28枚目 「資料室とレファレンス」


 資料室があるのは四棟の二階。五棟から繋がる渡り廊下を行けば、すぐだった。


 木製の看板に「資料室」の文字。現れたのは艶のある焦げ茶の装飾扉だ。

 扉には魔術刻印が成されているが、それ自体に魔力が通っているようすはない。


「ここが、資料室?」

「そう。ちょっとまってね、開けるから」


 ハーミットは言うと、金属のペンダントを扉にかざす。


 そのペンダントの魔力で扉の中心にある魔術刻印が回転した。まるで絡繰りを解くように、思いもよらなかった位置が展開したりスライドしたりして、あっという間に道を塞いでいた扉が両側の壁に収納されていく。


「すごい……これ、魔力を使って開閉するのね」

「ははは、俺の発明じゃないけど開ける方も楽しくなるよね――さあ。ここが魔導王国の『資料室』だ」


 三枚の板が組み合わさって閉じられていた資料室にラエルが抱いた印象は『赤』だった――四棟の回廊に敷き詰められていたのは明るい灰色の絨毯だったが、扉を境にぷっつりと途切れ、資料室の床や天井は鮮やかな赤茶が蹂躙している。


 つやのある丸身を帯びた欄干。

 身の丈をゆうに超える本棚の列。

 飛び回る黒い鳥型の使い魔。

 人の声。

 本をめくる音。

 扉が開いたり、閉まったりする音。

 下の階にも人が居る。机の上に資料を広げて、知識の海に潜っている。


 ラエルがハーミットに続いて足を踏み入れると、背後で扉が閉まる音がした。


(並んでる本、魔術書も知らないタイトルばっかり。あ、あの作者知ってる。新しい本が出てたんだ。魔法学の本もすっごい量が……って)


「ここ、二階じゃない?」

「その通り。でも受付はここにあるから」


 声を潜めるように言ったハーミットを追いつつ、ラエルは欄干に指を触れる。

 本棚もそうだが埃は積もっておらず、綺麗なものだった。


 ロの字型の廊下を行くと、楕円に穴をあけた机と、使い魔たちが留まる木のオブジェと、黄色みを帯びた天板に突っ伏す女性の姿とが見えた。


 青みがかった赤い髪で、頭の天辺から睫毛の先まで、強いうねりがある。


 ……職務中のはずだが、寝ているのだろうか?

 声を掛けようとして、ラエルはがしりと肩を掴まれる。


 見ると、ハーミットはいつの間にか鼠顔をパージしていて、それでいて顔面蒼白になって首を横に振った。


「一旦、移動しようか」

「わ、分かったわ」


 琥珀が濁ることなく必死だったからか、少女は反論もせず従った。


(いいわ、好奇心を抑え込んで一休みしましょう)


 移動と言ってもさほど距離は無かった。彼が腰を下ろしたのは例の女性が突っ伏している机の後ろ側にある読書スペースである。


 食堂でしたように、四人席に二人で腰を下ろす。


「それで、なんで青ざめているのよ」

「ええと……資料室の司書さんのこと、なんだけどさ」


 ハーミットは言い出そうとして、また言葉を詰まらせる。


 ラエルが眉を寄せると、それと大した時間を置かずに使い魔が飛んできた。机の端にある止まり木を模したオブジェに足を絡める。


 伝書蝙蝠だ。黒く太い毛並みの中に目が艶めき、羽の代わりに黒くて薄い皮膜が翼としてたたまれ、首がクルンとノーモーションで回る。


『です』


 喋った!!


 驚いて目を白黒させる少女を余所に、営業スマイル (?)を辞めた蝙蝠は首を金髪少年へ向ける。


『……このお連れ様はどちらから?』

「攫ってきたとか?」

『冗談を――で、どこからお連れになったんです。元々居た所に戻さなきゃだめです、叱られますです』

「お前は俺を何だと思ってるんだよ、ノワール」

『資料室の利用者です』

「違いないけどさ」


 ハーミットは特に驚くそぶりもなく、淡々と会話を成立させるが――ラエルからすれば、それは初めて目にする光景であった。


「つ、使い魔って、喋るの!?」

「うん?」


 ラエルの言葉に、ノワールと呼ばれた蝙蝠は目を細める。


『あー、もしや。あなたは人族のお方です?』

「え、ええ。そうよ、色々あってこの国にお世話になってるけど」

『なるほど。確かに、普通は会話できないです』

「そうなのか?」

「ええ。だって、人型と使い魔とじゃあ、構造がはなから違うじゃない。人の言葉を紡ぐのに必要な舌の動きは、あくまでも人型の特権であって――」


(そもそも、魔法が扱えない金髪少年に、使い魔がいることの方が驚きなんだけど)


「うーん、新鮮な反応だ」

『表情がコロコロと変わって飽きません、話に聞いていた通りの方です』

「ははは。本人には聞こえてなさそうだけどね」


 混乱で何も耳に入らなくなった少女を横目に、言葉を交わす一人と一匹。


「ところで、今日はやけに昼寝が早いんじゃないか? まだ三時にもなってないけど」

『最近は収容者が増えたり、保護人が増えたりで新規登録者が多いです。故に多忙。代わりに我々が働いているです』


 全くもってかなわないとでも言いたそうに、けだるげな使い魔は告げる。


「いつもの通りっていえば、そうなのか」

『そうです。忙しい程度で別段怒涛というわけでもないです』

「今日はどれぐらい寝てるんだ?」

『一時間四十五分です』

「そうか、あと一時間は起きそうにないな」


 金髪少年は言って、傍らに置いていた鼠顔を被ると席を立つ。


 少年が動いたのをきっかけに正気を取り戻したのか、黒髪の少女はじとりとにらみつける。好奇の入り交じった視線の先は、くだんの蝙蝠である。


「俺は本を返して来るよ。何か読みたいものはある?」

「え!? え、ええっと、それじゃあ」


 ラエルは珍しく慌てた様子で口元を抑える。そして、躊躇いがちに作家名を口にした。


 それは、この資料室にある書籍の半分を読破しているハーミット・ヘッジホッグが、「この作者の書籍は気持ち悪くてとても読めそうもない」と珍しく匙を投げた、有名な魔術研究者のものだった。


 シャーカー・ラングデュシャーデ。黒魔術研究の第一人者にして雷魔術研究の偉人。


 後の魔術技術革新に貢献した一方で、歴史上「研究を理由にもっとも多くの生き物を殺した」と言われる人族である。







 ラエルは後悔していた。


 というのも、好きな魔術書のジャンルが人とずれていることなど百も承知だったからである。

 勉強の為とはいえ、誰が好んで殺人鬼と言われた人族の書籍を読もうというのだろうか。


 残念ながらラエルにとって重要なのは、かの人の生き様ではなく研究成果なのだ。魔術の扱い方とその経路なのである。そこを間違えないで欲しい。


 いやぁそれでも、流石に引かれたかなあ、あの顔ってどう考えても苦笑いだったよなあ。でも仕方ないよなあ、だって、あの母親でさえ引いたんだから……。


『黒魔術師というのは仕方がない生き物です』

「鋭い突っ込みね……」


 使い魔と残されたラエルは、ハーミットの帰りを待つ時間を持て余していた。その時間を使って、つい先ほど自らがやらかした趣味趣向の暴露に悶えているところである。


 皮膜を舌で掃除しながら、使い魔は首をこりこりと回した。

 右に百度、左に百度。視野がとても広いに違いない。


『目玉は前に二つですから、馬ほどの視野はありませんです。言うならヒトの様に首を向けた方向がクリアに見える感じです』

「……今、私何か呟いてたりした?」


 紫の瞳が細められる。


『いえ。です、我々は利用者の方と同調リンクするように慣らされているのです。私が貴方の事を分かるのは、流れ込む意識を意訳しているに過ぎないのです』

「意訳……翻訳術式トランスレータ―みたいなものかしら?」

『概ねそうです。そういえば、人族の方々は生まれてすぐに埋め込みピアッシングを行うです。魔族も似たようなものです』

「そういえばそうね」


 長い間人里を離れていた所為で、人族がどのような生活をしていたかもおぼろげなラエルは、すっかりその事を忘れていたし気にもしていなかったが――言われてみればそうだった。


 ラエルは左耳に触れる。そこには、捻子式のピアスを模した魔法具が刺さっている。

 記憶が無いぐらい幼い頃に、いつの間にか刺されていたものだ。


 耳たぶに穴を空け、術式を刻んだ魔石を石座シャトンに嵌めたものをネジ式の細長い針のような突起を通し固定する。耳たぶの後ろはモーターの羽の様な物が並んでいるようにも感じられて、特に嫌いではない。


 むしろ、長年お世話になった砂上バイクを思い出すので、金属質かつ武骨なデザインは好きな部類である。


『体に穴を空けるというのはポイニクス教ではちょっと考えづらい感性です』

「魔族は不死鳥信仰だものね」

『はい。よくご存じで』

「戦時中はノット教のお偉いさんがよく話していたから。でも、ポイニクス教の教えも悪いものじゃないでしょう? 白木聖樹信仰の司祭の狂い方を考えると、不死鳥信仰の方がまだ健全に思えるわ」


 そもそも、聖樹信仰は信仰先が生物でないからか、信者の扱いがぞんざいだった。


『改宗しますです?』

「んー」


 魔導王国でこれから生きていくには良いお誘いの様にも思えるが、ラエルは首を振る。


「今は考えていないわ。……しばらく宗教は懲り懲り」


 それがラエルの本心であった。故に彼女は無宗教である。

 聖樹を崇めはしないし、不死鳥に願ったりもしない。蟲に祈るなどもってのほか。


 信じられるのは自分の身と、自分が信頼に足ると認めた人物のみだ。


『面倒臭い性格だとは言われませんです?』

「言われるわ」


 思考が駄々漏れだということを忘れて耽っていたラエルはそう答え、机に突っ伏した。


 今日は朝から烈火隊の訓練につき合わされたのもあり、少々まどろんでいたのだ。ハーミットが帰って来るまで時間もありそうだ。ラエルはそう判断して仮眠を取る事にした。


 眠気が伝わったのか黒い毛並みの使い魔が羽を畳み、潤む瞳を閉じる。

 意図せず、長い間意識を手放すことになった。







 そのころ、資料室の一階。


「あら、こんにちは。強欲さん」

「……メルデルさん」


 ハーミットは、この施設の館長と出くわしていた。




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