが寝たっきりなら、朝早く郵便受けを覗くのは誰の役目になる? 動くのは使用人か子どもだろう――確実に本人が取りに来ると確信できない以上、俺は依頼を完遂できない。だから、まずは息子である坊ちゃんの行動パターンを把握したいってわけだ」

「……成程。嘘を吐いているにしては挙動不審じゃあないね」

「確かに。うさん臭くは無かったわ」

『です』

「お前さん達、どうしてお兄さんが話す度に疑り深い目を向けるんだよ……!?」

「食べながら喋らないの」


 飲み干した果実水のおかわりを頼んだラエルは運ばれて来たハーミットの分の皿から芋揚げを掠め取った。勿論少年に向けて許可をとることは忘れない。食べ物の恨みは買わない主義である。


「そうは言ってもねぇ。私は貴方が信用に足る人物だと思っていないし。その実績も無いわ」

『です』

「だって、グリッタさんと出会ったのってサンドクォーツクが初めてなのよ。立場上、私は安易に名乗れないし、それは隣の彼だって同じなんだから」

「(肉を噛みながら頷く鼠頭)」

「んなこと言われても、これ以上なにを信用させろというんだ。サンドクォーツクで出会ったとはいえ、お兄さんは比較的長い付き合いのつもりでいたんだがなぁ……」

「……まあ、少なくともこういう公共の場所では名乗れないよ」


 ハーミットは切り分けたカムメ肉に香草のソースをつけて口に運ぶ。二口目はトマのソースをつけた。


 咀嚼する少年の口元はにんまりとご満悦である。どうやら美味しいらしい。


「俺たちがから来た役人なんだってことを。いま一度理解してほしいのは確かだね」


 口元を拭きながら、顎下部分のみ露出している獣人もどきは淡々と言う。


 名前が割れるという事は、魔術士やそれを使われるかもしれない人間にとって大きな弱点になるのである。人族社会の中で生きてきたグリッタにしてみれば、魔導王国式の情報隠匿は過剰にも見えることだろう。


(もしラエルが魔術士じゃなくて。俺が普通の人族であったなら――この世界が「諱」法則で縛られていなければ)


 そんな風に考えて、少年は驚いた。

 何だ、随分と絆されてしまっている。


 以前警戒していた匂いが今は感じられないからなのか。グリッタという人間性に毒気を抜かれてしまっているのか。どちらにせよ、気が抜けないことに変わりはないというのに。


「ごちそうさまでした」

「美味しかったわ」

『です。新鮮な果実を齧れてよかったです』

「おいおい、そこはちゃっかり奢られるのかよぉ」


 言い出しっぺの商人が無事に支払いを済ませたことを確認して、一行は店の外に出た。

 真昼の太陽の日差しは強い。ラエルは灰色のケープの下に腕を隠す。


『暑いです』

「うーん。夏だ」

「……寧ろ懐かしい感じすらするわ」


 浮島は幾種類もの結界に守られていたのであまり実感が無かったが、やはり日の光を浴びていると元気になって来るような気がしてくる。


(町が黒く塗りつぶされていなければ、だけれど)


 町と同じく全身が黒い針鼠と蝙蝠はそれぞれ腕を回したり羽をばたつかせたりしていたが、無駄な抵抗だと判断して肩を落とした。諦める際の行動もピッタリ息があっている。長年のつきあいだと行動も似てくるのだろうか。


「それじゃあ、お兄さんはぼちぼち宿に籠もるぜ。何か用があれば『蔦囲いの宿』って所に問い合わせてくれ」

「ああ、あそこの宿なのか。用はないだろうけど、万が一あれば連絡させて貰うよ」

「……やっぱりお前さん、俺に対する当たり強えよな……?」

「ははは。まさか」


 見送りを済ませ、商人が歩いて行った道とは真逆の方へ足を向ける二人と一匹。


 これといって行く当てもないが、何かあったときに地形が分からないのでは話にならない。このまま町並みを見て回るのも悪くはないだろう。


 ハーミットはそのことをラエルに提案しようと顔を上げて、それから口を噤む。

 黒髪の少女はというと、蝙蝠と共にある一点を見ていた。


「どうかしたのか?」

「……いえ、視線を感じたのだけど。気のせいかも」


 気持ちまで凝り固まっちゃあ駄目ね――と、ラエルは伸びをする。ノワールはその姿につられたのか大きな欠伸をして、鼠顔の横の棘の海に身体を埋めると転寝を始めてしまった。


 黒い町に伸びた影が吸い込まれていく。


 地図を広げて住宅地へと歩いてゆく彼らの後を、二人分の足跡は追う。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る